細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

逆立ちすれば答えがわかる

最近 The Boomの宮沢はこういう歌は書かんな。そら今はこんなに飛び跳ねられないだろうけど。俺もできん。

自分が行き詰ってくるとする。ある硬直した、ワンパターンな考えしかできなくなる。そういうときに逆のケースを考えてみると確かにちょっとちがう道がみえることもあるよなとは思う。
むかし友達にいわれたこともあるんだな。そんときは腹が立ったんだが、今は腹立たない。むしろいろんな人にそういいたくなるときもある。

哲学ではこれを「価値の転倒」とかいったりする。つまり今まで「よい」とされる物事の否定的な側面を考えてみて、その価値の意味を検証する。日常でも使うよね。この技は。
でもこれは他者攻撃のためにつかうんじゃないんだ。自分たちが生きている今の現実と思われているものをあらためて考え直して、どうしたら生きやすくなるか考えてみることなんだ。
ただ何の見通しも無く、あらゆる価値を皮肉り、ひっくりがえしても仕方ない。それは実は簡単だし、何の目的も無ければ、終わりのない反論の泥仕合になる。

例えば誰かが「うつ病のひとを励ますのはよくないよね」という。僕が「いやもちろん焦らしちゃいけないけど、その人に元気になってもらいたい気持ちはもっててもいいよね」とかさ。
だって「励ますのはダメ」って考えに縛られたら、そのうつ病の人に声をかけることすらできなくなるでしょ。
実際、僕もしんどいときは励まされると焦るから、いやだ。でも、それは励ます人が僕の状態を思っていってくれてるのかわかんないから不安だったんだ。追い詰められるようにしか感じなかったんだ。

つまり相手が自分の置かれている状況を踏まえていれば、なにか自分の期待しないことをいわれていても必ずしもそのひとが自分を追い詰めようとしているのではないとわかる。難しいけど。

だから「こうすべき」という絶対的な正解やマニュアルがあって、そうすれば間違いないってことはこの世界には凄く少ない。

病気の人にどう接していいかむずかしい。これは病気の人だけでなくどんな状況に置かれている人にもいえること。

でもまずは病気かどうかとかじゃなくて、そのひとがどういう現実を生きていて、自分はそれに対していて、自分も正解を手にしていない中で、やっていくということが大事だなと。だって誰も特別な人はいないんだから。専門家やなんかはいるけどもね。

病気の人や困っている人に「こうしたほうがいい」という基本的な考え方や倫理は社会福祉でも学ぶ。けど、大事なことはそれを杓子定規に当てはめることではない。
自分が凝り固まっていたら「逆立ち」してみることも大事だ。自分がね。相手だけをひっくり返して溜飲を下げても仕方ない。