細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

 さる1月31日のジュンク堂梅田店でのフリーターズフリーのトークイベントについてメモ

 さる1月31日のジュンク堂梅田店でのフリーターズフリーのトークイベント(パネラー;生田武志栗田隆子、村上潔)についてまとめようと思ったがけっこう難しい。4点だけメモル。

  • いま派遣切りといわれるが、かつては主婦パートが景気の変動に応じて、切られていた。しかし彼女達は多くが扶養家族であり、失業率として浮上しなかった。また扶養控除の対象となる額以上に稼げないという問題もあった。栗田氏や村上氏はこのような例から、主婦や女性の労働が、可視化されていなかったという。潜在的な格差や権利侵害が見えないままに制度の裏に回収されていた。
  • 生田氏はホームレスの7%程度が女性だという。厚生労働省の数値では3%だがもっと多いと。栗田氏も生田氏も派遣村に女性はいたのだが、雑魚寝など女性が入りにくい形態やマスコミも女性を取り上げないことを問題としてあげていた。生田氏によるとホームレスの女性に家を出た理由を聞くと第一位は、失職などの経済的理由、次に家庭内での虐待によって家を出ざるを得なかったという。彼女らは野宿生活も危険だけれども、家にいるよりは数段ましという。生田氏は以前は暴力を受けても家から出て行かずに止まっていた女性が数多くいたのはなぜだろうという。経済やスティグマ的理由から家を出ることを断念したのではないかという。しかしその家も経済・生命・生きる権利をなんら保障する場にならなくなったので、外に出て支援を例え受けられなくともみなもう暴力を我慢して家にいることも出来なくなったのではないかという。
  • 70年代のリブの運動の中で、主婦戦線という運動組織があったこと。ある種のシャドウワークは女性の自立という点から見たら評判が悪かったが現に女性が置かれている主婦という位置に何か矛盾の中に意味を見出そうとする動きがあったこと。つまり公式見解からは排除される両義的な主婦の存在にも労働を考え直す上でのきれいごとだけではない部分があるのではないかと村上氏はいっていた。

制度というもののそれが担保したり苦しめたりする部分が私には気になったのだと思う。可視化されないこと、いきなり切り離されること、つまり自由がないこと、叫びが届かないこと。裸形の苦しみ。うまくいえないが制度があるということが、人々にとってリスクになっているが、それを代替する在り方の模索はまだまだ進んでいないのかもしれない。このイベントでは御題が「女性と労働」なので女性の話題メインだったが、社会構成の問い直しへのあるいは私自身の存在構成を考える上でも一定のヒントになるかもしれない。

家にいると辛い。出ても辛い。これは精神病になって私自身が感じたことでもある。でもちがう場所を、ちがう空気を吸いながら自分の軸を作る。しかしそこで今までのような支援や制度のあり方に居直ることはやはりもう難しい。*2ちなみにフリーターズフリーの定価が高い問題について、生田氏は様々に事情を説明していた。今の出版界にも様々な障壁があるにちがいない。それはそれとしても私のような低所得者にも1500円はけっこうきつい。集まることで助かる部分とすごく面倒な部分があるのではないか。彼らの議論を聴きながら、新しい性質のグループやパブリッシュの形といおうとしているのはわかるのだが、けっこう厳しいよなと思った。うまくまとまらん。これまで。

※このイベントのまとめ記事を書いておられる方がいたので
引いておきます。労働にとって「女性」とは何か(1) - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

*1:ここからは私見だが私もこの中に入らない(しかも調べてみたら内閣府国民生活白書の定義と若干ちがうのだ)これはひきこもり、ニート等現在高齢化しつつある社会参加から遠ざかりあるいは排除されている層を考える上でも重大である。もちろん失業者という指標を若年層に特化しているとも言える定義なのだが、年齢階層別に就業や社会参加、あるいは社会的排除の調査をしそれを包括したデータを出さないと、この社会が抱えている問題の総合的な把握は不可能なのではないか。

*2:というか何となく違和感というかある種の表明しにくい抵抗感もないわけではない。しかしそれが何なのか未だにわからない。自分の中で知的障害者グループホームの職員だった時も、精神科に通うようになっても、なんだかよくわからないもやもやに時折ぶつかる。問題という形ではないけれど、世の中に様々な自分にとって受けいれがたいものは様々にある。やりすごすけれどひっかかる。これは福祉だけではなく様々な場面、文学においても感じるのだ。今のところそれを「自由」にまつわる問題だととりあえずマークしている。自分自身もある部分が支配的、暴力的な側面を他者に対して持つ。他者が思わぬ形で僕に投げかけてくる、ほのめかす難問がある。それらを丁寧にほぐしていくしかない。そうしてしか生きていくことが出来ない。しかしすいすいと「スルー」することもできなくはない。そうすると結局自分が死んでしまったようになるから難しい