細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

向谷地さん来阪

 http://www.google.com/calendar/event?eid=bmc4aWpvbXI2dW5rZnNrNXNtNnVidHBpdmMgZS1tYWlsQG1jbWVkaWFuLmNvLmpw&ctz=Asia/Tokyo

上記リンクのとおり、べてるの家の理事で北海道医療大学教授の向谷地生良さんが来阪するようだ。べてるの家といえば、行ったことないのだけど精神障害者の当事者の活動とか浦河という過疎化した地域との連携で注目されはじめたのが10年位前からか。
 その頃から私も病気っぽかったので、ある種のアジール(駆け込み寺?)なのかなとべてるの家のことを感じていた。一度行ってみたかった。自分が救われたかったんだろうなと思う。生き辛さとか息苦しさみたいなものを感じていて。しかし大阪という土地で生きていく中で、今のところはここで踏ん張っていこうかなと今は思っているし、何よりどこかに理想郷があるというような思考を昔よりはしなくなったのかもしれない。もちろんべてるの家の人たちは自分たちのところをユートピアと思われるのを拒否していたように思えるのだ。が、しかし大方精神医療や福祉のニュースが表に出にくく、べてるの家に視線が集中したり、べてる自身も精力的に外へ自分たちを知らせるようにしていたという事情もあったように思う。そのために私自身も過大にべてるのことを捉えすぎていたように思う。

 本質的にはおそらく様々な取り組みがあり、べてるもその中のひとつなのだ。しかし私が本で読む限り、べてるにはきれいごとではなく、つまり病気は嫌なものだけど自分の人生の大きなイベントとして肯定的に捉えかえしていくという当事者自身の声があったようにも感じたのだ。しかし当事者と支援する人たちがどのように共同で作業しているのかがとても今は気になっている。それはこれまで私が精神障害者医療や福祉の利用者だったことから、自分を顧みたり周りの友達や支援者とつきあっていたのだけど、実際他でやっている人の声も気になる。
向谷地さんのソーシャルワーカーの専門家としてのお仕事が最近は前景化している気がしていて、それはある程度仕方の無いことだし、意義のあることだけれど、向谷地さんの関わり方や理念が良かったからだという受けとめだけではまずいかなと今は思っている。だからとりあえず向谷地さん自身の話を聞くことで自分自身も不明の部分に光が当たるかもしれないし、向谷地さんやべてるの家のことについて幾ばくか知りうるかもしれない。