右傾化と同化圧力に脅威を感じる感覚マイノリティのひとり言
最近天皇制ナショナリズムやネオリベラリズムにあまり免疫ない人が増えてる気がしています。 そのまま深めずに反安倍や反差別を一生懸命やっていて、天皇と安倍が対立してるとか、天皇がいい人とか、愛国とか売国とか思っちゃうのかもしれない。 それはナショナリズムが与えた錯覚なんだよ、歴史的にそう考えたらまずいよと指摘しても、なかなか理解してもらえない。 味方の邪魔をするなみたいな話になる。 全然違う。
そのカラクリを理解しないと世の中を良くするスタートに立てない。それに自覚のないまま何を主張しても資本や国家の側が、回収してしまうだろう。
野党各党にも良い点悪い点があり、それを加味して支持不支持を決めていくが、ナショナリズムや天皇制に肯定的になったり、批判が弱まると支持も難しくなる。 そうして支持できないところが増える。
しかし私のように頑固な人よりもっと野党を気軽に応援する人を野党は求めているのかもしれない。
説教ジジイみたいに思われてむなしくて。 だってうるさいこと言ってるみたいになる。 皆さん自分でナショナリズムや天皇制の危険に気がついてくれたら私が指摘するまでもないのだが。
なぜ私がそう思うかというと、私は感覚的なマイノリティだから、世の中がナショナリズムや同化を目指すようになると、あっと言う間に弾かれて生きていけなくなるという恐怖感がある。
小さい頃から、人と気づくポイントが違い、危険などには早くアラームがなる。
小さい時からこだわりや感覚過敏が強くて、これはおかしいと思って悩んでいるといじめられていた。
要はあなたは変だとか考えすぎてキモいと言われるのだ。親にだって言われたことあるんです。それは本当に辛いことです。 友達や親と言った愛する人に理解されなかった経験は深い傷になります。 私が他人を理解できなかったこともあり、それは申し訳ない限りなんですが、そうして、お互いに理解できないんだなと暗い気持ちになると深い穴に吸い込まれそうになる感じがして、辛いのです。
発達障害者や精神障害者は、アンテナが非常に敏感な人が多いから、苦しむんです。 周りが無自覚に振舞うことに危機を感じるからです。
だから今もむしろ孤立感が強い。 さみしいです。 とてもさみしい。
ナショナリズムや天皇制に多数が寄って行ってこの国は一度も良いことがない。 戦前がそうです。
私は平和が大事だから。 心が平和になるために、時に社会の危機に対処せねば、平和は保てない。 だから説教くさくなるんです。 自分でも嫌です。 でも今この国は明らかに危機だから。 私が青年の時に政治思想史の勉強をしたりおじいちゃんの戦争体験談を聞いたりしたから、確かに感じる感覚です。
自分の国を愛する、守るという発想でアジアを侵略した日本は、ナショナリズムや天皇制によって、多くのアジアの人々を苦しめ、破滅しかけたこと、それを歴史に学ぶべきだと思います。