東日本大震災・福島第一原発事故以降のこの社会で生きる親子の姿を描いた「ダキシメルオモイ」展を見てきました。
本日京田辺市興戸の聴覚障害者生活支援センターさんさん山城で開かれている「ダキシメルオモイ」展を見ました。
東日本大震災と原発事故の避難者など様々な親子を描いてます。
抱擁しあう親子のそれぞれの深い感情が立体的に浮かぶようでした
部屋の光の加減により、麻袋と塗り付けられた石膏の起伏に影や光を映し、さらに蘇るような情感を感じるのでした。
人間の身体の厚みというものを感じました。
写実的な絵であり平面なのですが、素材の質感による効果だけではない、この書き手の人間の厚み、具体性、存在を捉えようとする意思を感じました。
そうか抱きしめ合うということは、それは好きとか嫌いとかの感情以上に、人間が互いに体をくっつけ、体温を感じ合うことで、2つを足して1つになった以上の存在の荘厳さを表すものでもあるのだと思いました。
楽しそうな姿、いとおしみ、あるいは互いに寂しさや不安をたたえるような、そんな姿もあります。
しかし、その瞬間の感じが例えば、仏や神のように荘厳でもあります。平凡な、ありのままの姿や感情は、ここにいるままで、古い時代から人間という生き物がたたえてきた有り様にアクセスできるのだと言うような。
いや、この絵は声高に高邁な考えを訴えているのではありません。
親にも子にもそれぞれの感情があるでしょう。
親の中にも喜びや優しさ、あるいは、涙、未来への不安あるいは、どんな感覚があるでしょうか。
子どもにも親に対するどんな感覚があるのでしょうか。
その答えがはっきりはわからないです。
むしろ抱きしめ合うこの姿を見ていると、互いが結び合うこの形がすでに、見たままの答えであるではないかと。
子どもと大人は互いに抱きしめ合う中で互いの存在を確かめるようです。
いやむしろ、抱きしめ合うことが、互いの関係と存在を浮かび上がらせ、生み出しているようです。
人と人は存在の次元で互いを支え合い、互いの存在を感じ合っています。
東日本大震災と原発事故は私に私たちに衝撃を与えました。
人によって深さは違いましょう。
ひとくくりにはできません。
むしろその災厄は今も起き続けているといえます。
安心とかそういったものは遠ざかった方も多いかもしれません。
その最中にも人は深いレベルで互いの存在をこんなにも感じることができるとこの絵画展を見ながらしみじみ思いました。
自分のことを振り返らせてください。
私はこの絵画を見ながら、私はこんなふうに抱きしめあってるだろうか、あるいは私は自分の身を確かに支えているだろうかと自問しました。
私は昨年、自閉症スペクトラム障害の診断を受けました。
この障害は他者との間に、深い距離を感じたまま生きることを特徴としているように思います。
障害とはいわず、発達における偏り、凸凹、個性と捉える考えかたもあります。
もちろん自閉症スペクトラム障害の人がまったく他人を理解できないわけではありません。恋愛感情もあります。
通常の意味での他者との感情的交流はあまり得意でないが、実存的というか直観的に他者を感じているようなところがあります。
私は軽度で、日常会話はしゃべりすぎなくらいできます。しかしひどく疲れたりします。普通の人が何気なくしていることが、大変で、他の人が難しいと感じることをなんなくやり抜けて平然としているようなところがあります。
そんなことを考えながら会場に行きました。
そして、絵を見ました。
抱きしめ合うということは深いことなんだと思いました。
私は幼稚園の頃父とバス旅行に行ったとき、妙なムズムズを感じて以来、なぜか親に抱かれるのが苦手になりました。
イジメられて母に抱きついて泣いたこともありましたが、総じてべったり甘えるような感じは苦手なまま大きくなりました。
自閉症スペクトラムには身体的接触に対しても独特な感じがあり、体感も敏感すぎたり鈍感すぎる部分もあります。
ゆえに、私は抱きしめるということを獲得しそこねたまま大きくなった面があるのではないかと思います。
もちろん私も成人して、恋愛をしたりしましたから、ひとと抱きしめ合うこともありました。
もちろんその中でたくさんの思い出があります。
私のような発達の偏りを持つ中でも、他者の暖かさを学び、他者の難しさを痛感してきました。
ただ、この絵画展を見ながら、私は他人に、自分にどんな感覚を与えただろう、私は自分の魂の姿のまま、抱きしめ会えていただろうかと。
そうすると苦いような、照れのような、さみしいような、光があるような
不思議な感じがしました。
いま私は自分を苦しめもしてきた特性について知ることができたので
もしかしたらこれから人とのつながり方も変わるかもしれないとも思いました。
ともあれその答えはこれからも求め続けていくのでしょう。
あるいは答えなんかないのかもしれません。
そんなことを感じた
絵画展でした。