細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

へし折られてもへし折られても、その鼻っ柱のびまくり。

きのう近所の飲み屋で日本酒を飲みながら、適度に荒れていた私であるが、いろいろ愚痴ってすっきりしたのか朝からまあまあどうにでもなれやの気持ちである。

おれビビリすぎ、料簡狭すぎ。向こう三軒両隣。
隣の人は何する人ぞ。
人に厳しくじぶんに甘く。

今日は朝から外でからすの大群が旋回した。大気の状態が不安定そうだから餌場に出勤することをためらうのか。ここ数日近所の枇杷の実をついばみまくり。

小さい頃から、もういじめられまくりで、あんまりいい思い出がなくプライドだけ天井知らずにすくすく伸びた。へし折られてもへし折られても、その鼻っ柱のびまくり。

体力もストレス耐性も弱いから自分にこもりだし自分に酔い他人の顔が見えなくなる。つまり「他者」だなんだというのは、そうしないと自分はリアリティが保てんからだ。介護で燃え尽きて、しつぎょうした7年前とあんまり変わってない。

けどさ、いやまあだから、自分はもう楽になるようにいきればいいんじゃねえかとすら思う。俺はらくになることを拒んでいる。
もうそういう自粛マゾごっこはいいんでねえとも思う。
それで文章とかそういうのは書くの好きだから。しかもはてサかはわからないけど、社会正義モード大好きやし。

世の中と人括りにするが俺はいろんな世界を知らない。内弁慶。
井の中の蛙掛けだ。ジャイアント馬場だ。だから逆に言うとこれからがウハウハなんじゃないかとすら思う。