細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

連続テレビ小説「つばさ」が終わった。

 僕もこのドラマを注視していた。マナカナの次に始まったのだが、多部未華子、中村梅雀、吉行和子ら演技派を据え、話もよくできていたので、途中からずっと視ていた。多部さんは「鹿男あをによし」というドラマの再放送を見てから、ファンになってしまった。

 このドラマの良さは一言で言うと「ダイアローグ(対話)」があったことだと自分は思った。クランクアップの後、多部さんが「スタジオパーク」というNHKの昼のトークショーに出ていた。その多部さんの演技を多部さんの祖母役であった吉行和子はおおむねこう評していた。

多くの役者は、というかおおむね役者というものは、まず自分の役に与えられたセリフ、演技をきちんとしようと集中する。それは間違いではありません。しかし私が共演してきた中で、優れた俳優さんたちは、自分のセリフを話した後、相手がいうセリフをきちんとその中身まで感情を込めて聴き、それに応じて演技をつくっていく。多部さんは、相手のセリフを精魂込めて聞いて、そこからも演技を変化させていった。これはなかなかできることではありません

 これを聴いた時、一瞬当たり前だと思ったがすぐにいやそうではないと思った。なぜなら、まさに僕らの日常も自分の意見、考えをしゃべることに意を注ぎすぎ、本当の意味で相手の声を聴くことをおろそかにしているからだ。しかも、ドラマの場合自分の意のままではない。お話があり、その中で与えられたセリフである。どうしたって、自分のセリフをまちがえないことでNGをださず全体の調和を崩さないようにしようとするだろう。だから、相手のセリフを具体的、有機的に聞いてその言葉に無意識にえいきょうされながら、芝居を作ることはむずかしいのだろう。僕は芝居をしたことは学芸会くらいしかなくこれは勘なのだが。

 このドラマのストーリー自体にも「対話」「聞くこと」が活かされている。主人公つばさは古くからの和菓子屋に生れ、つばさの母はその古い家の桎梏を嫌い出て行ったため、店は父とつばさの祖母が切り盛りしていた。つばさはその中で、家事一切をやる。そのため「20歳のおかん」と呼ばれるのである。つばさの母は自分の人生を取り戻そうと出て行ってから、帰ってくる。まずつばさの母と祖母で対立が起こる。しかしその過程で祖母も好きな人を諦め、この菓子屋にとついで来た事が判明する。そしてつばさの母と結婚した父も、実は自分に仮面をつけて、素性を隠し、家を支えていたことがわかる。これらは全て家族や周囲の町の人を巻き込んでいくが、大事なのは、互いの言葉や非言語的表現によって、それぞれが自分の望みを発見していくことになる。

 自己自身の内奥から求められる声や、求めようとする力を感じること。内奥でなくてもいい。目の前のすぐそこにいる人や魂と出会うことの難しさ。

 つばさの母だけが自由をもとめて放浪したわけではない。あるいは魂そのものを求めて遍歴したのではない。それどころか、祖母の反対を押し切って、コミュニティラジオの開局スタッフとなるつばさも、そのラジオの存続や維持をめぐって様々な利害対立の渦中にいるのである。その中で、確かな位置の無いまま、手さぐりで人との関わりを持つのである。もったとしても、それはまた零れ落ちるかもしれない予感のまま持つのである。

 そしてその中で多くの人に接しながらつばさは、自分の求めているもの、欲望の表出を遠慮していた自分を見いだすのである。つばさは幼くして、母に捨てられた思いを抱いていた。そのときに古いラジオからあらわれたイッセー尾形扮する「ラジオの精」と長年、対話していたのである。これはよく児童心理なんかでもある話で、空想の相手を作って自分の不安な心を支えていたのである。その意味で「自己内対話」であるが、厳密には「モノローグ(ひとりごと)」であった。最終回の一つ前の回で「ラジオの精」は「俺はつばさの影なんだ」といって、去っていった。こういう話もありがちな話形に思える。しかし、つばさが様々なプロセスの中で、自分なりのポジションを地域や家族の中で新たなポジションを見いだすなかで、「ラジオの精」の存在を必要としなくなる。そうとれば新たな感興が生まれる。

 詳しくは再放送などを見ていただきたい。「対話」というありきたりの言葉をみつけたことで、finalvent氏が「戦後」後の物語(晴れ - finalventの日記)といった意味が自分なりにわかった。つまり統一的な正解や正義の上からのおしつけではなく、様々な人との具体的な出会いや葛藤によってしか、本当は何も変わらない。その地点に私たちは来ているということだ。
 経済学史がご専門の田中秀臣氏が惹かれる意味も、利害関係を如何に調整するか、それがコミュニティFMと産業振興館の対立に代表される地域経済をどう再生させるかという方面から想像しうる。もちろん田中氏自身にとって川越がかつて暮らした場所であるということは大変かけがえのないことだろう。

 

このドラマがやはり近年の連続テレビ小説はもちろん家族や地域をテーマにしたドラマとしては傑出しているでしょう。それと市場を創出するようなコミュニティ放送という経済学者の心をくすぐる仕掛けも個人的に効いてますね。(2009-09-26 - Economics Lovers Live ReF

 田中氏の日記を読みながら地域経済での利害調整や市場の創出について考えた。思い当たる場面といえば、次のところがもっとも山場か。若干富士真奈美扮する財団の代表は悪役めいてみえる。が、彼女なりにコミュニティの再生のためのビジョン・構想として、ラジオぽてとのある川越キネマを買い取り産業振興館を建てようとしていることである。つばさや真瀬が守ろうとするラジオも目的において、その地域の人がつながれる場という意味で財団側と表面上は変わらない。実際、つばさが富士真奈美からビジョンを聞いたとき、それが富士の孤独な心からもたらされているとはいえ「人とつながりたい」という希求から発していることに驚いている。それはまさにつばさたちも同じである。しかし手法や形に仕方(ラジオ)がかなりちがう。そこを互いがかろうじて理解し、経済的な意味でも、需要、必要性の意味でも、財団側は理解した。ここでも互いがきれいごとだけではない相手として発見されているのである。「つながりの仕方」が変わっているので、ラジオぽてとのほうが、それぞれをつなぐあり方として「手づくり」的な意味で即応していたと言えるのだ。結果、いくつもの葛藤があったが、ラジオぽてとは川越キネマで存続できた。ステークホルダー(利害関係者。ここではリスナー、地域の経済団体などなどを含む)間で、様々な争いがあったと見るべきである。

 しかしあらためて思う。目指すものが似ていても、そこに到達するやり方がちがえば、かならず対立は起こる。かつて構造改革派がいう「既得権益」、いま鳩山首相の述べる「官僚」は私たちとちがう敵のように語られる。しかし国家や社会の存続のために、ある時期まで必要とされていたから存在していた。その「必要性」が変化し、人々のニーズが変化したから、それらの存在の必要性の度合、望まれる位置も変化したと捉えるべきなのである。富士真奈美は失われた「調和」のために産業振興館をビジョンとする。しかし、それが地域の様々な人のニーズと合致していたら、ラジオぽてとを追い出してまで建てるという方法をとらなかったはずである。恐らく、様々な人の必要性やニーズ、それを求め、表現する方法の複数性がコミュニティであり、その一つの表現型が経済そのものなのである。それはコミュニティにも言える。
 そこで解を見いだす術も有形無形の「対話」においてしかない。経済の場合交渉であり交換であろう。先日読んだ上山和樹氏の言葉も思い出された。コミュニティはそもそもそこに人と人との関わりや争いのスタイルが様々であるから、存在するのであり、コミュニティが先に存在するのではない。これは自治体の都市計画などが多く失敗していることからもわかる。どのような成立や交流の歴史や経緯がその町や集団を育てているか見るべきなのだ。

コミュニティがあって、それが紛争で駄目になるのではなく、紛争処理のスタイルが、コミュニティとして生きられる*1。 直接的な利害対立というより、「処理スタイルの違い」が、対立の火種になる。(2009-09-25 - Freezing Point

これはラジオぽてとや、玉木家のどたばた劇に見える対話の連続と重ねうるかもしれない。