細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

天皇制を維持することは戦争責任の否認と、政教非分離をもたらし、日本国の制度において、人権と平和主義の定着を阻む原因になっているのではないか

戦争責任について、裕仁も認めずにはぐらかして亡くなったわけだが、明仁も明言しないまま、国家神道儀式をやって退位してしまい、徳仁に引き継がれようとしている。 あれだけの戦争を起こした国家元首でありながら、東條英機やごく一部の人間に責任を押し付け、戦争責任をみとめず天皇と政軍財界の有力者は生き残った。 帝国政府は天皇や政軍の戦争責任を示す証拠の文書を敗戦直後かなり燃やし た。 また、これはGHQが日本の統治の都合上裕仁が有用なので、天皇を残したかった(これは複数のGHQ高官が語っている資料が存在し端的に事実である)だけであり、戦争責任に連座したくない、既得権を破壊されたくない日本の旧支配層の利害にも合致していた。 天皇に戦争責任がないという話ではない。アメリカ以外の多くの国は天皇訴追の論調が強かったからだ。

天皇の人柄がどうこう、天皇は平和主義者だ云々、裕仁の戦後の原爆や戦争責任に関する発言を聞いたら吹き飛ぶ話である。 天皇が好き、素晴らしいという人ほど、裕仁明仁の、道理が通らない部分を知らない。 そんな尊敬とはなんなんだろうか。

ちなみに裕仁の罪は明仁徳仁に関係がないという論調もあるが、これも変な話だ。 ではなぜ、明仁徳仁はアマテラスや神武天皇と言った神話設定の儀式をやるのか。 この宗教的な設定が、日本が現人神あるいは神の末裔により作られた特別な力を持つ国だという自民族中心主義をもたらし、ごう慢で客観性のない精神論を横行させ、他民族には差別と虐殺、国内には無謀な戦争推進をもたらした。 その反省を天皇制日本はしていない。 このような検証不可能な設定は端的に宗教である。 宗教が国家制度と分離されなかった時代ひどいことが起きたからこそ、近代国家は政教分離を備えたのだ。 宗教なら国家制度と切り離さねば説明がつかない。 アジアで元号を採用している国はほとんどない。 なぜなら、王制はほとんどの国で革命によって廃止されたのだ。 つまりその意味で、日本が人民主権ではないことの、これは例証でもあるだろう。