細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】なまえ

僕の名前は

和広というよ

親が平和を広げてほしいと願ったらしいが

ホンマかわからへん

実際僕は世の中とギスギスして

自分の身一人分の

平和すら怪しい

 

僕があんまりおとなしいから

僕の弟には「武」という字をつけたらしいが

ホンマか嘘かわからへん

 

しかし、僕はいつも

名前の書き方を説明するときは

「平和の和に広島の広」

という

その時頭の中に

平和の鳩が広島市の空を飛び

原爆ドーム

威厳のある姿に見えてくる

 

しかしその時

まず平和とは何か?

と痺れるように辛くなり

今まで

親や男や女やいろんな人と繰り広げた

喧嘩を思い出す

それはそれぞれに

真剣で戦火はあがらないが

僕は本当に恥ずかしく

僕の死を願ったこともある

 

僕は死にたいという気持ちに

包まれてきたから

平和とか世の中とかよく実感できない

平和だから

死を考えたのだと言われると

腹がたつ

 

時々考えるのは

戦争にいった祖父の

生きていた頃の姿だ

 

祖父は朗らかに生きていたが

とても寂しそうで

心ここにないように

見えた時もあった

馬のように綺麗な鼻筋の

上にある彫りの深い目には

空のさみしさが夕闇を含み

短いため息のような笑いを吐き出す

人の良さそうな口もとの

隣の頬には

深い傷があった

深い傷のある口は若い時から

入れ歯で

 

やっぱり戦争は怖いなと思った

優しい祖父が兵士になって

殺し合ったんやなあ

そのあとに何十年生きた

 

平和がわからない

平和が泣いている

 

僕には名前がある

どうしていきていきたいかもわからない

 

ただ、話すことは

わずかにあるんやで

 

 

 

【詩作品】平和はあるんかないんか

体があたたかい

何にもしたくない

何にも考えたくなく

考えたら垂れ流す

言葉を

うわ言を

垂れ流す

 

私が生きてないと

平和は始まらない

私が死んだりあなたが死んだりしたら

どうなるのかわからない

 

平和はそれを生きようとしないと

自分が平和でないとと思う

だけどだったら主観にしかすぎないとも

考える

 

あなたが確かめるこの腕も

 

あなたと関係ないこの話題も

 

あなたが考えてる晩御飯も

 

あなたが心配するこの世界の問題も

 

ぜんぶおなじ価値だ

 

おなじ価値の中で互いの話が通じない

 

通じなくて仕方ないやんか

通じた試しはないやんか

 

そやけど諦めずに

頭を使うんやで

私の固い頭を使うんやで

あなたの頭もそこにあるだろう

 

考えないようにはできないんやで

考えないようにしても襲ってくるんやで

私たちが犯したすべての間違いに向き合い

友だちになるしか

ないんやで

【詩作品】小せえなあ

生きているのが辛いと思うと

親不孝な気がしてくる

済まねえ申し訳ねえ

謝ったってしようがねえ


親が私を産んだのだけど

私は自分で自分の体と心を制御しなくちゃ

そう思うって

すでにいろいろ辛いからなんだろう

辛くなきゃ

勝手に笑うし

勝手に泣くしな

そんなものに理屈はねえな

そうなるはずだ


すでに理屈があるのは

なんだか辛いからだ

あなたに愛されたいと

願う時

私はどうしようもなく生きづらい私を

思う

たまには生きづらくなく

生きられるならと思う


果てしない寒空を

こわごわ見つめたり

限りなく流れる川を見て

小せえなあ

小せえなあと

思う


小せえなあ

私は小せえなあ

小せえから

まだ生きてられるんだ

何にも見えてないくらい

小さいから

生きてられるんだ

賢かったり

器用だったりしたら

うまくいきすぎて

たぶん

怖いものを見ると思う


だから

小せえ

小せえなあ


【詩作品】福島が頑張るとはなんだ

福島が頑張っているとか

日本が頑張っているとか

一体何が頑張るんだ

 

頑張るとはなんだ

頑張るとは具体的になんだ

福島に期待しているあなたが

福島に何を頑張らせているのか

冗談じゃない

誤魔化すんじゃない

 

私やあなたが生きているんだ

福島は、人間と自然が作り

人間が壊したんだ

私たちが壊したんだ

冗談じゃない

私たちが壊したんだ

壊した私たちは

もうどうしようもないんだ

 

どうしようもない私が

あなたを抱き寄せたい

抱き寄せることができないから

私はただ祈るだけだ

笑うときも泣くときも

あなたをどうすることができない

 

愛を知るとき

一番愛がわからない

愛という前に何もかもに

包まれて私は生きるのだ

 

私はあなたを包むもの

妨げるもの

すべての向こう側に

福島をみる

放射能をみる

朽ち果てた城や草はら

死んだ夢の中を彷徨う

私たちをみる

 

私たちが見たいもの

見えないもの

この世界を救うことは

この世界を丸裸にすること

 

何もかもが剥がされ

何もかもが

雨に晒される

 

原発をやめても

私たちの罪は終わらない

何万年経てば

私たちの心配は忘れられ

私たち自体がなきがごとしだ

 

だから私は

あなたを想う

思おうが思うまいが

みんなご機嫌で

みんな泣いている

 

世界の最後のひとりまで

幸せにならなくても

私やあなたが幸せになる権利はある

 

幸せだろうが不幸せだろうが

なんだって自由なんだ

だから踊り歌うしかない

 

なんだって自由なんだ

自由に痛めつけられ

自由に切なくなり

美しいのだ

 

あなたが

あなたというすべてが

【詩作品】橋から見えた天蓋に

川を渡らねばならない

何度も渡ってきた川だ

堤の上の大きな橋だ

大きいといっても隣町にかかる橋よりは小さい

堤防のすぐ下に

高校生の頃は

カラオケボックスが並んでいたけど

今は化学臭のする小さい工場がある

その工場の入り口は9時くらいまで

灯りがついて開いている

 

最近は体を動かすフィットネスとか

ヨガをする場所に通うために

その橋を渡る

 

橋から坂を下りて

数キロ行くとその場所がある

 

体を動かして

さっぱりした気持ちか

筋肉痛になりながら帰る

坂を登るのがきつい時と

楽な時があり

体調がわかる

暗い中を自転車とすれ違い

呼吸を強めながらカーブを

登っていく

案外長くて

スピードが緩む人もいる

私はしばらく鍛えていたら

あまり緩まなくなった

 

その坂の途中から

夏は1人で花火を見ていた

誰かに見せたいとは思ったが

それはまあよい

坂を登りきるまえに

暗闇が天蓋のように

広がる

 

広い広い空の下に

ポツリポツリと

煙突や倉庫が

無窮に憧れるように

立つ

 

私はこの街に住んできたんだ

となんとも言えない気持ちになる

何度か出て見たけど

結局帰ってきてしまった

暗い暗い空に

輝くあかりや星たちよ

 

それから坂を下ると

酒を買って帰ろうという気持ちになる

 

負けないぞ

勝てないけど

負けないぞ

そもそも

何と戦っている

 

赤信号が青に変わる

何かが同時に変わる

少しずつ

少しずつ

何かが

【詩作品】涙を流した

高まることも落ちることも

過ぎていった

涙を流した

 

深まろうとして膝をかがめ

底まで沈んでいこうとした

沈むことが深まることではなかった

涙を流した

 

だれにも会わないように決意したそのすぐ次の日に

会いに行った

惨めさが大きくなり

空がここまで迫ってきた

涙を流した

 

会うことができないので

なんでもない表情をしながら

血を流した

激しい感情は誰も助けず

時間をじりじりと削るだけであった

 

涙を流した

 

この生は病んでいる

涙を流した

涙ではあらわせないその人の表情があった

涙を流しても仕方ない

 

涙を流した

 

悲しみが感じられなかった

涙を流した

命を絶てずにただ生きていた

涙を流しても

ただ生きていても

涙が流れなくても

ただ生きていても

おお

ただ生きていても

 

この体に

まだ愛するがあるなら

この愛が涙のようだった

流しても流しても

涙以外の思いがさく裂し続けた

 

涙を流した

 

木々が枯れた

涙を流した

自分がうそつきだと思った

涙を流した

病院の帰りに泣き

怒りで涙を流して

よくなることがあると

よくなっても行くところがないと涙を流し

すべて傲然と

受け流しているふりをして

涙を流した

 

この体が心を取り戻したとき

息は深く

ヨガのポーズは不思議だった

そこで涙は流れず

喜びがあった

体が気持ちいいなら

心も気持ちいいに違いない

 

どうなろうと

あなたが幸せなら

いやありのままなら

私が幸せなら

ありのままなら

滅びゆくつかの間の

奇跡の時間であるなら

それでいい

 

ありのままの魂だけが

叫ぶこと

笑うこと

歌うこと

泣くこと

広がること

生きていることを

肯定できる

 

そこに何があろうと

それは肯定されているのだ

それが他人にどう思われようと

かかわりはない

 

涙を流している

涙を流している

 

「いきている」を生き直すために、ここ数年感じたことー続・私のtwitterアカウントに(いきている)と名づけている理由

私のtwitterアカウントに(いきている)と名づけている理由 - 細々と彫りつける http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/2016/11/16/210631

この記事の続編です。

 

互いが互いの扱い方について、話し合い、わかりあうことが大事なのだ。
互いの本当の気持ちが出て来やすいようにすることが大切であり、本当の気持ちを礼節から真心から求め合うときにしかコミュニケーションは起きない。
その時互いは個体でありながら、つながりあったものとして現象する。

 

私は自閉症スペクトラムであり、不安や苛立ちは大きい、しかし本当のことしかいいたくない、飾ってしゃべることができないということも事実だ。
私は最短距離を求めるため逆に迂回路を歩むことになる。

 

愛というのは互いを所有しあわなくても、互いを信じるという確信であるが、私はいつも他人に頼り、楽しく過ごしてきたが、同時にどこか不安だった。
私は確かなものがないと。
それを自閉症スペクトラム診断が下りてからさらに強く考えるようになった。
私は精神の亀裂を直視しなければならなかった。

 

精神の亀裂を直視する度にそこに届く声を、態度に敏感になった。
私は他人を許すことは自分を許すこととつながっていると思うようになった。

むろん不寛容で頑固な私だからそれはなかなか難しい。


ただ、相手に、私は自分の今感じていることを正直に語りたいと思うようになった。

自分の亀裂に届かない言葉や気持ちにあまり長々と付き合うのはしんどくなったということもある。

 

理解する、されるということは時間がかかる。

 

今この時が楽しいということを大切にしようと。そうすればそうするほど、生きることは儚く切なく愛おしいと感じて、私の傷んで乾いた感覚が生きかえるようでもある。

 

私の傷や亀裂は年代物だ。
私の痛みが蘇り、私は苦悩しモヤモヤし、恥ずかしい気持ちになる。
しかしそうしてしか傷は治らない。
また歩けるようになったらいいな。