新型コロナ禍と優生思想的な命の切り捨て
普段から、高齢者、障害者、生活困窮者を「予算削減のため」と、つまりは、「お金がもったいないから切り捨てる」というような政策をして、それに多くの人々が賛同してしまう状況が背景にある。
だから、感染多発で、高齢者が入院できずに自宅で亡くなってしまう、PCR検査を減らすようなことをいいだす。
感染が少ない時期にPCR検査をしっかり実施して、軽症者や無症状者が病院で、医学的な経過観察を受け、治療を受けていただく、その接触した人も検査を受けていただくということをやれば、感染多発は起きにくくなるのです。
和歌山県知事や山梨県知事が言っていることです。
そうしていれば、高齢者や障害者、病者に感染をもたらす危険は下がるのではないかとおもいます。
しかしやっていることは、アベノマスクやGOTOです。
前者は広く配りましたが、感染予防効果は不明。
やろうとしたが、人々の安全を真剣に考えてない、ばらまきはする。
GO TOをしたら当該業界は潤いますが、感染拡大リスクはあるでしょう。
リスクを考えた場合、補償の充実、検査の充実を考えます。
しかし、結局やりません。
その根底には、政府が「経済」という名の搾取の仕組みを維持するためなら感染リスクが高いひと、重症化しやすいひとがどうなってもかまわないという前提があるからです。
結局これでは、若いひとや元気なひともコロナに苦しみますし、コロナを過小評価してるから、補償も少ないし、検査も病床も足りない、重症リスクの高い高齢者や病者が亡くなる心配が高まるし、さらにコロナ以外の患者の医療もダメージを受けます。
優生思想は、「健常者社会の発展のために、病人や障害者を切り捨てる」ということになりますが、結局、全体に荒廃した社会を生むことになり、戦争や搾取を強めるでしょう。
一部のひとの切り捨てにみえたものは、社会の維持すらも破壊する発想につながります。
これはあからさまな優生思想でしょう?
優生思想について少しでも考えたならわかる話だと思うのですが、応用して考えるひとがあまりに少ない。
嘆かわしい。
福島原発事故だって、放射能の基準をゆるめたら、真っ先に放射能の感受性が高いひと、子ども、女性、病気ですでに体力を失っているひと、遺伝子の放射能感受性が高いひとを苦しめる。
(結果としてリスクの高いひととともに広く放射能対策が行き渡らず、調査も行われず被害は潜在化して見かけの被害者だけが減るが、気づけなくなってしまう)
これも優生思想的ですよ。
原発事故の時もこれがわからないひとがたくさんいた。
新型コロナウイルスは、この社会の優生思想をさらに徹底的に暴露しています。
優生思想は、検査を受けさせない、病床が足りなくて治療を受けられないという形であからさまになっています。