梅見・支援メモ
今日は曇天の中大阪城公園に梅見に行く。
大阪城公園、外国からの観光客、梅林にはお年寄りをよく見かけた。曇りだったのでそれほど込み合っておらずよかった。
大阪府警察本部が近くにあった。府の関係の建物、NHKなど。府警本部はちょっと恐い感じの建物だった。
大阪城まで、どうやって石垣の石を運んだかという疑問が出て、やはり河を船で運んだろうなと思った。重い石だが、大阪にはたくさんの運河がある。今の科学技術、工学水準が高いように私たちは考える習慣があるが、ぴったりの石を切ったり、それを船で運んだり、というのは相当の技術である。もちろん大阪城は再建されたとはいえ、当時の職人達の技術というかきちんとした仕事ぶりは、はるかに現代を凌駕するのではないだろうか。
僕は精神科デイケアの利用者なので、そこの外出プログラムで行ったのだった。出発前ケースワーカーと今後のことや支援職について真面目な話をやった。
人間にはその行いに完全はないとして、しかし支援職になるということは、それで生計をたてるということだと私は思っている。
また、現在の社会が、様々な人を排除するから支援職がある種の必要悪?というか必要善として要請される。しかしその給与も、保障も充分ではない。
しかし、それと同時に支援を利用する側の剥奪感も相当である。
しかし支援職も支援を利用する人も社会の成員である。
ただ、支援を利用する人が、スズメの涙ほどの工賃しかない。あるいは所得保障も生活保護以外まったく不十分である。
支援職は働きに見合わないとしても、やはり一応の給与がある。
よしあしを別として、支援職と支援を利用する人の間には現実的な溝がある。この現実がいつも気になる。
以前支援職についていて、支援職とは社会の排除された人を処遇するという位置は昔から変わっていない。そこは支援職も支援を利用する人も人間だから同じというだけでは乗り越えられないものがある。私はこの裂け目を抱えていこうと思った。苦しいけれど、裂け目を見ないようにするよりは見たほうが良い。
また、障害認定を受け、制度的にそのシステムの恩恵とスティグマを受けてみえたものがある。それは、人は、否、私には誰かに手伝ってほしいというニーズがあるということ。しかしそれはわかりやすい形をとらない。怒りやその他様々な形をとる。
ある労働に対価を与えるという観点に立てば、べてるの家のように当事者も形だけでなく実際に役職を実質もってやるしかない。
しかし、この問題は継続して考えたい。いろんなひとと考えたい。これは実は福祉の問題ではなく社会のつながりの基底にもひろがっていく。
ひとりではどうしようもない。力が足りない。ということもある。けれども、コミュニケーションというか互いの力によってしか乗り越えられない現実的な困難があるのではないだろうか。