細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

この巨大な事態に思うことを話してみる、、

 先般東北や関東で巨大地震、深刻な津波災害が生じ、その影響で原子力発電所が重大なトラブルに見舞われた。
 私は大阪にいる。
 正直被災地から遠くても、この事態には言葉を失ってしまいそうになる。
 動揺する。

 むろんこういう時は混乱から様々な情報が流れ、それらに翻弄されて大変に疲労するということもある。
 しかし何か体の奥深いところをガタガタと震えさせられているといった感じがする。その深さや重みを私たちは測りかねる。さらに津波で集落ごと破壊されたり、原子力発電所のトラブルの影響は、今後も続きそうである。つまりまだ現在進行形である。まだ続いていていつ終わるかわからないというのも相当心に負担である。被災地の方どのような状況であろうか。少しずつメディアからは聞こえてくるがわからないことのほうがはるかに多いだろう。

 しかし私はわずかな地震の揺れを感じてテレビをつけて今回の地震を知り、今も事態におののいている人間だ。その私の心身から話せることを話してみる。
 
 
 私は精神疾患になってからずいぶん心身に気を使うようになった。
 配慮しケアしていないと簡単にしんどくなるから。

 震災が起きて報道を見ていたら舌がピリピリするようになった。ああこれは唾液の質が強いストレスで変質しているんだなと感じた。身体が警戒すべき事態を知らせているのであろう。それから、大阪ですら巨大地震の長い揺れを感じたので揺れに敏感になった。ちょっとしたことでイライラするのは普段からあるのだが、津波災害で燃え盛る街の映像を見たときの胸の疼きは厳しく、心自体が危機信号を感じてピリピリしている感じがしている。

 大阪の街は平穏そのものであるのだが、しかし震災後数日は、どこか街が静かなような気がした。気のせいなのか実際にそうなのかわからないレベルで非常時のはりつめがあったのかもしれない。
 そういうのが少し落ち着いたのでこの日記を書くことができた。
 正直うまく書けないでいた。

 私はずっと大阪に住んでる。95年の阪神淡路大震災大阪府の北部にいて直接の倒壊はなかったが揺れは大きかった。(今回はその1000倍の地震エネルギーなのだという)その年に地下鉄サリン事件もあってテレビは連日ショッキングな映像を流し続けていた。その当時希死念慮に悩まされていた私は、ああこれは世界が滅亡するのかと変な気持になっていた。そしてメディアの猛攻にさらされ続けた私は大変に消耗した。
 むろん世界は滅亡しなかった。そしてそれ以前から生きづらかった自分に向き合えずとぼとぼとそれ以降生きてきた。

 2001年に911テロが起きたとき私の人生で数少ない「正規職員」の時期で、グループホームで当直をしていた。テレビをつけて恐ろしい映像が見えて、あわててその当時付き合っていた人に電話をした夜を覚えている。私はその次の日、皆テロのことを語り合っているだろうと思ったが、思ったほどではなく、何か違和感があった。むろん仕事が忙しいからだろうけど、どこか違和感があった。このころモーツァルトのレクイエムに慰められた。翌年に精神症状が増悪して退職した。
 
 私事にわたりいろいろ書いてしまったわけだが、それというのも次のようなことがいいたいためだ。

 上に描いたような危機を私たちの社会は、どこか部分的限定的に受け止めてきた。(その上、911では政府がアメリカの戦争を支援し、それを押しとどめることができなかった)また被災した人間、それに見舞われた人々にとって全面的な禍悪であっても、それ以外の人々はそれをどこか心理的に安全な「繭」「保護膜」の外で処理することができたかもしれない。これは誤解を招く言い方かもしれないが許してほしい。むろんボランティアの活躍もあった。しかし阪神大震災の時の大阪は隣の県だが機能不全になっている場所はたくさんはなかった。


 しかし今回はどうも違うのだ。複数の自治体を巻き込んで、その災害の影響は生じている。さらに被災地でなくてもこれまで心身を覆ってきた安定的な保護膜を突き破って、心身の内側そのものにアタックしてくるような何か甚だしいものを感じざるを得ない。(恐怖を煽りたいのではない。魂にとって深甚な体験だということだ)
 敏感な人間や当事者の人々が傷つくだけではない。もう少しスケールの大きな体験。これは原子力発電所のトラブルでIAEA放射線の拡散状況などの調査に出たようにナショナルな範囲だけで納められそうもないということもある。各国政府のこの事態への心理的、政治的動揺(ドイツで原子力政策の見直しへの示唆が首脳陣からあったり、フランス当局などもこの事態をレベル6の事故と認識しているよう。またパニック込みで各国が渡航を控えるよう制限を出している。これらは是非はあると思う)も相当なもののようだ。

 昨日東京都の浄水場でも乳児が安全に飲料できる基準を超えるヨウ素131が検出されたとある。ヨウ素半減期が早いが、汚染がどの程度の範囲に広がっているか、あるいは懸念すべきレベルかそうでないか注意深く推移を見る必要があるだろう。
 原発の修理や放射線の拡散防止措置はまだ時間がかかるだろう。汚染にどのくらいの期間どのくらいの深度で曝されるかは今のところ素人でもわかる情報はまだはっきりしていない。水や土や大気、食糧といった生活資源に関わるものなので、しばらく心配と苛立ちは続く恐れもある。(原子力に関してまったくの素人にわか知識なので済まない)
 逆に言うと、(原発を含めた)平和というものがこれまで様々な矛盾やゆがみ、潜在的なリスクの上に成り立っていたことが見えてきた。また、さらに被災された方々は1日も早く暖かい布団で眠れる日が来るという意味の根源的な平和の回復が必要だということもある。

 今回の災害と一連の社会の動揺は、深い、時間的な尺度でいうと長いスパンで続くのかもしれない。(長くならないことを願う)
 少し大きく考えてみる。
 人類はこれまで様々な悲惨や禍悪に苦しめられてきた。ある場合にはそれを乗り越えてきたり、いまだに核弾頭が数多くあるように乗り越ええていない傷もある。そしてそれらに関するテキストは古典として残っている。戦争や災害の記憶。
 経験自体は未曽有でも、未曽有の経験を人類が体験し、それを乗り越えようとしてきたというこれまでの事実にはどこか私を慰安させるものがあるのだ。それらが絶望の記録であってもだ。

 また更に大事だなあと改めて思うのは、精神疾患にかかった私でいえば、日々よく寝て、朗らかに過ごせるようにするためにはどうしたらいいかなあというシンプルなことである。
 それには不安をそのままに認めることだと自分は改めて自覚したい。不安や憤り、それが生じるのは人間の業のようなものだ。それに飲み込まれないためには不安をやっきになってつぶすことでは精神症状は増悪する。
 したがって不安と付き合う、固くなった体をほぐす、浅く荒くなった息を深くして、あるいはしっかり休んで、不安を生じせしめる現実的な諸条件を検討することである。検討すれば不安に駆られた時には見えなかった道筋が見えるかもしれないし、見えなくても心身のダメージは少なくできる。

 そしてこれまでの経験を処理する「枠組み」が変更を余儀なくされる事態でもあるので、それは広い柔軟な位置にたってなるたけ長いスパンで考えようと思う。そうしないとやりきれないし、いろいろ申し訳ない。
 そして最後にできないことはできない、という率直さ、勇気も必要だと思う。先般の大戦で欠けていたのはこれだろうと思う。難しさを正当に評価する。これを銘記したい。
 
 被災された方には一刻も早く安全な生活が戻るようお祈りしたい。
 また残念ながらこの災害や原発トラブルやそれらへの対処で生活への影響は長期化する可能性がある。阪神大震災も長い影響や変化があったが、規模や性質がさらに異なる。また関西広域連合でも被災者の受け入れをする動きがあるようである。おそらく東北の各都市が機能しなくなって広域で支援を立ち上げようとしている。しかしこれを考えるのはむろん一個人の私の力量を超えているのは明らか。
私が出来るのはまず己をしっかり保持するということ。
この流れにひどい押し流され方をしないこと。
メディアに押し流されすぎないこと。
様々な方々の英知に期待するよりほかない。
本当の意味で英知や資源の結集が可能になれば、乗り越えうる障害とそれが当面難しいものの判別も付くようになるかもしれない。
 
 これはもしかしたら何かのチャンスだったといえる日が来るのだろうか。まだわからないので、その評価はしばらく差し控える。私自身は日々の生活や心身を大切にしていきたい、それを深めて何かに活かせるものであれば活かしたいと思ったりもしている。
 災害や原子力による事故は私たちの体や心とこの社会の関係の見直しを突き付けているように思う。軟弱なといわれるだろうが、人の心や体に素直に向き合い、いたわり楽しみ、悲しむことが経験を深め生きることを深める。したがってそういう経験を大事にする社会にできたら理想だと真に願っている。何も言ったことにならないかもしれないがこれは実は私の政治的なメッセージともいえるだろう。

 そこで心や体について自分なりに考えること、そしてそれと言葉のかかわりを考えることは、自分の精神衛生だけでなく、わずかでも周囲に益することができれば御の字。今まで散々迷惑をかけたりかけあったりしてきた。
 自分の生命を考える。自己の生命を通じて他在を触知する。それはその源である自然や世界について触れる大切な窓口なのだから。

*3.23の晩にアップし、今朝加筆修正しました。