細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

あきらめずに感じ考えてやっと人のあたたかさが感じられつつある気もする

原発とか天皇制とか、難しい政治の話を書いてるように見えますよね。

違います、私の場合、あれは、私がぶつかってきた現実、リアリティ、心に感じたことを納得するまで、感じ考えてきて書いてるんです。

原発は中学生の時に考えたのが初めてです。
チェルノブイリに感じた怖さと、風の谷のナウシカについて感じた深い精神的な衝撃、もんじゅやJCOの時もモヤモヤしてました。
しかし深く突き詰められなかった。
311を迎え、時すでに遅し。
でも、とにかく考えるしかない。
環境が汚染され、それが数十年から数万、数億年に渡る。私たちが生み出してしまったものは、私たちで担いきれないという意味で、これは人類の限界です。

私たちは限界を知って生きねばならない。
でもそれは原爆や731、ホロコーストの時から提示されていた話だ。
また、戦争で危うく生き延びた祖父も、生きている中で、あの戦争が深い影になっていたのは感じていた。
社会派だからじゃなく、自分の深いところの話を、政治はめんどくさいから知らんみたいな処理はできない。
ここで、妥協できないから生きづらかった。

大学の時山本という政治学者に、民主主義について教わった。
山本先生は、歴史や思想に深い造詣があり、政治や社会の問題を必ず、人の生き方や歴史の中で生きている考え方や感じ方と関連させて考えていた。

私は自分がなぜいじめられてこんなに辛いかを考えていた。日本人の多数派のあり方が私を追い詰めていると感じていた。
戦争や原発の間違いを認めないで勝手な決まりを押しつけるありかた。民主主義がないから、一人一人の感じ方考え方がまず大事にされないからだと思った。

感じ方や考え方の問題をまずニーチェを読んで考えた。たった一人で感じ考えていくことの厳しさ、生きられないかもしれないという厳しさを感じながら大学を出て、詩を書いたりしてきた。
やがて、精神疾患発達障害のことを考え、私が独特であって、仕方ないしかまわないと考えるようになってきた。
それを愛し認めてくれた人に感謝している。いま、そしてこれから愛してくださる人を思う。

私はやはり突き詰めて考える。
イシカワはなんでこんないつもキリキリしているのだと。
しかし、私は今まで納得いくまで考え感じないと生き延びることができなかった。
その個性を肯定してくださる方、私の言葉から何かをひきだしてくださる方がいるのだと感じることがやっと感じることができるようになりつつある。

私は嫌われたり、嫌がられたりばかりが気になっていたが、私のあり方を肯定してくださる方がいること。それを感じるようになるまで40年以上かかった。
そのような信頼というもの、互いの違いを知ることにしかこの社会は一秒たりとも続かないってこと。