細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

痛みを分かち合えるか―徳永英明ライブに行ってきました。

雨の中大阪城ホールにて。
彼は25周年で50歳だそうですが声や姿の渋さはすごかったです。
彼は福岡出身の伊丹育ち。
伊丹での青春時代を書いたのが「壊れかけのRadio」だそうです。

屈折と相当濃厚なロマンチシズムと成熟が混ざり合って独特の
味わいを出していました。
この曲がジンと来ました。

この詩は震災後のこのとき、非常に僕の心にマッチしました。

昨日私は放射能の件でも震災の件でも
痛みを分かち合ってがんばろう日本的なスローガンに
本当にそれで私たちや被災地の人は幸せが来るのだろうかと思っていました。

それで「痛みはシェアできないではないか」と思いました。

昔、痛みについて考えていて、前田泰樹さんの書物を読んで感想を書いたりしたのですね。
痛みの私秘性つまり「私の痛みは私しかわからない」という言語哲学の問題もあるそうです。それを批判して、痛みを伝え合う回路を作ろうと様々な思索が行われている。その中に前田さんのお仕事も位置しているようです。特に医療分野において疼痛治療や終末期医療において患者の痛みを医療スタッフはどのように知るのか、周囲の人と患者は痛みをめぐってどのようなコミュニケーションをしそれを実践につなげているかという問いがあるそうです。

今回の震災でも、被災地の痛みや苦しみ、当事者の苦しみをどう伝えあい、新しい生活を作ることができるのかという問いが浮上してきています。さらには放射能被害は症状としてはいつ出るかでないかということがなかなか研究が進んでいない。

そこでダライラマがいま日本に来てダライラマ自身のチベットも僧侶が焼身自殺したり非常に大変である。彼は津波災害地に行って、「痛みを分かち合おう」ということをいったのだそうです。
ダライラマは仏教者であり、迫害も受けていますから、痛みや苦しみを人とともにするという修養はなさっていると思います。

しかし私のようなものはそう胸張って痛みを分かち合うといえるのだろうかという衆生の戸惑いもあるのですね。
それと簡単に伝え合えないことを大切にする姿勢からこそ痛みを思いやり語る言葉が生まれるのではないか。

そういう時に徳永英明のライブに行ったんです。
するとかれは先ほどの歌で「素直になろう分かち合うのは痛みじゃなくて 優しさの方が いい」と歌っていて、心が動かされました。
ここの部分だけ聞くと陳腐に聞こえかねないのですが、「そばにいることが苦しいのは心が遠いからさ ここにいてもここにいないふたりきりでもひとりずつで 時のせいにしてるズルさを愛がそっと見つめている 」という部分がございます。つまり、一緒にいたってひとりなんだ、孤独なんだという痛切な認識があってそういう一人の痛みは分かち合えそうもないとしたら、せめて「優しさ」を分かち合う方が「より良い」といっています。

優しさというのも使い古された陳腐な言葉ですが、しかしその人が孤独である、自分も孤独であるという地点がある。人に自分の苦しさ痛みはわかるはずがない、一緒にいてもいればいるほどつながることができないという窮状は今の日本のあらゆるコミュニティにあるように思うのです。

優しさというのはそういう安易でない局面でギリギリのできることとして提示されておりむろん徳永英明もはっきりはその答えは明示しないのですが彼の歌声の中からそれを補って語りかける部分があるのだと思いました。

彼は復興支援ソングも歌っておりました。私はそういう仕事を受けるんだなあと思って意外の感を受けましたが、聞いてみるとわかりやすく誰でも歌いやすいポエム的に見える歌詞のようでしかし「明日へ帰ろう」と締めくくるのです。ただならぬものを感じました。明日へ帰ろうとはいかなることなのか。彼は非常に震災も憂慮しておりそれもまたただ「がんばろう」「痛みを分け合おう」というものではないのだろうと思いました。