細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

コロナ軽視とトランプ主義と全体主義的な命の軽視(優生思想)に抗して

すぐ「命の選別」みたいな発想になるひとが多いがそういう発想と、「コロナは風邪」「検査抑制」は一体であろう。

コロナは「大したことない」といってしまえば、重症者、後遺症患者は切り捨てられてしまう、
「検査抑制」といえば、感染抑制策である「検査と封じ込め」は「やらなくてよい」話にされてしまう。

医療機関の負担緩和のため、5類感染症にすべき」という話も、軽症者の急速な重症化、重症化した際の高度医療、感染抑制のためには、軽症、無症状者の隔離保護はしっかりやらねばならない、変異種への対応などを考えると、総合的に莫大な予算と高い医療水準の維持が必要であることを考えると、無茶な話だと思います。

いずれもコロナ感染対策は機能不全となり、溢れかえる患者が増え続ける。
「コロナは風邪」のトランプ勢力の問題は深刻だ。
アメリカのように莫大な検査をトランプの横やりにも関わらず維持していても、市民社会にコロナやコロナへの感染対策を骨抜きにするトランプやトランプ支持者の言葉がまん延し、マスクの人混みでの着用など、一般的な感染対策をやらない人が増えると、いくら検査や高度医療ができるアメリカでも、感染抑制は困難だ。
左派や理念への呪詛が人種差別と陰謀説を呼び起こし、トランプのような人を崇めて、破滅の笛吹トランプとともに、コロナと地球環境危機を無視して崩壊するだけだ。

バイデンの良し悪しの問題ではない。
トランプ的な思想では、単に他者及び自分の人生の否定にしかならない。
その意味で水晶の夜に類比したシュワルツェネガーは妥当である。

「自分に生きる力が湧いてこない」という話は「自分の人生が否定された」から起きる。
そのことを人間一般の否定に置き換えれば、あなたの人生も再度否定され、あなたは、初めにやられた否定をまさに自分自身が執行して自他の破壊に至る。
これはあなたに振り下ろされた人生の否定の拳を振り払い、生き直すことではない。
あなたを否定した拳を自分に振り下ろし他者に振り下ろす地獄の再現だ。

そのようにして、ファシズムは、広がるのだ。

私がいうのは綺麗事ではない。
自他の命に対する無理解がファシズムを生むのであって、ファシズムこそは空疎な観念なのである。

全体主義ファシズムも傷をいたわることではない。
傷を深める。
そのような命の話なのだ。