細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

柏崎刈羽原発の敷地内活断層の懸念。規制委と東電は地質学者と議論を継続すべきで審査合格は性急かつ危険。国と電力会社は原子力発電国策の過ちを認めているのか疑問でならない。

開いた口が塞がらぬ。あまりに反省なき政府、東電柏崎刈羽原発6,7号機審査合格へ - 細々と彫りつける http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/2017/09/01/214725

昨日審査合格の方向と聞き、あまりにショック。 批判する記事を書きました。

さらに今日調べておりましたら、なんと新潟県の地質学者たち「柏崎刈羽原発活断層問題研究会」が柏崎刈羽原発の敷地内に活断層を指摘しています! しかも「4回目となる要請書では、学術的な問題点を指摘し、規制委の聞き取りにも応じる意向を示したが、これまでに反応はない」と規制委は、研究者たちの指摘に誠実に応じてないことがわかりました。 これは5月30日の記事で、3ヶ月前から議論は進捗したのでしょうか?

柏崎刈羽原発:断層審査4回目要請 規制委に研究会 年代の主張補強 /新潟 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170530/ddl/k15/040/037000c‬ ‪「柏崎刈羽原発‬ ‪断層審査4回目要請 規制委に研究会 年代の主張補強 /新潟‬ ‪毎日新聞 2017年5月30日 地方版‬

‪ 東京電力柏崎刈羽原発敷地内の断層が「活断層の可能性がある」と、地質学者で構成する「柏崎刈羽原発活断層問題研究会」は29日、原子力規制委員会に、断層の活動年代を科学的に審査し直すよう求める要請書を提出したと発表した。4回目となる要請書では、学術的な問題点を指摘し、規制委の聞き取りにも応じる意向を示したが、これまでに反応はないという。【内藤陽】‬

‪ 東電と研究会には、断層が通る地層に含まれる「刈羽テフラ」と同研究会が柏崎市内で見つけた「藤橋40」は、同一の火山灰との共通認識がある。だが、年代は東電が「20万年前」と主張、研究会は「12万~13万年前」とし、見解が異なる。‬

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‪ 研究会は現地調査を踏まえ、同市軽井川の12万~13万年前の地層で見つけた火山灰が、藤橋40より下にあるものと化学組成が似ていることから、刈羽テフラの「12万~13万年前」を補強するものと提示する。一方、東電は軽井川と藤橋の火山灰を「同じものと断定するのは難しい」と反論している。‬

‪ 記者会見で研究会の立石雅昭・新潟大名誉教授は「規制委は東電の説明をうのみにせず、問題が指摘されているのだから、それを解明する努力をすべきだ。それが県民に対する責任だと思う」と訴えた。」‬

研究者たちは、活断層の存在を示す刈羽テフラが、「藤崎40」の直下にある火山灰と成分が酷似し、13万年前のものであるとしています。 つまり現在柏崎刈羽原発がある場所に13万年前からの活断層が存在する証拠であると。 これだけ新しい活断層があれば、規制委の新規制基準に適合しない、不合格の可能性が出てきます。 東電はそれに対し、20万年前のものだと反論しています。 柏崎刈羽原発中越沖地震が襲い、敷地内に段差ができケーブル火災を起こし、建屋の揺れから燃料プールから水が漏れました。 その教訓から当時の新潟県泉田知事は、東電に震災対策を要求し、福島第一原発に免震重要棟が出来、福島の事故対策拠点になりました。

これまでの経過をたどりますが、重大な懸念が提起されてますから、規制委は、田中委員長の退任に関係なく、科学的に十分な議論を続けるべきです。東電や規制委は、新潟県の地質学者団体と十分に議論すべきですから、予定されている審査合格を出すべきではないのではないかと私は考えます。

4月18日の記事。

柏崎刈羽原発:敷地内に活断層か 13万年前以降に活動 -毎日 https://mainichi.jp/articles/20170418/k00/00e/040/240000c 「新規制基準では12万から13万年前以降に活動した可能性のある断層は活断層と評価されるだけに…再稼働の判断に影響を与える可能性」

4月21日の記事

「全面的見直しを・・研究会メンバーで新潟県の技術委員会委員、立石雅昭新潟大学名誉教授の話 

 研究会は昨年1月にも、東電の公表資料から藤橋40と刈羽テフラが同一の可能性があると指摘し、規制委に検証を求めていたのです。規制委がそうした指摘に真摯(しんし)に向き合っていないことが問題です。これまでの調査・解析結果を全面的に見直すよう、申し入れたい。

(「しんぶん赤旗」2017年4月21日より転載)」 http://jcpre.com/?p=13652

4月27日東京電力資料

東電の主張 「 当社は、広域に分布した火山灰の確認、地層の堆積の様子、化石分析など様々な角度から分析を行った結果、刈羽テフラは約 20 万年前の火山灰と評価しています。 〇当社の評価結果は、原子力規制委員会からも概ね妥当と評価」 http://www.tepco.co.jp/kk-np/data/publication/pdf/2017/29042704.pdf

5月27日の記事

柏崎刈羽原発活断層問題 東電本部長「議論の余地なし」 柏崎、刈羽で説明 /新潟 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170527/ddl/k15/040/102000c姉川氏は…「もう少し主張の根拠が明確になれば、具体的な議論の仕方についても生産的な話し合いができる」」

5月30日の記事 https://mainichi.jp/articles/20170530/ddl/k15/040/037000c 柏崎刈羽原発:断層審査4回目要請 規制委に研究会 年代の主張補強

「4回目となる要請書では、学術的な問題点を指摘し、規制委の聞き取りにも応じる意向を示したが、これまでに反応はない」

特に、東京電力福島原発事故の被害者に十分な補償を行わず、莫大な訴訟を抱えていますし、政府を通じて、原発事故費用を税金に転嫁しているわけです。また旧経営陣の刑事告訴も終わっていません。 本来ならこれだけの大事故を起こした企業は、社会的経済的な責任があり、返済不能な負債がありますが、政府は、東電の再建と賠償資金の補填を同時に行うスキームを立ててしまいました。 ゆえに東電は普通の企業なら倒産する事故を起こしながら、建前では補償のためだといいながら、経営再建し再稼働しようとしています。 原賠機構にしろ、規制委にしろ、東電の再稼働を助けることになっています。 しかし、まだまだ福島被害者は苦しんでいますし、国や電力会社が原子力発電について根底的に姿勢を改めたとは見えません。 その上再稼働とは、誰しも納得しがたいのではないでしょうか。

夏休みを終え死にたい子どもになんて話したらいいか、決まった答えなんてあるわけない。決まった答えがないこと、枠にはめないで必死に生きる中に生まれる問いに正直になりたい

人間の生き死にを誰が決めれるだろう。誰も決められない。人間が生きている間にする行為や言葉はいくら賢ぶったとしても、決定的な意味を持たないのだ。

誰も決められないからこそ、いろいろな取り組みがあり得るのだ。

「学校に行こう」とか「学校に行かなくていいよ」とか、そういう是非を議論したり、推奨できる行為や非行為があると思うということ自体「学校的な言論」である。

そんな学校的な言論こそいらない。 大人であれ、子どもであれ、まず学校なんかより、必死に生きている人がいることが大事なのだ。

必死に生きているからといって、絶望して死ぬかもしれないし、なんだかわからないで生き続けて、やってきたのかもしれない。 どうなるかはわからない。だから生きることはすごい。 なぜか今こう生きている理由を誰もはっきり語れない。 それがすごい。

まず、誰もが必死に生きているとわかると、比べるとか比べないとかではなく、なんとか生きているだけなんだとわかると、なぜ頑張るか、頑張らなくていいのか、なぜ愛するのか、なぜこの場所にいるのか、問いが深くなる。 問いが深くなることが大事だ。 答えより問いは広がりを与えるからだ。

叫んだり、黙ったり、抱き合ったり、軽蔑したり、笑ったり、君になんて言っていいかわからなくて泣いてしまったり。

それらはすべて「学び」である。「学びの場所」である。 何もかもから私たちは学べる。 なぜなら人生に決まった意味などないからだ。

私はいじめられても辛抱して学校に行き、ズタズタになった。 今は好きに生きたいと少し思えるようになってはいる。 なぜ生き延びれたかわからない。 運が良かったからなのだろう。 そうとしか言えない。 わからないことだらけだ。 説明なんかつかなくていいじゃないですか。

今絶望し死にたい子どもがいて、私のような子どもがいて、私はかける言葉はわからない。わからないからもがいて、もがいた姿を人に見せるしかないだろう。 必死にやらないと、誰も信じないから。

簡単には誰も信じないということに、人間の思考や感覚の自由がある。 舐めてはいけない。

私たちは人間を舐めすぎているのだ。

それが私たちの絶望の正体だ。

開いた口が塞がらぬ。あまりに反省なき政府、東電ー柏崎刈羽原発6,7号機審査合格へ

政府も東電も、本気で原発事故をなかったことにしようとしているのではないか。福島第一原発事故はわずか7年前。何も終わっていない。それどころか被害者への償いはオリンピックまでに打ち切り、事故を起こした企業が再稼働しようとするとは。国がそれをさせるとはあまりにひどい。 あまりにも、あまりにもひどすぎます。

柏崎刈羽原発、審査合格へ 福島事故後、東電で初 | 2017/9/1 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/276313584263300603新潟県東京電力柏崎刈羽原発  原子力規制委員会が、東京電力が再稼働を目指している柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の審査で、近く事実上の合格証に当たる審査書案を取りまとめる方針を固めたことが1日、関係者への取材で分かった。規制委の田中俊一委員長が退任する18日までに結論を出すため、6日の定例会合で議論を始める。2基は福島第1原発と同じ沸騰水型で、事故を起こした東電原発が、審査に合格する見通しとなったのは初めて。

 第1原発廃炉作業に収束のめどが立たないまま、規制委が東電に再稼働への「お墨付き」を与えることに国民の理解が得られるかは不透明だ。」

他の人がスタスタ歩いている歩道で全力を出してもスローモーションにしかみえなくて、自分でもイライラするー改めて自分の自閉症スペクトラムの社会性の障害を再認識

まえ、1人暮らししようかなと。けど私は見た目よりは障害は重くて。 なので、背伸びして焦ってはいけないと。

親の理解は少し進んで、家にいても苦しいことは減りました。 あとは、いきなり1人暮らし!とかではなくて、日中通える場所が出来てからと思っていて、候補はないわけではないですが、一歩一歩がものすごく遅いし、度々後戻りするので、焦りは禁物と。 皆さんも暖かく見ていただけたらと。 普段からあたたかい言葉をいただきありがとうございます。

で、けっこうグチっぽいこと書きます。

自分が障害があるということがわかって、自分の生きづらさを少し理解できて、昔よりは絶望しなくはなりました。

僕の障害というのは、難しい漢字を読めたり、難しい本とかはよく読めます。つまり言語性の処理機能はすぐれているようです。 しかし、かなり真に受けます。真面目だからではなく、間に受けて、強いショックを受けます。 防御膜が弱く、打撃からなかなか立ち直れません。普通なら打撃受けないような場面でもやもやと苦しみます。 しかもそれを感じて出すまで時間がかかり、緊張するとすぐ出せなくなります。 安心感が低いのです。

しかし賢そうに偉そうに話せるから、いつもヘラヘラしてるのに、何モタモタしてるのか、ふざけてるのか、やる気がないのかと、いろんな人を心配させる。 僕はつまらないことで、へばって前に進めないだけなんです。普通の人と同じふりをすると、すごいしんどいから出かけると気疲れでへとへと。 関心のないこと、関心のあることが、はっきりしてすぎていて、ユニークな反面人付き合いに苦労します。

感覚が過敏なのもありますが、基本は、発達がゆっくりなようです。社会性みたいなものの発達がゆっくりです。 プロセスの一つ一つにつまずき確かめながら進みますから、他の人が一年でやることに10年とか本当にかかります。

例えば1人暮らしとかだと、普通なら賃貸情報をチェックして、不動産屋に行く過程で、自分の収入とか状況を整理して、1ヶ月とかで具体的な作業ができると思う。 しかし、私の場合、普段から明日の予定すらもなかなか立てれません。 どうも心身が不安定なんです。 強い不安が襲ってきて、いろんな人に泣き言を整理してもらい、それに2ヶ月くらいかかり、その間に親や友達といろんな話をして、やっと冷静さを持ち、みんなと障害について理解し合うことができました。 次の2ヶ月でも、1人暮らしはいきなりしんどいなと。で、まず昼間に通う施設を見つけようと。 これを探し始めるのにいろいろ悩んでひと月かかり、気づいたら夏。 夏に一か所に見学に行き、それを考えるのには半月、もう一つ見に行こうと、最近行って、はあつかれたなと。 これで4月から始まったことがもう9月。

普段より頑張っても、人の何倍も時間かかり疲労感が強まり、投げ出しそうにもなったりします。

一つ一つ確認し整理してという自閉症スペクトラムと、人をなかなか信じれないパーソナリティ障害傾向と。

穏やかに安心したり、人を信じれたりしたらいいですが、これだけ話した時点で、優しい人でも疲れさせてしまい、話を深めるのが難しい。

実際このくらいな感じでも、ひどい時よりはマシなんです。 本当なんです。

わかりやすくいうと、他の人がスタスタ歩いている歩道で全力を出してもスローモーションにしかみえなくて、自分でもイライラする。 あるいは雪山登山フル装備で平地を歩いていて、けつまずいて大騒ぎみたいな。

しかしここ数ヶ月は、梅田で街宣したり、何軒か集会に行き、ブログもかなり書いていて、ヨガも運動もしてるから、もしかして、昔よりはかなり元気かな??

私の毎日の気持ちのしんどさと障害

精神障害者のコミュニティべてるの家で「お客さん」というらしいですが、嫌われてるんじゃないか、私はダメなんじゃないかという強力な想念は私はあります。
それは客観的な事実より強いもので昔は囚われると出かけられなくなりました。
今はあまりにも寂しい気分やモヤモヤで現実が見えにくくなる感じ。

 

昔はべてるの話がよくわからなくて。最近べてるについての本を読んで、前よりわかるようになって。

私は幻聴はないけど、現実や言葉や他人の気持ちの変な解釈から、嫌われてるとか、もうダメだとかなるのはあります。これは気にしすぎとか思い過ごしよりかなり強め。
最近は障害特性について理解が進んだから扱い方が少しわかりましたが、私も自分の苦しみの全貌はよくわかりません。

とにかく自閉症スペクトラムは、やっぱり、他人の言葉や仕草や表情から受けとるクオリアみたいなものがなんか他の人と違うから、他人とうまくつながらない。全く他人の気持ちがわからないんじゃなく、受けとるやり方が違うからすれ違う。

それと、私はパーソナリティ障害もあり、自我が脆いなと思う。毎日不安で人を信じるのがうまくならない。信じすぎたり不審すぎたり。

 

で、寂しさというのは、他人への飢渇感を生み出しまして、喋れる人とはえんえんしゃべります。
健常者には話がくどい、うざい奴と見られてしまうから、うまく話そうとして逆にホンネが話せなくなる。
でも寂しさは言葉ではなかなか埋まらない。
最近は他人と話しながらヒントを見つけられるようになりましたが、本当は自分と相手の接点がわからずよくカオスになってる。

ヨガをやるようになってから呼吸とか脳の疲れを癒すとか大事だと思うようになりました。
しかし余裕がない場所や疲れがたまりやすくて、たまると強力な「お客さん」や寂しさに襲われますから、体力気力をメンテナンスしないと、やばいです。
私がなんでも、あまり疲れないようにするのはそのため。
書くのは脳を整理するためです。

たぶん、書かないと頭がヤバくなるんじゃないでしょうか。
でも書くのは疲れる。
しかし現実との距離がうまく測れないのは、やっぱり書いて整理した方がよい。
整理というか、脳の中が片付いてないといろいろ蹴つまずくから。
かっこいいからじゃない。

昔は向こう三軒両隣に嫌われてる妄想とか、知らない顔の人も見つめなきゃいけない強迫観念とか、絶対僕は病気になってて死ぬだろう観念とか、妥協したらあかんから決裂しきる強迫観念とかあって、大変でした。
今はだいぶマシだけど油断したらまたでてくるかもしれなくて、油断できないし、本当に。
毎日疲れる。

 

私のおじいちゃんと、戦争ー今日日本人が忘却したタイ侵攻

 

私の祖父は、太平洋戦争開戦直後、タイに派遣されたようです。

南方の密林で、銃撃戦になり、弾丸が命中し、胸に小銭のたくさん入った財布があって奇跡的に一命を取り留め、日本に帰ってきて、結婚し、私の母や母の姉は育ったということを帰省の折に、私は何度も聞かされました。
祖父の部屋には、穴の開いた札やひしゃげた小銭があり、私は小さい時大変なショックを受けました。
もし戦争で祖父が死んでいたら、私の母も私もいなかったのです。

どこで、戦闘になったかまでは、詳しく知らなかったので、祖父が亡くなったあと、母に聞いたところ、派遣が開戦時なこと、母がうろ覚えの地名を戦史や地図をもとに探すと、タイのプラチュワップキリカーンではないかと推定しました。

そこで日本軍が真珠湾だけでなく、開戦時タイと戦闘になっていたことを初めて知りました。

タイと日本は友好国でしたが、日本軍はマレー、ビルマを侵略するため、タイの領土をかなり強引に軍隊で通行しようとしたのです。

タイ政府に打診したが、タイの首相は不在。
タイ国境警備隊に連絡が行かないまま、日本軍はタイ国境を渡ったり上陸したりし始めました。タイ国境警備隊と戦闘になりました。
その1つが海沿いの町プラチュワップキリカーンという町です。プラチュワップキリカーンは、細長いマレー半島の付け根から南に細長く伸びた町。

すぐに停戦しましたが、死者が出ました。

山下奉文らが真珠湾攻撃とほぼ同時に、英仏が支配していたマレー半島に奇襲的に侵攻したというのは、真珠湾攻撃に比べて、あまり知られていません。マレー半島に侵攻するとき、最南端のタイに日本軍が押し寄せたわけです。

右派は、英仏から植民地を解放するためだと言いますが、英仏を撃退して日本軍が駐留したのだから解放でもなんでもありません。支配者が変わっただけです。

インドまで手を伸ばそうとインパール作戦を企て、結局自爆的に敗北して、どんどん負け続けたのです。

連合国が素晴らしいとは思いませんが、日本は自軍の兵をこき使い、タイの人々やたくさんのアジアの人々を殺し、傷つけたのは事実だから、反省すべきです。

私の祖父がこのような戦争の現場にいたというのは、辛い事実でもあります。

生きて帰って来たのは幸いでしたが、なぜアジア人同士が殺し合わなければならなかったか。日本の引き起こした戦争は、私たちが悔い、反省し、二度と繰り返すべきではありません。

 

このような不幸を繰り返すべきではないということを私は小さい時から思っており、故に、戦争反対や原発反対の運動なんかくだらないとか、馬鹿にされて言われると、右翼だろうが誰だろうがどんな人とも真剣な議論になり、疲れてしまいます。
私はアスペですし、神経の疲労を与えないでほしい。戦争や原発は悪しき政治、私たちのうかつさから生じる話なので、真面目に考える人が増えるのを真剣に望んでいます。
真面目に考える人が戦争体験者が亡くなり、少なくなり、私は悲しくて疲れて、心配でなりません。

私は祖父の頬や足に刻まれた傷や胸のあざ、銃弾で砕けたため20過ぎからはめていた入れ歯を思い出しながら、そう望んでいます。

 

 

以下歴史学者林博史さんの記述より

「一九三九年に第二次世界大戦が始まりアジアでも戦争の気配が濃くなる中でタイは中立を維持し、戦争に巻き込まれないように努めていた。

 すでにインドシナに進駐していた日本軍は、マレー半島ビルマに攻め入るためにタイを通過する必要があった。タイは独立国なので事前にタイ政府の承認が必要だが、そのための交渉を早くおこなうと開戦の意図が連合国に漏れてしまい、奇襲でなくなってしまう。そこで日本は開戦前夜の一二月七日夜にピブン首相らを招き、日本軍の通過を認めさせようとしたが、ピブン首相は姿をくらませてしまった。そのため日本軍はタイ政府の承認なしにタイに侵攻し、迎え撃ったタイ軍と激しい戦闘をおこなった。しかしタイ政府はまもなく日本軍の要求を認めて停戦した。

 日本軍と戦っては勝ち目はないが、中立国として日本軍の要求をかんたんに認めることはできないという意地がタイにこのような行動を取らせたと言えるだろう。戦後、日本軍と戦ったタイ兵士のために立派な記念碑が建てられ、現在でも彼らの戦いは高く評価されている。

 こうしてタイは実質的に日本軍の支配下におかれ、日本軍はマレー半島ビルマへの侵攻の基地として利用した。占領地のように振る舞う日本兵は、敬虔な仏教徒であるタイ人が敬う僧侶を侮辱するなどして反発をかい、怒ったタイ人たちが日本軍を襲うというバンボン事件までおこった。こうした中で、タイ政府は日本軍に表面的には協力する形をとった」

http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper01.htm

http://www.mekong.ne.jp/directory/military/thaishinchu.htm
https://i.4travel.jp/travelogue/show/10964283

日本の戦争責任からの逃避とアメリカの原爆使用の罪からの逃避が、安保体制と内部被ばく軽視に帰結。この流れは福島原発事故につながってゆく

日本人は原爆被ばくの謎が解けていない。原爆被ばくは、アメリカとそれにつく日本が作り上げた核体制の被害評価の根底にあります。それを外部被ばくだけの被害に抑え込んで、核実験と原発開発を強行したのです。
被ばく問題は、戦中から戦後世界支配までを貫く日米核体制の交差点にあります。

 

日米核安保体制は、相互依存関係です。
非道な世界初の核使用により、戦争を終わらせ戦後世界の覇者となったアメリカは、自らの核使用の原罪を問われたくない。日本は天皇中心の国家体制がアジアを巻き添えに無茶な戦争をした戦争責任を問われたくない。
その二者のご都合が日米同盟を生み出したのでは?と私は思います。
日本という最初の核被害国に、原子力発電を開発させるのは、世界最大の核と原子力PAになります。アメリカはプルトニウム量を監視し軍事転用をさせない。他方日本はアメリカの非道な原爆投下やアメリカの侵略戦争を不問にし、むしろアメリカを支援する「平和憲法の国」としてアメリカは日本という「核被害国」で「平和国家」に戦争を手伝わせ、戦争に正義の意味を付与します。他方日本は、平和憲法の国として、アメリカの戦争特需を通じて科学技術と経済を発展させました。

自分でも怖いほど腑に落ちる仮説です。

そして、日米の相互依存的な核体制を支えるのが、核や原子力は、生物と人間の存在と尊厳を危機に晒さないというお話=内部被曝大したことない仮説です。
原爆の放射性粒子を無数の有毒な微粒子とみなした場合、核兵器は、大量破壊する爆弾の要素と毒ガス兵器の要素を併せ持ちます。
内部被曝が平気なら、核兵器も通常の爆弾の延長になります。なぜなら、致死量の外部被ばくを浴びる位置にいるなら、放射線障害と火傷、両者の複合で死んでしまいます。日本政府が2キロ圏以上の原爆症認定を渋るのも背景にはアメリカのTDやDSの核被害評価があるのではと私は思います。原爆投下後、ファレル准将は「死すべきものは全て死んだ」といいました。アメリカ軍にとって、内部被曝の後遺症で死なれると、核被害の非人道性が明らかになり世界から非難されます。だからアメリカ政府と日本政府は内部被曝や後遺傷害で亡くなる被爆者の情報が流れないよう、検閲をしたわけです。この事実は、繁沢敦子さんの「原爆と検閲」に詳しいです。圧倒的な支援不足と情報統制の中、地元医師や被ばく者が被ばくに悩む中、ABCCは被爆者の生体や遺体のデータ入手に奔走しました。彼らの犠牲を日米核体制は、都合よく切り貼りし、ICRP体系の権威付けと内部被曝の隠蔽に活用したわけです。

 

これらの機微を理解している被爆者や医師や研究者は亡くなりつつあります。
しかし、このような大掛かりな核体制による内部被曝隠蔽の発祥地が日本なんです。日本の足元の問題を見ずに、チェルノブイリや海外情報の話をするのみでは内部被曝解明には限界があります。

 

何しろ、世界最大の被爆者データを収集している長崎大学広島大学放射線影響研究所があるのは日本です。鎌田七男や大瀧慈は広島大学にいながら、内部被曝の重要な知見を積み重ねた人びとです。しかし研究だけでなく最後は被爆者の証言が重大なのです。

被爆者は、おそらく一生をかけて、原爆放射能に向き合わなければならなかったのです。彼らの証言こそが逆に科学的発見に正当性を与えるとさえ私は思います。
人間のナラティブと存在が科学に先行するとなれば、これは科学文明にクサビをうつことにもなるし、私たちの倫理の核心にもなるでしょう。

私たちが原爆の被害を知ろうとしてはじめて被ばくについて、確かさを持ちうるかもしれません。なぜなら私たちがなぜ核を原子力を許せないかの理由がわかるから。
原発事故と核被害の原点から、戦後のそして未来の世界を見ることができるから。

 

いたましい原爆被害と被害者の、核被害のすべての御魂に、祈りましょう。

 

これはここ数年の拙い考察から得られた見取り図です。

 

間違いもいくつもあると思います。仮説です。

 

ここから福島はつながるのです。