細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

参院選投開票日目前にマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』読了

マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(堀之内出版)を読み終えた。

著者は2017年に自殺してしまったようなのだが、この著書は、おそらく、絶望することをまず説いているのだと思う。

資本主義しかないようにみえる、「この道しかない」ようにみえる、人間世界の末路に、あらゆる楽観を断ち切られ、その透徹した目で世界を見つめ直して見ること。

実際にイギリス継続教育カレッジという現場で、教師として日々の事務にカフカのように忙殺され、若者の姿を目の当たりにしながら。

認識を徹底させることによって、資本主義しかないようにみえるこの世界の構造を解読し、その構造を別の可能性へと解きほぐしていく。

資本主義、それが人々を取り巻く生殺与奪の仕組みと観取し、そのほつれを構造的に読み替え組み替え、変革を目指すことを目指している。

システムの非人称的なあり方、作動を取りも直さず、一人ひとり生身の人間が負っていることの過酷を浮き彫りにしながら。 絶えずカフカの顔のない迷宮的なシステムが参照される。

資本主義は、より自己責任的で、社会主義よりはるかにスターリニズム的な官僚制を社会に張り巡らせたとフィッシャーは述べる。 確かに、隅々に商品とサービスを供給し、管理コストを縮小しようとする資本主義システムは、微細なデジタルな管理システムを張り巡らせる。 個々人は絶えず「自己管理」「自己評価」によって、自らの心身を自己責任的な監視の牢獄の中に置かねばならない。

このようなシステムには、顔がなく、名前がない、非人称的なシステムなのだ。

フィッシャーが示唆するように、このようなシステムは、増大する精神疾患と、環境破壊により、解体を迫られる。 フィッシャーはここに突破口があるとみているようだ。 顔と名前がない資本のシステムの作動が人々と自然環境を追い詰めている主犯なのだ。 これではやっていけないとはっきり認識しなければならない。 私はこの本に認識と構造把握の力、可能性をみる。 変革の実践には、構造が生み出す因果の、正確な把握が必要なのだ。 構造が生み出す因果の正確な把握こそが、左派の、マルクス的な、可能性だったのだから。

私は日本には、これに加えて、天皇制という構造が重なっていると思う。 天皇制は隠微な差別とマジョリティの同調圧力として、あらわれ、弱肉強食の資本主義の優生思想を大変見えにくい形で補完している。 天皇制は見かけソフトにあらわれるため、資本主義の構造を補完する役割が見えにくい。それが罠なのだ。

資本主義、天皇制、いずれも責任主体を明確化しないおそるべき煙幕作用を持っている点で共通している。

シニシズムではなく、厳しく現状を捉えた場合、参院選の結果がどのようであれ、強固な政権の背後にある、資本主義リアリズムと天皇制の作用はなかなか衰えないにちがいない。 もちろん政権による文書や統計の改ざんは許さないという姿勢は必要だ。 しかしこのあらゆるところに、恣意的な力と腐敗が見られる社会で、政権の悪ですら民衆は「取り立てて珍しくないもの」と見る懸念すら私は感じている。 選挙の前後を貫通して存在する私たちの内なる政治風土が変わらなければ。 そのためには資本主義リアリズムと天皇制の作用を正確に認識することが必要だ。 天皇制が安倍政権と対立するように錯覚している時点で、因果把握が転倒してしまっているように思える。 安倍政権は、アメリカの世界支配、財界と多国籍巨大企業の世界経済支配、天皇制の維持を使命に権力を得ているのだから。