細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

原発事故の被ばくによる人体被害が認められないのはなぜか、この5年を見て感じたことをツイート連投した

何度も確認するけども、まず国際的に認められた小児甲状腺がん福島県で統計的に多発し悪性度が高いのを被ばく由来と認めないのは、他のあらゆる地域での疾患の被ばく由来を認めない、という行政と原子力村の宣言です。これをまず解体しないと他の疾患の認定もないとは推測してます。

次に、福島のすべての帰還困難区域さえも避難指示を解除するという自民党と政府の方針はまさしく、他のあらゆる地域の被害も被害とはしませんよ、福島事故被害は風評被害しか存在しませんよという行政と原子力の宣言です。

福島県以外の被害に目を向けて欲しいと訴える方々のお気持ちは痛いほどわかります。しかし原子力ムラは最大の汚染地域福島県の汚染と影響を風評被害以外は認めないから、他のすべての地域の汚染を認めないことにできるとわかってやっていると思います。

遠回りに見えるかもしれないけども、まず福島県の小児甲状腺がんこれをまず認めさせる。向こうが証拠出してますし、放射線由来でないという方が難しいんです。

しかし他の地域の他の疾患の調査は全くはじめていません。福島県の小児甲状腺がん放射線由来ではないと福島県がいってしまっていて、それが国策になってしまって他の自治体も動きません。
まず調査をさせないと、対策にいきません。

チェルノブイリでも、原爆でも低線量はあるんだからと言っても、健診や調査をしなければ治療も対策もありません。
国は調査や健診をして悪い結果が出たら嫌だから、調べてる福島県でいくら小児甲状腺がんが多発しても認めない。つまり福島でさえ被ばく障害はないんだから他はという明らかな宣言です。

国は放射能汚染の火元の被害を認めないことで、他のあらゆる被害対策をしないという作戦に出ているのは明らかだと思います。
なぜか誰も書いてないので、私が書きました。

こうしておけば、国は他の自治体に大した指示を出さなくても、ドミノ倒し的に自治体が被害を認めないとわかるわけですよね。
国が調べるなと指示を出しまくりますとさすがに旧ソ連の如く内部から漏れます。

旧ソ連の場合、西側諸国がソ連体制を叩くためとはいえ、ソ連体制内の改革派とか独立以降の情報公開を一時的に歓迎したから情報がかろうじてでてきた面はあります。
今回は資本主義最大の核保有国アメリカの忠実なるオトモダチ日本ですから、被害報道は国際的なメディアでも乗りにくいかも。

ウクライナは被ばく被害に取り組む世界でも珍しい国です。しかし政情は不安定でチェルノブイリ対策予算も縮小しつつあります。ベラルーシはヨーロッパ最悪の独裁体制と言われ、なかなか正味な被害報道は出ません。

国連は、アナン事務総長時代には、かなりチェルノブイリ被ばくについて国連の人権関連の機関が頑張ろうとしましたが、結局取り組みは進みきれずという感じかと。


念のために改めて書きますが、私は小児甲状腺がんや他のがんも、他の様々な疾患も、被ばく由来で起きうると思っています。


原爆だって、被害地域に距離で恣意的に線引きをして国は大丈夫大丈夫と言い続け、被害が大きい距離や明らかに被ばくだろうという人々も認定しないで、渋って渋って来たのです。
そういう手口の前例を彼らは官僚だから踏襲してるわけです。

しかし国や行政がまともに取り組まない中、於保源作はじめ資力も乏しい中から役場に行って1から調査して、ガンの多発を確認したんです。被ばく地で統計調査した。でなければ、広島だって長崎だって病気はありませんと日本政府も米国政府もしただろう。

私が広島や水俣に学べという時は、被害者や民間の金も地位もない学者や人々の超人的な努力と犠牲によってしか、それが世論を動かし地域を動かしということがなければ決して無理だったという話をしてるわけです。それを美化したいのではありません。辛いです。しかしそれが歴史的事実です。

被害者や民間人がなんで頑張らなきゃいかんの?と私も思います。しかし、国や自治体は、産業から資金や様々な面で共通利害が出来てしまっている、マスコミも少なからずそう。だから一番深刻な当事者しか一番深い被害を明かす人はいないのだとそんな悲しい事実をいうしかないわけです。

悲しいですね。私たちはそんな世界に住んでいるのですね。この世界が前提条件です。よその国が羨ましいとか言っても、日本人は馬鹿だといくら歯噛みしてもビクともしない世界が私たちの相手です。
辛いです。辛いから助け合わないと。深い洞察を持たないと。

【議員任期延長も緊急事態条項!】緊急時に衆議院議員任期延長が必要と、自民公明はいうが、現憲法では緊急時に参院緊急集会できる。本当に改憲必要なのか?

 

緊急時、議員任期延長が優先課題 改憲論議で公明副代表 | 2016/8/13 - 共同通信 http://this.kiji.is/137102521263113717
「大規模災害が国政選挙と重なった場合などに国会議員の任期延長を認める規定の新設が優先課題」

 

 

これは緊急事態条項の一種です。

緊急時に選挙ができないというのはかなりの状況です。

まずは選挙をできるならすべきです。

 

過去はどうか?

東日本大震災では選挙の日を一部延期した地域があります。

 

東日本大震災の影響により、統一地方選挙の期日においては選挙を適正に行うことが困難として総務大臣が指定する市町村及び当該市町村の区域を包括する県の議会議員又は長の選挙の期日は、延期されます。


平成23年東北地方太平洋沖地震に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律平成23年法律第2号)」

http://www.soumu.go.jp/senkyo/chihou17_01.html

 

このように特別法を作り対応しました。

ただしこれは地方選挙であり、政府答弁では国会議員任期を延長できません。

衆議院が解散された場合、憲法第四十五条ただし書は衆議院議員の任期はその期間満了前に終了し、憲法第五十四条第一項は解散の日から四十日以内に総選挙を行うと規定しているところであり、これらの憲法の規定にかかわらず、御指摘の東日本大震災に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律(平成二十三年法律第二号)のような法律を制定することにより「国政選挙の選挙期日を延期するとともに、国会議員の任期を延長すること」は、できないものと考える」

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b179023.htm

 

では緊急時にもし衆議院選挙ができないほどの災害や出来事があるならどんな場合か。まずこれを改憲必要の人々は明らかにすべきでしょう。

つぎに日本国憲法54条2項に参院緊急集会があります。

「 参議院衆議院の解散と同時に閉会となりますが、この閉会中に国会の議決を要する緊急の問題が発生したときに、参議院が国会の権能を暫定的に代行する制度が参議院の緊急集会です。内閣は、衆議院の解散中に国に緊急の必要があるときは、参議院に対して緊急集会を求めることができます(憲法第54条第2項)。」

http://www.sangiin.go.jp/japanese/aramashi/keyword/syukai.html

 

まず現憲法の緊急集会で対応したら改憲必要なしと思うのですが、公明党はまさか参院緊急集会を知らないわけではないと思います。

どうしても衆議院の任期を延長したい意図があるのでしょうか?

衆議院がもし任期を延長していけば、同じ総理大臣が居座り続けるとか、選挙で国民の審判を受けないで、国会が続いてしまいます。自民党内では安倍総理の総裁任期延長論が出ています。総裁任期延長して、災害やテロなどで衆議院任期延長が現実化した時、衆議院選挙が行われずに、自民党公明党衆議院の3分の2を維持して、総理も新たに選びなおす必要がなくなれば、安倍総理の下での与党多数が続く恐れはないでしょうか?

民主的に危険なので、現憲法はとりあえず緊急集会で対応し、ちゃんと衆議院選挙を行って、緊急時の参院緊急集会での対応を検証できるとしたのではないでしょうか。

参院緊急集会は過去二回行われています。

本当に改憲しなければならないことなのか、さらによく考える必要があるのではないでしょうか?

 

【詩作品】うずくまって

さびしいよ さびしいよ

鉄、星、月影、くさ、くさ、くさ

川、この流れの果てに

思いっきり僕という存在の

拡散させたミスト、この夜にいっぱい広げたいのだ

どうしてかわからない

 

そこで遊んでいる男の子と女の子は

あるいは女の子同士なのか誰なのかくちづけを

しようとしているのは

くちづけが寒くつらいのか

外でくちづけするのが

寒いこの世の中なのか

近年なのか

この世の中全部を旅に出せばいいじゃないか

この世の中全部を草原の宿場にすればいいじゃないか

 

乱暴か どこからか

どこからか

乱暴か そこに嫉妬があるか

もういいんじゃないか そんなに

こだわらなくても

こだわっても

こだわっても

いいじゃないか

お前はお前で

いればいいじゃないか

いてくれよ

いてくれよ

どうしても

もういいよ

迷い続けたんだから

泣き続けたんだから

働いてめまいをし続けたんだから

 

もういいや これどうしたんだ

月夜

月夜

月夜

うずくまって 犬

うずくまってこの道のそばで

朝日を待って

【詩作品】重力場

もう少し明るい顔で笑いなさい

超新星爆発のように白く

明るくなろうとして、失われるスタミナ

似合わないことしなくていいんじゃない

いや笑いたいのかもしれない 僕は

僕はね

 

からだの肌を確かめる

この肌の生命の兆候は何だ

胸から腹から尻から、僕はまだ生きようとしているではないか

困ったものだ 生き物としては

本能が狂っている

毎日、僕はどなたか訪ねてこないか

願っている 優しい顔で

訪ねてこないか 本当にそれは

それが来たとして

僕はきっと困惑で破裂するだけではないか

 

発する重力が

他の人より大きいのかもしれない

僕一人がと途方に暮れた幼かったころ

今だって途方に暮れているさ

この重力のせいで

いつまでたっても抜けだせないよ

抜け出さなくてもいいんじゃないかとも

思うんだけど

 

だけど

この生命の兆候さえ

すべて死の石ころに

カチカチの石ころに代わってしまう日までは

もう少しあたたかくありたい

ふわふわしていたい

この重力場

僕の舌をうちへうちへ引っ込ませるとしても

涙がすごい速さで

地面に突き刺さるとしても

この先には教科書で参照できるような分かりやすい処方はない。歴史の濁流が待ち受けている-参院選・障害者殺傷事件に思う

  最近はっきり言わなければという思いと、しかしはっきり言うのが難しいという思いとがぶつかり合って、結局とりあえず状況に対してもやもやとした対応しかできないということが多い。それでものすごくフラストレーションが溜まる。

 しかしむしろフラストレーションが溜まるのも当たり前の状況となってしまい、さりとてはじけることもできず、やはりもやもやしている。

 例えば参院選のことと、知的障害者殺りく事件がそういう思いなのである。なので、もやもやしたままいろいろ書いていくことにする。とにかく自分は書くことでしか落ち着かない人間なのだから。

 参院選について言えば、私のように左翼的な人間には厳しい結果になった。私は昔の言葉では左翼ですらなく、元々は政治に関心がありながらもどうしていいかわからず、また精神病がひどい時は世の中のことを考える力すら失っていた。自分が障害者の介護をしたり、自分も精神科に通うようになったりしてこの社会の偏りが気になってきて311以降その危機感は大きくなったという人間である。

 しかしもはやこの社会は左翼的な考えが影響を持つことが難しくなった。右翼が増大しているのは安倍政権だけのせいとは言えない。非常に長い、おそらく戦後体制の崩壊に近い現象が起きていて、これはつまり野党がだらしないとかアベ政治は許さないとか、そういう部分的な答えでは到底満足できない現象だ。

 憲法改正阻止ということが一つのテーマになっていた。それは政府与党自民党憲法改正案がこのブログでも言及したように、非常に危険なものだからである。それは日本国憲法立憲主義・平和主義・人権の尊重という原則から非常に後退しているものである。

 しかし近代人権法典として自民党改憲案が問題だということ、与党は経済格差を広げて不平等と不自由が強まっているということを野党が指摘しても、自民党はじめ改憲勢力は負けなかった。

 それは私は、人々が人権や憲法というものが大事なものだという実感が多くの人に失われてきていること、格差や不平等は「努力しないものが悪い」という自己責任の風潮が強まっているからだと思っていた。しかし私は甘かった。その意味で敗北していた。

 それは「風潮」どころではなく、現代の日本の構造が、かつて仮初にあった福祉や人権というものへの配慮を失った形に経済や社会構造が再編成され、人々がその社会に適応してしまい、貧乏も苦悩もしょうがないと、それでも文句を言うならそれは文句を言うやつがわるいという風になっているからではないかと思う。

 その風潮がもはや一部の人間の乱暴や極端な考えではなく、けっこうな人数に広がっているのではないかと思わせたのが知的障害者の殺傷事件である。

 

 私は、発達障害の診断を受けた人間である。私は長らく精神科に通院している人間だ。そういう人間からしたら、この事件大変怖い。多くの皆さんは気にしないでいいとか、一部の人間だとか言うのかもしれないが私は自分が障害の傾向があるのでとても他人ごとには思えない。自分は殺される側だと強い衝撃を受けた。また自分は知的障害者の介護の経験もある。その当時かかわったみんなのことをおもいださないわけにいかない。

 しかしそういう傷つきを持ちながらもさらに思ったことは、これまでこの社会は障害者のことをみんなが自分と無縁でないものとして真剣に考え、制度や社会の中でともに生きれるように工夫してきたかということだ。

 いろいろな努力がなされ、グループホーム発達障害者の支援や差別解消の法律が作られた。しかし障害者介護の現場で、見たのは、今も多くの障害者が一般社会の就労や学び、社会活動とは別に作られた施設や場所で、一生を過ごす姿である。また社会の多くの者ではなく非常に限定された関心のある人々だけでこの問題を扱うには大きな限界があるのに、その業界の内部と外側がおおよそ共通の議論の基盤すらつくれていないということだった。

 それは私が通所した精神科デイケアでもそうであった。多くの人が疎外感を抱いている。それは私たちが障害を負っているからだけなのか。そうはとても思えない。病気はあっても、それゆえの苦悩だけでなく、人とつながれない、孤独だ、自分の力を発揮できない、育て方もわからないということが悩みでこれは多くの者と同じ悩みだ。

 しかしこの精神科デイケアの外側では、「病人や障害者が年金や生活保護をもらって甘えている、ぜいたくしている」という偏見がまかり通っている。言っておくが障害者年金だけで生活できる額には達しない、多くの人は年老いた家族のもとなどで窮屈な生活を送らざるを得ない。体調も少しずつしか改善しない。その間多くの人よりゆっくりと成長していくので、周りの速度についていけない。

 さらに精神科デイケアに長期に通院している人が他の一般就労と同じ条件で就労するのは大変難しい。私は職業訓練プログラムも受けたし障害年金ももらっているからわかるのである。

 しかしそういう実態を誰も知らない。知らないまま、社会は厳しいもので自分は苦しいが我慢しているのに、弱者は甘えてというこちらから見て非常に身勝手な思いを抱いている。弱者をバカにするということに制御がかからないのは私の子ども時代のいじめの陰湿さ、凄惨さをみれば明らかなのであり、自分もいじめられていたわけで、そういう人々がもし、障害者に触れあったり見ることもなく、遠ざけて成人すればとんでもないことになるということも私は気づいていた。

 つまりこの社会は遠い昔から、社会的弱者を甘えやがってとか蹂躙することが多々あった社会なのである。

 

 そのような社会であることが、戦後という時代の倫理的な核のようなものも風化させていけば強力な差別性が露出することも明らかだ。政府はこの犯罪を重大な障害者差別による犯罪とは今も認定していない。認定すれば、政府のこれまでの方針、これからの方針にかかわるからだろう。

 政府が原爆被ばく者、公害病患者、薬害患者、原発事故被害者にしている仕打ちをみれば、なるべく救わない、差別のうちに問題を風化させていくことは明らかなのである。

 

 ここまで書いてきたことを総合すればいくつもの取り組みにもかかわらず、この社会は圧倒的に普通に生きている人々の「甘えるな」「仕方ない」「よくわからない」の圧倒的な流れを止めることができないまま、弱者にしわ寄せが言っているということであり、政権がその流れを受けながら、むしろ活力を維持している姿である。

 つまり誰もが生きるのにしんどい社会、その構造的ないびつさをさらに社会的弱者に肩代わりさせるように動いていっているのである。もはやこのような世界では、憲法や人権といったワードが多くの人の実感に馴染まない机上の空論のように思われてしまっているようだ。つまり制度や社会構造がいびつで、そのいびつさを多くの人が解決のめどもなく生きてきて、かつて存在していた建前のようなものも取り外して、「ぶっちゃけている」社会に突入している。トランプなどを見る限り、それは日本だけのものではないのかもしれない。

 

 このように見ていくと、私がこれまで依拠してきた正義や権利の考えの維持の困難をおもう。その思いを政党に託そうとしても、何に託そうとしても、無理だダメだと押し流されていくのである。これは巨大な濁流のような状況である。

 自分はその状況の外部や観察者ではなく、一部なのである。

 今思うのは憲法改正の流れはたやすく変えられず、恐らく人々の権利を徐々に掘り崩す憲法改正自衛隊在日米軍をもうしょうがないじゃないかと既成事実化する憲法改正は止める人よりもしょうがない、現状にぴったりでいいじゃないかというものが多く、それが経済界や政府に有利なだけなのだといくら言ってもなかなか伝わらない状況は続くだろう。

 もちろん戦後社会そのものが矛盾と構造疲労で持たないということもある。

 それをとりあえずの屋台骨で支えようとしてもそんなの嘘だという話にすぐなってしまうのだろう。

 

 で、あるなら、もちろんこの社会に対して差別はいけないとか人権は大事だということを訴えるとしてもそれが全く簡単に伝わらないことを自覚し、戦略的にいくのであれ、本質的にいくのであれ、もう非常に明確に自分の大切なものを確かめ、必死に生きる中で私は私が上に書いてきたようなことをさらに体当たりで徒手空拳で、伝わらない相手側のことも想像しながらなお、しっかり言葉を出せるようにしていくしかない。

 もはやこの先には教科書で参照できるような分かりやすい処方はない。歴史や経験を参照するとしてもそれは今に合うように絶えず組み替えなければならない。

 もちろんそれで私は敗北するかもしれない。勝ち負けどころか状況にかすり傷を与えられることすらできず無力な個人として野垂れ死ぬかもしれない。もとよりそれが歴史における個人なのであろう。マルクスだって誰だってそう思っていたはずだ。

 しかし自分が生きて存在するなら精いっぱい自分の問題を追いかけたい。そのこだわりしか私の依拠できるものはない。

 

 

 

【詩作品】青の視線の先に

あなたが笑っているとき

私は他所を向いていました

他所を向いているのは気がついてほしいからです

 

この青に

 

私の眼の前にある青は

普通の青ではありません

それは

キレイで

どこまでも続く青です

 

しかし私は

あなたがこれを見てしまうと

やはりまずいと感じ

慌てて

あなたに目を合わせ

戸惑いながら共に笑うのです

 

あなたはだからこの青を

知りません

知っていたらあなたは

私が知るあなたではなくなるので

この青から永遠にあなたを

守らなければなりません

 

それは

私にはとても辛い作業です

でも

それを知って

誰かが私を助ける知恵を

簡単に出せるようなものではありません

 

もし知恵があるなら

その青の向こう側を

見れるかもしれません

 

しかしそれが天国であるかも

誰もわからないでしょうけど