細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

電波?

2009年5月24日「現代の現代思想」Part5 (文化系トークラジオ Life)
うーん、地域自治は直接民主主義でやると。フェイストゥフェイスで。

で、それ以上のレベルの圏域(最上位はちきゅうぜんたい)はネットの工学的システムで自動計算的に政策の必要度を測り決定すると。そうすれば私的利害の抗争から切り離された純粋公共空間(アーレントが夢見たポリス)をつくれると。その公共空間で決まるのがルソーの言う一般意志にたいおうすると。


うーん、しかししかしそれを作るのは人だよね…

人間嫌いなのかな…人間蔑視までいかなくとも。いやこの発想の根源自体が興味深い。それは東浩紀のとってる姿勢というか考えの構造からその人間嫌い的なものがでてきてると。

実はこないだルソーの「孤独な散歩者の夢想」を買ったばかり。ルソー気になる。ルソーも独特に人間嫌いな気が。中二病的な?だから東がルソーが気になるというのがなんかヒントになる気が。そういえば…電波とかいってた。

これは本人もSF的でほとんど空想(妄想電波)だが、それをぶち上げたいと。
しかし妄想と同じでまるで根拠がないから、それを考える私は何者でどうしてそれを考えるのかを書くのが憂鬱だと。

しかし僕はそこを考えるのが思想だと思うよ。
自分が何者でなにから出来ているか。アーレントは「公的領域」においてその人の「正体=WHO」が「出現」するといってたよ。だからそれぞれがその存在や関係やテキストの構成自体を組み替えあうのが大事なんだな、たぶん。だからアーレントはきれいごとをいっているんじゃなくて、実際の具体状況の中で、発言したりする困難をかんがえてたと思う。あまりちゃんと読めてないけど。じゃなきゃ「暗い時代の人々」なんて書かないよ。彼女のアイディアがうまくいったかはわからんが、そもそも社会の中の活動の意義を彼女なりに再考したのではなかったか。社会って何なのか、っていう。

いやそれはそれとしてアーレント人工衛星や月ロケットに言及してるからSFがいっこ現実になった状況でつまり地球のローカル性が明らかになった時点でいち早くそこでの政治を考えようとした。だから東浩紀のいうことも一部解る気がする。全体は、ソ連官僚独裁でも、アーリア民族でも、消費社会でもないと。つまり地球だと。地球という有限の全体の中でどう人類が生きるかみたいな。


アーレントにも生臭いものへの嫌悪がかなりある。けどそれはどういうものなのかな。

しかしそれはおいといてまさしくただ一個人の僕自身が何者かということであるな。属性ではなく、俺の人としての何か。その言葉や身体や意識全体から発せられるもの。結局、自分に帰ってくるんだ。

いや〜けっこうよい番組だと思った。