細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

「天皇ご聖断」神話への強い違和感

「聖断」神話。
東南アジアの島々の方々の命が失われ、沖縄の住民が米軍日本軍に殺され、全国都市が爆撃され、原爆投下されたあの被害を人々が我慢するという前提なしに8月15日敗戦が「速やかで素晴らしい判断」だったという神話は成立しない。

あるいは、支配者として天皇が、国体つまり支配者としての自分と、仲間たちの生存を優先したことを隠蔽することなしに成立しない。
いや、臣民の命を守るのは私たちだと抗弁するかもしれないが、東南アジアの島々の人々、沖縄の人々、全国で空襲に焼かれた人々、原爆に焼かれた人々にそれが言えるか?

はっきり言って、私にはそれだけの人々を失わせた天皇と政軍の関係者を許せる気持ちもないし、理屈もない。

天皇がいなくなって、ソ連と米軍が日本を奪い合ったらどうなってたかと言われても、だからと言って、朝鮮半島を戦地にし、分断させてはいけなかったと反問できる。

結局私たちのマインドは鬼畜米英と朝鮮蔑視のプロパガンダで未だに塗り固められていることになる。

せめて私たちを縛っているプロパガンダとかイデオロギーを認識しないで、私たちが解放される日はない。

私たちの過去が血塗られていることの認識なしに、この社会を良くしようという感覚、アジアの国々の人々を差別せずに平和を作るという感覚は生まれない。

過ぎたことの総括なしには。