細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

偽りの政府の復興を批判する必要がある

枝野さんは東電にだけ責任を押し付け、国の懐の中に東電を取り込もうとしていますし、細野さんや野田さんは除染「のみ」を推し進め、十分な放射線対策のないまま瓦礫やたい肥や様々な食品を拡散し続けています。これらは一貫して、彼らが政府の責任、自分たちの当局者の責任をとらず「やっているふり」をしつづけるアリバイ作りに思えてなりません。
やらなければならないことは、汚染を拡散しない措置、被災地の放射能汚染で苦しむだろう子供たちを安全な場所・食品を与える措置、津波放射能の被害を同時に受けた東北の復興の難しさに応じたケアであります。
先日は福島の酪農家長谷川さんのお話http://d.hatena.ne.jp/ishikawa-kz/20111219/1324261944でその一端がわかりましたが
津波災害地についてはさらなる難しさがあります。福島も茨城も千葉も放射能津波地震災害の二重被災県です。

つまり政府は今そういう事故の全貌の正確な把握によって日本国民全体の被ばくの最小化、津波地震災害地の生活支援をやっているのでしょうか。むしろ20ミリシーベルトでも居住可能、誰が聞いても茶番としか思えない事故収束宣言、避難を支援せず、地元経済や自治体だけを保存してむしろ逆に壊滅に追いやっていると思えることなどであり、必要とされていることとまるで逆であります。

このような政府の方針の一端に粗雑な瓦礫拡散があります。これは日本社会の連帯をすすめるどころか深刻な分裂をもたらそうとしています。
おそらく既存の利権団体やインフラ事業者や大企業を温存して、それらに特区などを作らせたりして、住民に意見を聞かない形で復興が進められているのではないかそう懸念しています。これは高齢者が孤独死し古いコミュニティの活力は失われ、神戸空港が建設されてしまった神戸の大震災と同じ状況のように思えます。
当時神戸にいた小田実は「私たちで自分たちの生活を復興するのであって、そういう大げさなものがぼんぼんやられるのはかなわん」といっていたような不確かな記憶があります。
ブログなどいつも参照させていただいている上山和樹さんも神戸の震災の被災者で以前、コモンズ大学でお話を聞きました。災害発生時の助け合い、日常の回復による微妙な違和感、被災者にお金が回るのではなく自治体や巨大企業が神戸空港を作ったことを苦渋の思いで語っておられました。

戦後復興から連綿と続くこの国の「開発」「復興」「地域支援」のあり方を見直さねばなりません。

まず東電とともに政府が国策として推進してきた原子力の事故について行政責任者として、規制当局として、きちんとした道義的、予算的な負担を負わなければ、この大規模な事故と災害の収束は無理であります。
まずその予算の作り方と予算の被災民や放射能被害への適正な配分がなければなりません。

国民一人一人がこの事故について災害について深く思いを致すことも大切ですが、そもそも事故を起こす施設を所有する企業を監督していた政府が「東電とうまく事故事故を出来なかった我我にも責任あります。放射能はリスクがある。これだけでてしまい私たちはそれを皆さんにお知らせしなくて悪かった。申し訳ありませんが片付けるのに皆さんのお智恵をお貸しください」といって予算出すと解決はスムースだと思うのです。事故責任から逃げるからこじれてるし、奇妙な頑張ろう日本や「食べて応援」「瓦礫で助け合い」などが掲げられているのです。これらは被災地の事情をどれほど勘案し、国民への影響を熟慮して進められている形跡が見えません。

放射能災害は深刻で、先日飯館の長谷川さんもおっしゃったように農業や漁業は東北太平洋岸で大変難しい事態になっているという事態を勘案した上で新しい国造りの構想がなければ、国民の被ばくは進み海外へとその海洋汚染を広げていくばかりです。
大変危険な事態だと私は危機感を強めています。
瓦礫問題から被災地の事情までどうにかもっと調べて行けたらと思います。

瓦礫についてはフェイスブックで書きました。昨日大阪府への申し入れに行ってきました。そのあと考えたことです。
http://ja-jp.facebook.com/permalink.php?story_fbid=340952575930886&id=100003255521146