細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

鍼灸のーと−共鳴

元気という言葉は、すごく苦手だ。なぜかというと、よく元気がなくなるから。

 けど、元気の〝気〟は気持ちの〝気〟や気分の〝気〟だ。もちろん、辛いと思えることもしばらくしたら、いい経験になるということはざらにある。しかし、いい気分とかそういうのがないととても生きていけない。
 病気をしてから、しんどいことを我慢する力が弱まった。逆に言うと、いい気分がない暮らしはいやなのである。いやというか、あんまり苦しいと体がガタガタになる。朝起きると腰が辛い。忙しくしようとすると、もう息が切れている。緊張が続くと肩や背中がおかしくなる。イライラする。切れる。泣けてくる。ドヨーンとする。

 というわけで、さらにわがままの度合いが深まっている。深刻だ。あんまりわがままだと、世を生き抜くのに差支えがある。けれど、しんどいと体と心が滅茶苦茶になって、余計にひとに迷惑をかける。だから、涙を飲んで、わがまましようと思うのである。

 といっても、元々自分の気持ちに蓋をしがちな私は、「わがまましよう」と思い立っても、何がしたいのかよくわからん。なので、鍼灸とかマッサージは気持ちいいよなあとか、体が苦しくてやってられんてことで始めた。

 全然深い意味なし。しんどい→鍼灸とかマッサージ。
 
 けれど、そこからいろいろ気づいたのである。

 ①体を温めると気持ちいい
 ②自分でやるのも気分いいが、人におまかせも気分がよい
 ③結局自分が変わろうとしている。
 ④自分の暮らし方を自分に合うものにしないと苦しい。
 ⑤体は思ったより、おもしろい。

 以上①〜⑤にまとめたがあまり意味はない。めもっておく。

 けれど、先生にお灸されながら、あるいは揉まれながらお話していると、いろいろ思いついて楽しい。先生は医学とか、東洋医学の勉強をした人だが、一人の自営業者である。商売人と話すと俺のような引きこもりには刺激になる。

 こんだけ暑いと体がまいる。つまり、熱というのは使いようで、気分よくなったりしんどくなったりする。けれど、わかることはお腹がぬくいと安心し、落ち着いてものを感じたり考えられるということだ。いわゆる頭寒足熱。

 安心して落ち着かないと、まずまともにこれからのことを自由にイメージできない。結局体が辛い状態ではなかなか充分な決断は下せない。もちろん極限状態で冴えるってこともあるが、それは今は置く。

 安心して周りの世界と打ち解けると、逆に「これは俺にとってきつい」「これは気持ちいい」という感覚や判断がしやすくなる。わがままの目覚めである。

 わがままになって素になったら嫌われるということもたくさんある。なにしろ、いくら世の中に合せようとしても、ご褒美はないは嫌われることはあるはなのである。であれば、変に義理立てすることはもうない。つまり、「打ち解ける」は世の中に無理に合せるではないのだ。
 
 こんなの鍼灸と何の関係もないと思われるかもしれない。けどね、もうちょっと聞いてください。
 自分の体や心の辛い場所がツボとか経絡って形で、具体的にわかる。だとすれば、自分が楽である、気分がよいということへの感度も上がるはずだと思ってる。
 周りの世界との関係や距離を感じるということは、自分が楽に生きる上で大切だ。けど、自分の状態を知ることができなければ、相手や周りもつかめない。自分の気持ち・感覚・考え方・欲望を知る。そうしてしか、周りを知ることもできない。
 
 
 堅苦しい文章ですまない。けど、鍼灸やからだのことを知るのは、僕にとって今のとこ必要だ。

 僕は今なんとなく全体的にしんどい。
 正直元気になりたい。
 
 体を押されたり、暖まったりしてくると、最近からだが辛くて、何もみえなくなっていたんだなと思う。それくらいジワジワすっきりしてくる。つまり、あえて使うと自分と他者と「共鳴」できていなかった。深いところで、様々なことを感じて知るってことができなくなっていた。フィルターが目詰まりしているのにそこから色んなものをだそうとしていた。でるわけないよなあ。
 すげえ、いらいらしていた。泣きそうであった。

 少しずつそういうことに気づくと、自分を暖めて落ち着かせていろいろな人や、風や音や光をぐんぐん感じたい・知りたいと思ったのです。風が気持ちいい。雷が恐い。静かな場所がいい。時々にぎやかになる。例えばそういうことで、いろんなものと共鳴して、自分のしたいことを深めたいのです。

整体。共鳴から始まる―気ウォッチング (ちくま文庫)

整体。共鳴から始まる―気ウォッチング (ちくま文庫)

片山洋次郎は整体の方で、野口晴哉を批判的に継承している。「共鳴」という言葉はこの本をパラパラ眺め、インスパイアされたものです。