細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

いい加減はっきりしたのは日本社会は一枚岩ではないというあからさまだったがないことにされていたこと。

連立政権には始めから不信感をもっていて、発足当初から親とか周辺の人に「あれは意見がバラバラなのでヤバイだろう」といっていたのだが、ホントにバラバラになっていっているので、ある意味それはそれでつながってなかったもののつながりのなさがはっきりしたわけである。

とはいえ、その分解の仕方としぶとく固着しているもののバランスが危うく危機感を覚えているのである。

私が新聞等が読める年になってから日本の政府はこのような状態なのであるが、自分も変わってきてホンマにもうちょっとなんとかならんかと思っている。

しかし幻滅することでしか、つまりは虚像ではなく実相から始めるしかないのだから、政治の、つまりは社会の統治の実相がはっきりしたからには、そこから自分の意見をあらためて考えることができるのだ。

なにがどうできるわけでもないが、しかしそんなことを考えていたらなんとなく疲労した。社会派モードの疲労はひさびさである。

いい加減はっきりしたのは日本社会は一枚岩ではないというあからさまだったがないことにされていたこと。17条憲法の太古から?一度も実現したはずがないのに神聖不可侵とされてきた「和」というものが、維持できないという自明な事実。しかしだからといって、殺し合いをしてもどうにもならんことくらいわかる程度に賢くなっているとは思いたい。その状態は、「日本人は皆同じ」といわれていた頃より、一歩進歩しているのである。
沖縄がその外部として設定されたり、障害者やそういった社会になじめないものを外部に設定してそれをかばったり叩いたりするのでは話が進まない。
一枚岩ではないから改めてテーブルをセッティングする必要がある。
これまでその対立や差異が隠蔽され、架空の対立ごっこが演じられていたのだから、しかし架空の対立ごっこをやる体力も時間もない。したがって、良くも悪くもなにに関しても実際の話しかできない。実際の話しかできないのは根気がいるが、そっちの方が変化にちかづいいているはずなのである。