細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

接続を試みたい

 今朝カウンセリングに行く。先生にカウンセリングのことや医療のことについてこれまで様々に違和感をもった経験を話した。またしかし医療を受けることでよかった面も話した。いろいろあったが自分の心と身体が元気になりたがっていたのかもしれないと。さいきん自分が治療を受けてきたプロセスを思い返すことが多い。しかもカウンセリングをうけた期間も長い。

 自分には現実に向かい合うだけの心の栄養が少なすぎたと話しながら思った。あんなに感情的になり、怒り悲しんで、つかれきった数年間は自分の性格傾向もあるけど、単純に生きていく中で力を失う経験が効いていたのだと思った。それが少しずつ生成されるのにはかなりの時間を要した。

 しかしまだまだ足りないのですと僕は言った。そういう現実と対応しない、あるいは現実がうまく構成できない、そういう混沌がたくさんある。その自分が抑圧的・排除的な社会環境に置かれるとどうなってしまうか不安だといった。だからはっきりいって思い違いかもしれないけど社会は恐ろしく、そこで壊れるかもしれない自分も恐ろしいと。世の中がまちがっていると強く思うときも多いと。カウンセラーはしかし、それは社会や現実のことをいま考えようとしているということかもしれませんねといった。

 カウンセラーに今日の話を通してしかしなにをいいたかったのかもうひとつはっきりしませんねといわれた。そしてそれをいってくれませんかといわれた。このカウンセラーは容赦ないのである。新聞に書かれているような言葉を使って正しいことをいっても、その人の内的・あるいは全身で現実に関わっていく過程が成り立っていなかったら苦しい。
 自分の言葉で話すことがなにかとつながったりしたい。もちろんそれは未知の世界に漕ぎ出すことでもあるのだが。

 そして昨日

うる星やつら (18) (小学館文庫)

うる星やつら (18) (小学館文庫)

を読了した。あたるが、ラムを好きだといえずに、お互いに素直になれずに、地球は闇に覆われようとする。そこで、あたるはある言葉を吐く。この言葉が二人をそして取り巻く人を救うことになる。それがうまくいえていなくても、言葉がある関係の中でドラマというか複雑なプロセスをくぐりぬけるとき、なにかがしっくり接続されるということがありうるのかもしれないなと思った。

接続を試みたい。自分は贅沢病かもしれないが、なぜか深いところで孤独なのだといった。その孤独を見据えてそれを本質的に何か(社会?)とつなげたいとカウンセラーに言ったように思う。その寂しさとそしてその力を発現させたいと。

昼からは台所、トイレ、床掃除などをする。そのBGMはスミスのベスト。

ザ・ベスト〜サウンド・オブ・ザ・スミス〜

ザ・ベスト〜サウンド・オブ・ザ・スミス〜

今日CD屋でジャズも試聴した。ビルエヴァンスを聴いてみたい。