細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

失われ行く戦争体験世代、安倍台頭、原子力破綻は戦争の失敗の繰り返しではないか

私の母方の祖父は真珠湾攻撃と同時に進行していたマレー半島への侵攻作戦で、中立国であるタイ国境に侵入して瀕死の重症をおい、帰還しました。さいわい傷は回復しましたが、祖父は孫の私に帰省するとき、何度か重症を負いながら帰還したという事実を語り聞かせてくれました。
タイに行ったかどうかは本人から確認が取れてないまま祖父は18年前に亡くなりました。母からうろ覚えの地名をきき、タイのプラチュアップキリカンではないかと推定しました。
真珠湾も奇襲でしたが、タイは日本と敵対しておらず、タイ政府に連絡が届いたか確認しないまま、タイ国境を渡り、無断で軍隊が入ってきたからびっくりしたタイの国境警備隊が応戦し、タイ日双方に犠牲者を出しました。単なる連絡ミスと片付けてよいのか、私には疑問です。
この戦闘に祖父が参加した確証はありませんが、南方進軍作戦参加が太平洋戦争開戦直前であり、母から聞いた地名でそれらしい地域を見つけたら歴史がわかりました。
だから歴史的に間違いがあるかもしれないが祖父の傷や私に聞かせてくれたことじたいは事実と思います。
日本はかつてはアメリカを、あるいは今は中国や朝鮮半島を批判しています。しかし、アメリカの原爆や空襲は許されないからわかるものの、国際的に孤立しアメリカなどから制裁を受けたのは日本側にも多大な責任があります。また中国や朝鮮半島へ日本は、植民地支配を進めたのだから言い訳のしようもありません。
さらにタイにいたっては、もう悲劇としかいいようがありません。

つまり、水俣東電や沖縄基地の前例は、太平洋戦争の中にたくさんあります。原子力の失敗を見ているとこれは満州ではないかと思います。
福島県東電と政府の傀儡にし大規模な放射能汚染を広げてなんら責任をとらない。
市民も怒りに震える人はあるし、原子力に違和感を持つ人は増えたが、いまだ政府や被害者救援に対する働きかけははっきりとはみえません。しかし、福井地裁判決や東電起訴を見る限り、あるいは除染帰還への異議も広がりつつあり戦前戦中よりは少しはましかもしれません。

戦前は日本が無理矢理清の皇帝を傀儡にし、満州で阿片栽培や経済軍事支配を強行しやがて、力業で戦争をふっかけ、アジアを巻き込んで広範囲に被害をもたらしました。
長引く日中戦争に日本人は苛立ちや不安を覚えたようですが真珠湾作戦で日本人は完全に戦争礼賛モードに入りました。封建的国家の悲劇です。
戦争のことを考えれば国家がなんでもやらかし、私たちがそれを止められなかったのは事実。
だから日本は様々なねじれを抱えながらも戦争はしないと決めてきました。しかし原子力は平和利用のごまかしの中で進められてしまいました。
そして戦争体験者も90代をむかえ、被爆者も大部分が80代を越えています。
安倍が台頭したのはある意味必然なのかもしれません。社会全体の戦争の忘却なしに、また忘却しきれない矛盾である原子力の破綻なしにあのような露骨な勢力の台頭はありえませんね。
私たちはあの戦争の失敗を原子力で繰り返していいのか。
よくないのではないか、それが
私の思いであり皆さんも同じ思いであることを願います。