細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

安保法制議論を俯瞰する

戦後の憲法体制においてずっと自衛隊も米軍基地も、違憲ではないかという根源的な問いが排除され、解釈改憲だとか統治行為論だとかごまかしてきたわけです。

誤魔化しにごまかした。
アメリカが自衛隊を持ってくれといえば持ってしまう、基地がいるからこの土地をくれといえば差し出してしまう。
そういうことを自民党政権がやってきた。
つまりこの国は自分たちで方針は決めていないのです。

アメリカの意志にのっかかることで自分たちの利権を拡大してきた。

しかし司法も野党も市民社会もマスコミもそのことに言及することさえ難しくなっていた。

これまで
日米安保による日米の共同軍事行動は
周辺事態に限られていた。
そこでの日本の自衛隊の武器使用は不可能で
後方での支援に限定されていた。

しかしアメリカにも金はないし
アジアにおける防衛は日本に担ってほしいという理由によって
日本は9条の限定を外すことになった。
また新ガイドラインでは
日本の作戦範囲は地理的制約はないと書いてある。

これを実施するには改憲
強引な解釈改憲による国内法整備による
自衛隊の海外および他国紛争への
派兵しかない。

改憲は日本社会で評判が悪いので
後者を選んで日米新ガイドラインによる
日米の世界中での軍事行使の実現、これを行えるようにして
当面は近いところの紛争で後方支援をしてならして
次はということだろうと思う。

で、手続きとして私が望ましいと思うのは
やはり憲法9条の位置づけをどうするかということを
きちんと詰めないといけないと思っている。
憲法9条と現在問われている安保法制についてはこれは背反するないようになっているのは自明である。
自明なことをまず指摘したうえで、ではその憲法9条は我々にとってどういう存在かということを再確認するべきだ。

もう一つは日米の安全保障関係をどうするかだ。
私は基地問題は日本が予算を出し、また米兵も国内法に従属しないということから
非常なこじれを産んでいると思う。

新たな政権ができたら後者を何とかしないといけないという話になるだろう。
さしあたっては日本とアメリカがどういう約束を結んでしまっていて
どれが不要なのかを明確かせねばなるまい。

憲法9条について私はいちがいに不要だと思っていない。
むしろ日本が平和に向けた取り組みをする際の指針として存置をしたほうがいいのではないかと考えている。
しかし気になるのは日本にある既存の実力との関係だ。
正直言ってどう考えても憲法との整合性に欠けている。

その際、9条を既存の自衛隊とどういう整合性を持つのか持たないのか
米軍基地との関係はどうなのか、それを専門家の意見を総合して議論すべきではないかと思う。
最終的には個別的自衛権以外は持てないという話になるだろうと思う。

そしてそれでももし万が一憲法改正をしなきゃならないということになってしまうのなら、やはりアメリカの発言力を抑制できないかと思う。
いつもアメリカの影を気にしないと憲法議論できないというのは
きわめて不可解な状況だと思う。