細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

友達と/私たちは

仕事していた頃からの10年来の友人とご飯を食べた。楽しかった。
帰りにコンビニによったら水木しげるの戦記マンガ選集が売っていたので、買って一気に読んでしまった。
実は詩の雑誌「季刊びーぐる8号」で、倉田良成さんが清水あすかさんと私を期待する<若い詩人>として推薦してくださった。

自慢するようで変な感じもするが、詩の雑誌を読む方はけして多くないだろうし、私の転換点になる出来事だと感じる。
詩は文学は、それどころか芸術それ自体の存在がひどく軽いものになりつつある。これは私たちが人間として生きるその困難と可能性を描く芸術自体のみの危機だけではなく、ひとが生きることそのものの破局的様態が生じさせているものなのだと思う。

その危機の意識を率直に素朴に表明する力は芸術自身がその潜在力を発揮すれば可能だと思う。しかし現在の芸術家の多くにそのような素朴で弱いかもしれないがどうしてもそれなしには芸術がなりたたない要素を擁護しようという気持ちがあるかどうか。

しかし芸術に必要なのは、滅びうる私たちの存在からしか発見できない無限である。
私たちは日々の暮らしの中に、私たちを構成する彼方あるいは無限を見出だす必要がある。

しかし私たちは性急にあまりにも遠くをみて日々の暮らしに嘆息したり、近くだけに希望を求めたりパースペクティブがいびつである。それが危険を呼び込む。しかしその危険にどれだけの芸術家が真摯に取り組んでいるか、私も含めそれを為さんとしているか、それを思うと暗雲すら垂れ込めてくるようだ。
私たちはそのような場所で、どのように適切に助け合うことが出来るだろうか。