細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】昼下がりの預言者より

終わることができない空の

大空がごまかされて

川に向かって光が

そう光が匂うよ

草むらに草むらに道が途切れる

犬の息は短いが

犬は優しく長く生きるかもしれない

大あくびをした老人は

もう短いかもしれない

 

この鉄橋が街を切り川を渡る

優しい風景なのかもしれないが

鉄橋は残酷に音を並べる

ムラムラした石の積まれた堤を

疲れた青年が歩いている

 

人はめいめいに散歩したり

愛や昼ごはんのメニューを語っている

しかし

巨大な空虚が

浮かび上がり

みるみる空に渦巻きをつくる

 

破局のあとにも

さらに破局は来るし

だからあなた方は

愛や夢を今のうちに語っておかなければ

必ず悔やむだろう

 

預言する者は続ける

君の愛や些細な心の揺れは

巨大な物理法則としての

この惑星と

比較にならないほど小さく

あってなきがものだ

 

しかしあってなきがごときものを

その小ささのまま

肯定することは

充分に大きい

君は毎瞬間の輝きを

惑星に等しい長さと重さと

大きさで

経験し苦しむ

 

だから破局は怖くない

怖くないことを超えて

君は変化し

生きることができる

 

【詩作品】寝転びたい

あまり何も考えないようにしよう

辛いから考えないようにしよう

 

だけど思い出してしまう

思い出したくなくても

忘れてはいないのだ

 

あの人のことも忘れよう

嫌いなあいつも忘れよう

しかし

そうしようとするたびに

あの人も

あいつも大きくなるばかりだ

 

酒を飲んだり

ヨガをしたりする

 

馴染めないこの世界に

1日でも長くいるために

正しいことは通らない

私の愚かさや恥が

雪のようにふりつもる

 

恥ずかしい

寒い

まっすぐに線路がゆく

歩いても

ヘコタレても

この道は続いてしまっている

 

いきている

いきてゆく

おまじないをとなえる

 

いきているが辛い

辛いというより

恥ずかしい

この匂いたつ体があるために

目や口がいつまでも

求めるために

 

空間や時間を越えて

草ぼうぼうの

寝転ぶ人間が好きだ

寝転びたい

いつまでも寝転びたい

 

 

【詩作品】逆回転する時間の中で

全ての雪が溶けると

草は芽吹き

私たちの朽ちた体から

日なたの匂いがし始めた

虫はあの世界の記憶を伝えようと

羽を震わし

蜜を運んだが

ただ無限に風が吹いて

人間の言葉を吹き飛ばしていく

 

負けじと私たちの

朽ちた体から、愛とかバカとか

キライとかが立ち上ってくる

人間がいつ頃滅び始めたか

もはやわからない

私たちは死んだ人間を

生き始める

私たちは逆回転する時間の中で

絶え間なく死に続けている

 

もはや死に続けていることにしか

可能性はないのではないかと

思い始めている

 

死ぬということは

最初の比喩である

あなたはシワが増えるほど

生き生きと新しい優しさをいきはじめる

そこでは

ぶつかるはずのないものが

ぶつかり

すれ違ってばかりの言葉が

響き合う

 

激しく降った雨のあとから

朽ちた体を

乾かす

かつてあの場所も

激しい揺れで

崩れてみえなくなり

新たな建物から

湧き上がる恐ろしい炎

愛する家族らが離散し

あらゆるものが傷んでいる

 

にもかかわらず

此の世の終わりであろうような

あの大災害からも

私たちは生き始め

死に始めている

 

祈り

求め

明かりがともる大地に

暗黒と笑いが

肉をむさぼる

 

なのに

なぜか

心細い

心細くて頼りなくて

空白の時間の中で

絶え間なく

どうしたらいいか

わからなくて

 

終わりのあとにも

私たちはなおも

生きよ

死んでなお生きよ

と言われているようで

暖かくて

肉が

狂おしくて

 

 

「天皇陛下」と呼ぶリスクー天皇制を置いた日本の国家システムのリスクへの危惧

天皇陛下」とか言ってる時点で15年戦争の開戦の詔勅を下したのがその天皇だということを忘れた平和運動ではないかと、心配になります。

 

現在の生前退位論争が、国家主義、家父長制、天皇親政を強化する憲法改正動向の最前線ともなる中で「平和運動」として命取りになりえないでしょうか。
私は現在の天皇への好き嫌いとは別次元で、天皇を配置した国家システムのリスクについて考えようと言いたいのです。
天皇を配置した国家システムのリスクとして、明治からの大日本帝国と、戦争遂行による破滅的崩壊があります。
現在の天皇は平和の大切さを語っていますが、では父のヒロヒトの治世に起きた問題をどう考えているかよくわかりません。
政府、政治家、企業、日本人全体も戦争体験の風化により、実際に天皇を配置した国家システムがどのような災いをもたらしたか無自覚な状況にあると思います。

天皇ヒロヒトは、天皇メッセージにより、日本本土と日本を守るためなら沖縄をアメリカに引き渡してもよいという意思を発したことが歴史的に明らかになっています。これは戦前戦中ではなく、戦後のこと。
これらについて、いま沖縄が政府にないがしろにされている事実を見れば、私たちや現天皇は考えるべきではないでしょうか。
なぜ天皇戦争責任を問われなかったか、降伏が遅れ、空襲、沖縄戦、原爆という惨事を招いたか、そこに天皇は全く関係ないのか私には疑問です。
また、天皇がいくら慰めや残念な気持ちを述べても政府はアジアへの加害責任を終わったことにするのはなぜか。空襲被害の補償は?原爆症認定はと問いがつきません。

 

さて自民党国会議員が「天皇が父の大家族である日本」とか言ってる時点で、自民党天皇中心の国家幻想を強く持っていると思います。

一部の議員の暴言に思えないのは自民党憲法改正草案に「天皇を元首とする」という記述があり、また家族の大切さや道徳心愛国心への傾斜も見られ、天皇制と家父長制の強化を何らかの理由で願っている憲法改正草案に見えるからです。

たぶんそれは国防の強化と福祉に対する国家の責任軽減、治安や統制の強化などが統治目的なんだろうと思います。

 

戦前の日本は「天皇は政府機関の一部に過ぎない」と相対化しようとしましたが、天皇親政の欲望と重臣軍部による天皇の機関としての利用が相まって戦争になりました。

つまり、時の権力者が邪悪であれば、天皇への好意的な声をいくらでも利用して、扇動しうる。
天皇が平和だとか優しいだとか素晴らしいという国民の声があればあるほど、天皇の敵を指定する政府の意思決定を助長する恐れがあります。戦前に天皇を慈愛に満ちた寛大な父として、アジア支配のイデオロギーにしたことは歴史的事実です。
陛下と呼ぶ声がそのような事態を招かないかどうか。
日本は原子力発電の国策や日米安保という国策を変更できない国です。
日本人にそれらができたのなら、天皇を利用されず天皇を自分たちでマネージメントできるといえるかもしれないが、そんな力は今の日本人にあるか疑問です。

 

今の象徴天皇制は、天皇に国事行為しかできないという制限をかけ、議院内閣制のもとに置かれていますが、「国民の総意」に最終根拠を置いています。
今や天皇制廃絶の声は小さく、天皇を慕う声が左派やリベラルにまで伸長しており政権の工作によって、天皇制が危険な方向に向かう恐れはゼロではないと私は心配しています。

5年後に再び福島第一に地震が襲来。脱原発脱被ばくのいばらの道を思う。

津波地震で被害を受けられ、余震に不安な時間を送る皆様に、お見舞い申し上げます。

現在浜通りでは政府がかなり強行に避難指示解除をしていますが、津波や福島第一のトラブルを考えると、放射能汚染の深刻さも鑑みるに、拙速な帰還政策ではなく、多様な形での避難者生活再建策、避難と居住の選択権、放射線防護が必要と感じました。

また福島第一の重要施設の地震津波への耐久性を強めないといけないと思いました。

また、災害弱者への対応がさらに必要ですし、再稼動するのではなく、廃炉や核燃料の暫定保管に向けて原子力体制全体を見直すべきと思います。

これは地震津波火山などのリスクがある日本全体の課題です。

しかしすべては逆に進んでいます。

 

さて。

それから被ばくについて。

 

原爆でもビキニなどの核実験など古い被ばくにおいても、認められている影響はごく一部で、国の原爆症認定却下が不当であると今も訴訟提起され国は敗訴し続けていますが、それでも国は認定を却下しているのです。

なんでそんなに簡単に被ばく影響が認められるようになると考えられるのでしょう。
原爆被ばく者やビキニ核実験で被害が不当なまでに小さく見積もられているという歴史的な事実を反原発の方々まで含め知らないからだろうと思います。
日本政府はそれらを認めたら日米同盟が揺らぐと考えていると思う。

認められていない核被害について、粘り強く丁寧にこのような被害があると訴えていかねばならず、すぐ結果は出ないため、反原発や脱被ばくの方は政府側の執拗な安全キャンペーンなどに敗れ仲間割れをして、戦線は崩壊する恐れがあり、事実そうなっています。

経済人や財界人は東京電力メガバンクが政府と一体で原子力救済策をやっていますから、逆らえない方は多いと思います。
むろん経済人の中には放射能汚染を心配している方もいるでしょうが、政府の補助金や経済政策がないとつぶれてしまうと恐れ、異を唱えることはできないかもしれない。

しかし、わずかずつでも被ばくを懸念する声は出ていると思います。避難者の子どもがいじめられたことは大きく報道されました。しかし文科大臣はそれを機に放射能が危険ではない教育や道徳教育を推進しようとしています。

また東京電力廃炉賠償費用を新電力や市民に建て替えさせようとすることに国会の脱原発超党派議連や新電力側から反発が起きています。
しかし今までも兆単位の賠償費用が税金から建て替えられ、電気料金に上乗せされてきました。

9電力は膨れ上がる廃炉賠償費用を自分たちの電気料金に付加し続けると、新電力に価格競争でいつか必ず敗北します。また、公的資金注入にいつまで理解を得られるかわかりません。
ならば、経産省とタッグを組んで、新電力に付加してやれと。
こういう原子力側の焦りがあるのです。

今回再び福島第一を津波が襲い、人びとの意識が喚起されました。福島第一事故クラスの事故を再び起こさないこと、災害対策や社会政策で、弱者や一人ひとりの命の問題に焦点をあてること、課題は非常に大きいのです。

【詩作品】ありがとうとごめんなさい

わからないでいる

信じるしかないのである

信じる力が弱い私である

信じようとしても絶えず別の刺激に

さらされ

乱反射する光と音が

頭の中でキラキラ踊っている

 

あなたと私は違う

なぜ違うのかわからない

無理に同じになろうとする

痛くて悲しくて引き裂かれる

慌てずにゆっくりつながろうとして

季節外れになる

Tシャツを持って

寒い夕暮れに部屋で

立ち尽くしている

 

同じでないものを同じでないままに

信じるしかないのは

私は誰とも同じになれないからだ

同じになれないということに

可能性と確かさがあり

ぬくもろうと

日向に近づくのは

影の寒さが確かだからだ

 

モタモタして暴れて

変になって

誰しもを苦しめ

苦しめ

苦しめ

恥ずかしい思いを

誰かが許してくれると

願っていた

 

しかし世界は深く揺れて

波が立っている

慌ただしく

行かなくてはならないが

それは

生きること

いきていること

が消えてしまわないように

なおも

思い出の中に飛び込むため

 

朝日

味噌汁

音符

炸裂して

ありがとう

ごめんなさいと

ありがとう

ごめんなさいと

 

 

 

 

 

放射能汚染の影響について言えること、言えないこと、あるいは私のできること、できないこと

放射能汚染による被ばく影響は色々ありそうだと思っています。
ただ、私には調査技術がなく、そのツテもない単なる障害のある市民なので、考えられるかなとは言えても、確定的な断言ができない。
その技術がある人が調べてほしいし、医療問題研究会や津田敏秀教授はやってますが、ごく少数で厳しい。

というふうにここんとこずーっと書いていて、つまり原発事故の影響の安全危険を判定する前の現状把握がこの日本には足りてないんですが、そういう指摘をする人が少ないのが嘆かわしいです。

私は最近、疫学的科学的検証の必要性を主張していて、それは現状を判断するデータや分析の蓄積がなければ、安全危険以前に話が浮いてしまうからですが、科学的検証というと安全論者みたいにみる人がいるみたい。
違います。データがないのに憶測ばっかりでモノを言ったって誰も助からないから。。

放射能談義をして、ツイッターで、殴り合いをしても、何にも動いてないし世の中も変わってないのがわかる。だから私は運動や学習会に参加して、比較的まともな論説を取り上げて紹介する。
専門家でも金持ちでも政治家でもない私にはそれくらいが限界です。

原爆被ばくの実像も、当時の資料の掘り起こし、体験の聞き取り、語り継ぎ、運動と訴訟という事実ベースで進んでいて、着実に国の安全論をひっくり返している。
ある時からこれをモデルにした方がと思いました。
歴史に学ぶということです。

逆に問いたいんですけど、皆さん自分の活動が例えば原発事故の被害者の境遇や実態解明に本当に繋がっているのか、自信がなくなる時はありませんか?私はあります。わずかな極めて間接的なことしかできない。
自分の非力や不徹底もあるかもしれない。しかしそう考えてリアリティがやっと確保される。

自分が大海に砂を投げてるようなことしかできてないなあと思います。
でも、私は歴史や世界に比べ本当に大海の砂だから。
しかし大海の砂の私は1人の人間でもあります。
この時代に生きる私を大事にしながら本気で考えるだけ考える。逆に無理はしない。これしかありません。