細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

近所の公園でメジロを愛でながら

朝、9時過ぎ近所の公園に出て少し佇んでいた。花の咲く木々が10本、巨木が一本あり広さは十数メートル弱四方の公園なのだが花にメジロが集まりついばんでいた。

風で葉が騒ぐ音や光のあふれる花に小さなメジロが鳴きながら枝から枝へ飛び移り朝の食事。

津波地震放射線の三重苦にこの列島の東北関東の大きな地域は苦しんでいる。そして私もそれへ不安や心配を覚え、あるいは政府への怒りを感じたりする。

大阪にいる私はこうして少しでも自然に触れることができることが申し訳ないような。しかしこの自然の慰安を大事に感じようと思う。
封じ込めはうまくいっているかは判別できないが、放射性物質による汚染が各地で確認され続けている。
そこにいる人間だけでなくこれらの生き物たちも危険だと私の奥底がうずいている。
政府には適切な対応を強く願うばかりだ。

私は心身に不安があり被災地に入ることは現状ではむずかしい。
気持ちばかり焦る。
しかし待てよ。
被災地でなくてもできることから。

水、光、大気が私たちの糧だ。このことを強く思い起こす時だと思った。
そう思って昨日は原民喜の「心願の国」を読んだ。
正確に複数の時間の中の心身と環界の関係がトレースされ
そこに思いが流れ出てくる言葉。

彼は広島の原子爆弾被曝して優れた文章を残した。

彼は自死した。苦しさは想像に余りある。

私もう少し生きたい。
人々もさらに少しでも安全な場所で生きられるように願うしかできない。
だから命や物質の未来について思いを巡らせる。
言葉を書くものの、これがナイーブでささやかな仕事。
こういう発言をすることも恐らく必要と判断して書いた。