細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

河本英夫『飽きる力』読了

飽きる力 (生活人新書 331)

飽きる力 (生活人新書 331)

オートポイエーシス研究で有名な河本英夫さんの本。
しかし難解なシステム理論とかが展開されているわけではないようにみえる。
しかしそうではない模様。ただ専門用語がつかわれていない。
(河本さんはこの本を自身のオートポイエーシス研究の新たなステップとして位置づけておられることを断っておこう。わたしはオートポイエーシスはまったく勉強したことがないのでわからない)
逆に平易なのだが、微妙、繊細な論点が語られており非常に読むのに力がいる。
すごく時間がかかってしまった。

新しい科学上の発見やつながり(組織)を作るためには
今までの「努力」に「飽きてみる」ことで新たな知に至る認識の構成を獲得するといおうか。

 失敗から学ぼうとしてしまうと、ともかく頭で一生懸命考えて、頭で自分を制御しようとしてしまう。頭で作った選択肢のなかで自分を動かそうとしてしまうのです。それは最初から筋の違う努力なのです。
 そこで必要となるのが「飽きる」ということです。頭のほうから先に進むことに対して、それは適合的ではないと、すぐに飽きないといけないのです。飽きることによって、進んでいく速度を少しでも遅らせ、さまざまなことを感じ取るための隙間を開いていかなければならないのです。とかくうまくいかないときには、他人に対して非難めいたことを言うようになります。ところがそれは、気持ちの持って行き場を性急に見つけようとしているのです。こんなときそんな自分に飽きることで、今日はおいしいものを作って食べようとか、学生気分になって語学の勉強をしてみようとか、ともかくとりあえず別のことをやってみるのです。集中してできるはずがないのですが、それでもその中でそれまで見えていなかったことが、見えるようになることもあるのです。
河本英夫「飽きる力」(p123〜124)

こういう識見を得たきっかけは、かれ自身のご兄弟が病に倒れリハビリをしているのを目の当たりにしているときに単に「意識」でがんばっても足なら足の作動の回復につながらないという発見があったというのもあるようである。
複数の神経系が回復していく時に、その回復を意識的がんばりで阻害しない、むしろ別の種類の努力が必要ということ。

けっこう難しい話。その努力を河本は「隙間」をあけて「複数の選択肢」を可能にするようにするといっている。努力が目詰まりを起こさないようにするっていうこと。
リハビリテーションについての考えをのべているところ、むずかしいが面白い。ぼく自分のためにもなる。

 リハビリが本当に難しいのは、症状や病気というのは一つの個性なのだという点です。病気という形で固有の世界を作ってしまっている。その世界は本人にとって居心地のいいものではないのですが、神経が自己防衛を含めそうなってしまっているのです。ですから、その能力を回復させるためには、健常者に比べて何が欠けているのかではなくて、自らの発達過程のなかで、どこから自分はこの能力を獲得してきたのかという、本人のなかの現状と健常であった場合の分岐点のところまで戻っていく。そしてそこでかつてかつて行ったエクササイズをもう一回課す。そうすると、壊れた神経の周辺にあるものがもう一度再組織化されて、能力が形成されていくのです。
 しかし現状のリハビリテーションの九割は、健常者から見て何が欠けているのはという発想で、その欠けている部分に刺激を与えるものになってしまっている。そうするといろいろやったリハビリのいくつかがたまたま当たって、その機能だけは回復されることはあっても、ほとんどの機能は回復されないのです。
河本英夫「飽きる力」P175

ここにある身体観、病気と健康観はたいへん重要だがつめて理解できていない。しかし興味深い。いまだに多くの支援と呼ばれるものが確かに健常との「相対的」関係だけでたてられていることは実感するところで、しかしすでに生きられている身体のバランスや環境との関係をどのように再構築するかというのがうまく考えられていないと常々私も思うのです。
それは私がいくつかの障害者支援をうけたところから感じたところで、しかしそうではなく、自分の身体やこころをいかに無理なく動かすかということを真ん中にして、偏ったバランスを少しずつ修正するというのはできるのではないか。
しかしそのような繊細な知恵がどうも了解されていない場合が多く、そのまま病気に関わらず様々な世界で「その人を壊す」類のアプローチが取られているのではないかと思うのです。


この本の一番最初に河本自身が年齢を重ねてきて、ただ単に「がんばる」だけではただただ疲労するということに気付いたことが実感的に述べられている。

今までのようにすすめない場合をどう環境での自分のありようをとらえながら如何に自分や他人をよくしていくか。

今後のこの社会、あるいは現在の文明に必要なイノベーションの作法とはなんだろうか。「飽きる」力という一見消極的な、しかし実際は人間の無意識や身体を信頼しながらそれを新たに組織化していく努力。
反努力的なそれゆえ、質的な飛躍を可能にする本質的な努力の必要性。