細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

せめて沖に流されたときに

必ずしも詩の形をしていなくてもよいと個人的に思うけれど
言葉が事態を言い当て、適切に沈黙し、いいうるところをどこまでもいうということが改めて大切だと感じる昨今です。

いたましい災害や事故ですから余計に精神論よりも、ある意味で不安の中にあり、それを率直に認めながら発せられる言葉の力がいるのだと思います。
揺れながらその揺れそのものの中にある種のリアリティを感じるような働き。

僕がこの震災や原発事故で訊いた言葉でもっとも深く印象に残ったのは、津波に流されながらも生還された方の言葉です。
彼は車に乗っていて津波の引き波によって、車ごと海に流されていった。そのとき死を観念して「せめて沖に流されたとき車の中にいたらそのまま沈んで発見されないかもしれない。せめて遺体が発見されるように車の外へ出よう」と思ったそうです。なんとか車の外へ出たら目前に橋が迫っており、橋にいたこれまた生存者の方が「飛びうつれ」といってそこへ飛び移って助かったそうです。
つまり死はすでに決まったものとして誰かに発見されたい、そういう死後の状況をリアルに心の中にえがいてそう意志したというものに壮絶なものを見ました。

NHKの津波災害検証の番組でしたが、一番驚いたことばでした。

もう一つは先日放送されたNHKETV特集放射能汚染地図」で飯館村の調査を行った研究者今中哲二さんの言葉です。
彼は測定器を手にしながら「このような数値が現実だとはとても信じられない。しかしこれを記録することが私の役割だと思う」といいました。
科学者が何を呑気にとも受け取る方もいるでしょうが、彼自身現実に戦慄し、あるいは自戒の、慚愧の念にとらわれながらも、ここでできることをしておこう、せめてこの記録を残し世に訴えようという切実なものが見受けられました。
私は体力的に被災した場所に行くと足手まといになるだろうので、行くことは難しいかもしれない。だからこのような間接的なメディアの証言を聴いてそこに存在するはずの空気や音に耳を澄ませています。

詩人より先に生が存在し、生は言葉とその言葉を支えるsomethingによって日々構成され駆動しています。
そこにあるのはどんなにおかしくても、生活であり暮らしであり、生き物の生存であります。
アウシュビッツからのサバイバーであるプリーモ・レヴィは、その体験を振り返り、「これが人間か、皆さん考えてほしい」といいました。

おかしなことがたくさん起こっています。そしてただの言葉、ただの暮らしの底が脅かされようとしています。それは敦賀原発で不具合が起き、致命的な故障に打つ手がなかなかないもんじゅもいつ壊れ、福島と同じになるかわからない大阪も他人事ではありません。
どころか、政府の災害復旧の遅れ、原子災害化の人々の健康、環境被害、日本からの輸出品の諸外国の輸入規制を考えれば、日本社会がこのままの状態でやっていけるとは思えない。

それは実は阪神大震災の後の孤独死地下鉄サリン事件、自殺の多発する社会からずっと続いてきた危機の延長にあります。
以前から命や心や身体をないがしろにして、危険な統治や社会機構が我々自らによって運営され、その恐るべき惰力によって我々は押しつぶされようとしていた。

そういう時に現実をしっかり見て己の力を正当に把握してそこから放たれる、その都度の言葉、そこからの暮らしの形成こそが私は大事なように思います。

僕らの生活の空気や水や食物、土壌、それらの汚染、地震そのものも大地の問題です。それら私たちが生きる根底、生きる糧をしっかりとらえて考える必要がございます。

思えば風の谷のナウシカは、世界の核による汚染のあとの世界を生きる民の話でした。優れた表現物は、その時代の危機にエンターテインメントの形態であれ対応して予見していた。
その映画に私は震撼されました。小学校5年生の時か。その数年後にチェルノブイリの災禍は偏西風を伝い、この日本にも死の灰を届けていました。僕は新聞を毎日読み切り抜きました。
そういう時に彼方にあったものが今、ここで起きている。

僕は先日原子力委員会が国民からの意見募集をやっているのでそこに今考える提案を書くくらいしか思いつきませんでした。
が、そういうものが詩と関係ないとはあまり思いません。時局的な何かを書くということではなしに、詩も社会も、その根底に生命や物質との絶えざる関わりから生まれ出ている。その一番根っこのところより考えるほかありません。
そう思っています。