いかんせん頭は固い
酷暑の中診察へ。親との関係についてあれこれ相談する。いろいろ参考になったのでまた然るべき形になればいいし、その時は書きたいなとか思うがいつになることやら。
私は精神分析や精神医学に特別詳しいわけではない。ただ、家族や身近な人との関係ほどこじれやすく、しかし人がそこから学びうるものもないわけである。だから、精神分析や精神医学(他の諸科学も確かにそれを研究したが、産業の進展や共同体の崩壊の側面でみる方向が俗耳には入りやすい)のいくつかが家族や親密圏をいくつかの形でアプローチしたことに間違いはないのでは?みたいなシロウト考えを持っている。
けれども、家族や生まれ育った環境がどれほど大きいものであろうとも、そこから距離を取り、自らの境遇をしっかりと把握し、己の言葉でそれとのかかわりを考え、またその葛藤や対話をそれ以外の他者とのかかわりに活かしていくことは可能なのではないかと希望を持ちたい思いもするのだ。
最近読んでいる本はマルクスの経済学哲学草稿を読んだので、彼が多大な影響を受けたフォイエルバッハの以下に挙げる本を読んでいる。
- 作者: フォイエルバッハ,松村一人,和田楽
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1967/03/16
- メディア: 文庫
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神というものを人がものを考える時のある過渡的な形態と捉えていて、スピノザのような汎神論になり、カント的な思弁哲学でも神は延命していて、ヘーゲルにおいても存続しているとして、いわばその神に押し込められた何かを取り出そうとしているさまが垣間見られる。マルクスとも近いが、むしろニーチェの偶像への批判にも近いようにも感じる(つまりはフェティシズムや物神崇拝の批判でもあるのだろうか)しかしまだ最初の論文の途中であり、つくづく神ってなんだろうと考えることをあまりしてこなかった自分には難しい部分もたくさんある。
また現下の社会的危機を押さえるには経済学の基礎も一応踏まえないと、つまりは資本主義のオーソドックスな説明もおさえねばと思いマクロ経済の教科書を読んでいるが、元来疎い分野でありなかなか進まない。
なかなかこれをどうまとめていいかわからないしできないのだが、人間が己の現実性と可能性を「硬縮」させないつまりこわばらせないためのレッスンというか。まあ自分が頭が固くならないようがんばりたいところなのだが。いかんせん頭は固い。