細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

無職の障がい者がメーデーに思うことー新型コロナ禍と生老病死の意味

 

今日はメーデー
雨や風が強いです。

宮城県沖、大きな地震でしたね。
思わぬところで、地盤やコンクリートが痛んでいるかもしれません。天気も荒れ気味。ご注意ください。

さて、メーデーです。

私は無職で労働者ではないのです。
だから、ちょっと引け目はあるんです。
けれども、生きづらくて気持ちが不安定な人間にとって、生きること自体が「労苦」ではあります。
私は自閉症スペクトラムと、子どもから大人になるまで学校や仕事でうまくいかず、二次障がいとして強い不安などの症状をもっています。

しんどくて心がぐらついてますと、自己肯定が減ったりします。すると、人に頼りがちになったり、ほうっておいてくれとなったりの落差が激しいです。
これは苦しいです。正直周りのひとは、もっと大変だと思ってます。
罪悪感を持たなくてもいいのに持っちゃって、余計に行動や言動がおかしくなります。
気分が変わりやすく、やることも長続きしません。
一時はというか多くの場合に、自分のことダメだなあと思うから疲れます。実際過去を振り返るとめちゃくちゃだなと思うときはたくさんあり、振り返るのは辛いです。
程度の差こそあれ、みんなそうだと思うのですが、小さい頃から、ホンマに不安定です。

けして道徳的に「清く正しく」ばかりで生きてこれたわけではありません。情けない気持ちや恥ずかしい気持ち、罪悪感もあります。
しかし、生きてきたことの重みや学びも感じています。

だからまあ「人並みに働く」というのは、今は目指してません。
世の中のペースになかなか合わせられないですから。

コロナ禍でわかったことは、むしろ、なんでこんなに「経済」と「命」が分離して語られてしまうのか。

AIってのが出てきていても、基本は、人間や自然の動植物、環境が経済社会の根幹です。
自然生態系の動物にくっついていたウィルスが人間の自然破壊によって、人間社会に運ばれてきて、大惨事が起きてるのです。
ウィルスを命と呼ぶのか、非生物なのか、その中間くらいと思いますが、ウィルス自体は自分で複製、繁殖はできない。宿主の細胞を借りて自分を増やす。
ウィルスは、おそらく、これまで宿主としていた動物の世界では、静かに暮らしていたんだろう。
それが、人間の生命体というものに遭遇し適応の仕方がわからない。
だから攻撃というか、噛みついて暴れまわって自分をなんとか増やそうとしている。

ちょっと話を戻しますが、メーデー、労働ってことでつなげます。
コロナ禍で、身に沁みて感じるのは、環境的な安心や人間が老病死の不安に絶えず煩わされていたら、本当は経済なんてできないのです。
日常の経済は本当は、多くのメンバーが元気で、病気や老いた人、障がいのあるひとを助けている、そして病人や老いた人も苦しみのなかで、人間が生きるということは「大変な労苦」なのだと身をもって示しているのだということです。
つまりこの意味では価値とかに格差があるわけではありません。

それがいつのまにか誤った経済的思考ー優生思想によって、老病死という命の当然の経過が「コスト」と見なされているのが異常なのです。
これは私たちの命の意味が事実上半分以下に切り捨てられているというとんでもないことを示しています。

もちろん病気やケガの治療に一定のお金はかかります。しかしそれがあることで、働いているひとは、いざというときも大丈夫という安心を手に入れてきたわけです。
しかし、どうですか。
不安定な雇用環境や福祉の破壊や医療の削減に私たちは適応されてきて、維新や自民党の安心のない政治の方がカッコいいかのような破滅的な幻想に足を囚われています。

その結果が今日のコロナ禍の医療崩壊です。
私たちは、生老病死という当然の前提を受け入れ、経済の根底にある命を守る仕組みが必要です。
コロナについては、「withコロナ」なんて話をする人もいますが、コロナウィルスは、馴れない人間界で変異し、暴走しています。
コロナが私たちに牙を剥かないように、といってもコロナとは話し合いができません。私たちができる防御をするしかありません。
私たちはまず健康を維持するための医療社会保障制度を再建する、そして自然を破壊しないようにする、そうしてコロナが弱毒化するまでは、人が死なないように検査や治療や予防と、それに必要な補償をやって行く必要があります。

コロナも深刻で雨風もあるため、自宅で、綴っています。

深刻な医療崩壊もわずかでも状況が改善されたらと祈るような気持ちですが、この状況で政府がオリンピックにしか目がないのが、本当に腹が立っています。
大阪府の幹部は医療崩壊の中で、患者特に高齢者の命の切り捨てを進めるかのようなメールを流しました。これは撤回されましたが吉村知事が「トリアージ」発言を以前しましたが、吉村知事らは、いざとなれば、「命の選別」をするので、医療体制を充実させなかったのではないかと、疑惑の念を深めざるを得ません。

あまりにもひどい。

またそのような事態が「憲法改正」で防げるように思えません。

「緊急事態条項」の憲法改正により、独裁が起きる危険、戦争につながる危険すら指摘されているからです。

パフォーマンスではなく、地道な検査による感染規模の拡大の防止や、行政が医療機関や現場の課題をきちんと理解し、医療体制を普段から整備しておくということがパンデミック防止には必要です。

これは、現行法を活用し、より人権や医療環境整備に配慮した修正したりしながら、必ず実現できます。

実際、和歌山県知事、鳥取県知事、山梨県知事などは既存の感染症法や新型インフルエンザ特措法を活用し、感染拡大の防止を行い成果をあげています。

 

憲法改正で目指される「緊急事態条項」は、各分野の法律にある「緊急事態宣言」とまったく違い、国会も選挙も停止して、政府が独裁するものです。

ナチスが利用して破局的な戦争に至ったものです。

コロナ禍での「緊急事態宣言」とまったく違い、政府が非常時に、独裁をして、単なる自粛や休業よりももっとひどいものです。

騙されないでください。