細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

ヒトヒト作 『腔内 輝 人間』を高槻現代劇場205号室で観劇

 

原発事故以来、様々な不安や葛藤からか意識が固まっていた。‬
それに2年くらい前に気づいて、自分を解放しようと発達障害のケアをしたり友達のライブに行ったりヨガをやったり絵を見に行ったりしてきた。
あともう少しで何かが変わるかなと、その変化は何かわからないにしろ、昨日リラクゼーションの施術を受けたりして感じるようになってきた。

そんなこんなの最近、数週間前に、馴染みの画廊でヒトヒトさんに出会った。
彼は演劇青年で気になる人。いろんな場所で偶然出会ったりしたので、出会いを大切にしようと今晩彼の作った芝居『腔内 輝 人間』を見に行った。
迫力があった!

 

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トーリーは解読困難だが、観客を参加させ、前半は完黙で、紙にセリフを走り書きして書いて読ませたりして話は展開。
展開というか、断絶や変な間が演出なのか、本当に間が空いたりしたのかわからない感じで、不思議な感覚に陥る。
彼の雰囲気がそれを納得させる見事な挙動不審なユーモラスで、しかし悲壮感のある感じ。
おそらく絶望的状況で、路頭に迷った人間の心が、再生しようと必死にあがいて、ついには再生を試みるという話かと思われる。
災害や破壊を想起させる場面や積み上げられた椅子や散乱した紙の中で、結婚式をあげたり、ひとが生まれたり。
生きている虚無や、生きづらい、なぜ生まれてきた、なんだかわからないという内容の叫びをマイクでずっと語っていて、ポエトリーリーディングみたいにも見えたし、即興劇にも、本当に苦しむ青年にも見えた。

素材にギャラリーマーヤのオーナーの声が使われており、ヒトヒトさんがオーナーに声を素材に使いたいと話すところに偶然立ち会ったり、他の場所でバッタリ出会ったり、まさにアクシデンタルなヒトヒトさんとの出会いであった。