細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

できるんじゃないかなあ

 今週定例の心療内科の診察で、先生が「あなたは仕事できるんじゃないかなあ」といっていた。
 僕は頭が変なのかもしれないが、仕事=隷属みたいなイメージをもってしまっているため、今も就労とか就職という言葉にはあまり前向きな感覚はもてない。でも、たぶんそこにはどこか正当な感覚の部分と、どこか歪な感覚が両方入っているんだろう。

 しかし正直、親父が「おまえならやれる」というのと、医者が「あなたはできるんじゃないかなあ」というのでは、自分の耳に感じる感触がちがうのである。どっちがいいということとはちがう。親父は自分の深い地層とつながりすぎていて、うまく距離がおけないのである。僕自身が。
 今かかっている医者はどこかで「この人となら病気と向き合うにはいいかもしれない」という判断と自己選択があったように思う。試行錯誤の中でこの医師にたどり着いたという理解(そう信じているだけかもしれないが)がある。昔、医者に誤診されて、手遅れになって盲腸が破けて腹膜炎になってしまったことがあり、医者というのにはどこか「信じられない」部分がずっとあった。もちろんその腹膜炎を治してくれた別の医師には感謝している。けれども、自分の存在とか「身体、生命」の一部を預けることになる医師だから、それは即自分のリスクではあるのだ。

 僕は狂った頭でなんとかそれでも選んだ医師だった。その医師をどこか信頼している部分があるので、その信頼している医師から、自分にとってもっとも難しい問題を投げかけられたため、戸惑っている。しかしうれしくもある。なぜなら、自分は客観的に、どこか「健康」になってきたからだ。
 医師は僕のその「健康な状態」からみて、また自分の収入不足、親との関係、今の生活、経済状態からみて、ちょっとバイトしてみればといったのだとおもう。

 子供の頃、親や周囲の先生に「あんたはやればできる」と数回だけいわれたことがある。そのときは必ず「やればってことは今はやっていないし出来てもいないんだな」とネガティブに捉えていた。しかし、この「やれば」は曲者である。だって、「今はやっていない」→「もし君が本気になって勉強などすればできるだろう」ってことだから。でも周りの期待や思いが伴っていたので、それほど回りの大人は重圧をこめていったつもりはないのだろうけど、自分にとっては重かった。それくらい自分の「自発性」は押しつぶされていたのだろう。

 思えば自分が問うていたのは、「何を」「何のために」「どのように」するかという、目的、モチベーション、手続きの問題で。もっといえば何をしていいかわからないという途方に暮れていた。今もその部分はあまり変わっていないようにも思うのだが、曲りなりに年だけは重ねてきたため、ちょっと捉えかたが変わってきた。子供の頃はきっともっといろんなものに期待、夢想ばかりしていたのだ。が、今はそんなに思い通りには何でも手に入ると思ってない、というかほとんどは思い通りにならない。けれども、一応病気も、なんとかいろんな人と協力してあたれば、マシな状態にもってこれるわけだし、社会福祉士の試験も通った。つまり手間、暇をかけて、丁寧にことを進めれば、何かは手に入るんだと思えるようにはなったのかもしれない。
 
 というか、半日の単純作業バイトがいいとか医師はいっていた。いろいろややこしいこと考えずに目の前のことをとにかくやっていくほうがいいと。まあそういう段階なんだ。焦っても仕方ないだろうよ俺。
 自分の中でもまだ仕事や社会参加ということに様々な引っかかりもあり。このブログを通じてもそのことは散々書いてきたのだが。だからまあ、考えながらいろいろやってみるというしょーもない答えしか今のところはないのだが…