細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

やる気・のん気・陰気

 今年の春頃から、私の親しい人が、「私は仕事ができない。ダメだ」といっている。でも、他人の「できない」「ダメだ」という感覚を受けとめるのはむずかしいぜ。
 つうか、「こうしたら?」とか「こう考えてみようよ」といってみたのだが、どういっても「そんなに簡単ではない」みたいなことをいいつづける。それが一月くらい続いた。そしたら、もう夏前には私がキレテシマッテダメだった。
 もしかしたら、あのひとはうつ病なのかもしれないが夜も寝ているようだし飯も食っている。

 参ってしまった。私にはあのひとの「ダメだ」という感覚がわからない。一生懸命傾聴しようとしても、必ず俺理論がむくむくもたげてくる。ほんまは、しっかりあのひとを受けとめないといけないのかもしれない。しかし、俺のエゴが勝つし、俺はすぐイライラして怒るようになってしまった。きっと俺理論が通用しないあのひとの現実があることが非常に悔しいのだ。それで、あろうことかあのひとの言動にもたもたしたものを感じるようになった。

 しばらくして俺も鍼灸に通うようになり、自分の体のこころのつらさは少しずつマシになり始めている。けれども、あのひとはずっと悩んでいる。お互いあのひとの仕事の悩みについてあのひとがいいだすことも俺から聞き出すことも少なくなった。おたがいしんどいから避けていたのだ。

 今日少し話したがやはり難しい。時間はかかるのだろう。けれど、どこまで俺が介入できることなのか、それは俺が適任なのかわからなくなってきている。でもとにかくまあしのごう。

 最近筒井康隆のブログを見つけた。
http://shokenro.jp/shokenro/book-cover/
 
 なんか力抜けるおもしろさ。筒井さんはそんなファンでもないのだが、このブログ、渋いかんじのとほほ感という奇妙さがオツである。

 「手を抜け〜気を抜くな〜」(by奥田民生)そういう感じでいこうかな。力抜け、気も抜け、国家試験勉強はちょっとずつでもやるぞよ。

 あとバイト探し。ええ年してと思われるかもしれないが何年も重度メンへラーであったので、仕事をやれそうな気がしてきたのが奇跡である。なにしろ年金もすくないし貯金もそこをつこうとしているから。金ないと最低限出かけたり、本買ったりもできなくなる。ライブいったり遊んだりしたいし(高校生か俺は!)