細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

心の底に開いた穴を、ありのままを受けとめて、埋めていくことが再生

‪他の場所で同じように悩んだり頑張ったりしている人がいるということが大切だということをはっきり認識したのは原発事故が起きて以降かもしれない。‬
‪私は20代や30代は自分が周りの人と頑張ってることしかみえてなくて、しかもたぶん自分だけが頑張っていると思いすぎていた。‬

裏切られたり、傷つけられると人は信じられないとすぐバリアを作る。たくさん情報を詰め込んで安心しようとしたりもしていた。
むしろ他人がどこかで同じ課題をそれぞれのやり方で解決する姿を認め、比べることなく、自分への励ましにできたら。
たとえ自分が思わないようなやり方だとしても。

もちろん他人が私の考え方や予想とは違う動きをするのは不安であり、時に悩み苦しむことでもある。

しかし、世界は様々な人が正解のない問題に一つずつ石を積み上げるような作業だから、私の考えだって、他人の考えだって、これでいいのかは本当のところはわからない。
しかし原発事故にしても、人間関係にしても、本当のところはわからない、どうなるかわからないから、生きることを大切にしていく、その果てにあるものを受けとめて愛するしかないのだろう。

自分の心の底に開いた穴を埋めるには、他人の考えや行いをありのままにとめておく必要がある。あまり解釈や比較を加えすぎるとさらに不信や怒りは高まるから。ありのままにとめておく。それは安易に認めることやあわてて否定することをやめて、本当に自分が向き合うことをするためだ。
その中で、思考や感情はより精度が増し、むしろ予測し得ない事態にも、前向きに対処できるようになる。
私は最近そんな風にも思う。

そしてそれを繰り返していると、仲間や友達自分が信頼したい人や心が通じていると思いたい人を妙に疑う心が減り、私は様々な大切な人たちと大切な時間を共有できるかもしれない。
そしておかしいことはおかしいとよりはっきり言えるようになるかもしれない。

 

原発事故も生死も人間関係も、いつ何が起きるかわからないのだから、そのように私は心を静める練習をそろそろして、人生の後半期のカラダとココロを、人と人との間で生かしたい。

あまりにも綺麗に書いてしまったかもしれないが、あまり嘘はついてない。むろん悲観的な面はなかなか変わらないのだけど。