細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

思春期の思い出

今日は長崎に原子爆弾が投下された日である。

近畿地方は雨が降ったり止んだりである。
台風が来ているようだ。

今日本屋にぶらりと寄った。最近暑すぎたので日中は外に出るのが苦しいのでひかえていたからひさしぶりの世界という感じ。
昔大学1回生のときに文化人類学の講義を受けたが、そのときの先生が新刊を出されていた。手持ちがなく買えませんでした。すいません。

言語ゲームが世界を創る―人類学と科学― (世界思想ゼミナール) (SEKAISHISO SEMINAR)

言語ゲームが世界を創る―人類学と科学― (世界思想ゼミナール) (SEKAISHISO SEMINAR)

これは完全な自慢だが、人類学になぜか興味を引かれレポートで最高点をとったことがある。しかしあまりにも字が汚いと減点されていた。好きになるとかぶりつきでのめり込むがいやなことだと死にたくなる。まるでのび太である。

その当時社会科学系の学部にいたのに、文化人類学とか人間学(哲学入門的内容・ハイデガーギリシャ哲学)、それから思想史みたいな授業も好きだった。でもその当時、ホントに死の衝動が強く、こまっていた。

死の衝動といえば、思い出す。高校2年くらいのとき、やっとイジメから抜け出せそうになって、同じクラスの女の子を好きになって、少ししゃべったり本を読んで過ごすようになった。

その女の子とは、教室で会うと心の中がほっとするくすぐったいような感じがあった。シップをあるとき、その子が貼ってきてて、「なんかシップの匂いがする」というと「そうやねん」と照れくさそうにしてはった。時たま一緒に自転車で途中まで帰ったことがあった。すげえうぶだったんだな。
年賀状に「文化祭の頃からきになってました」と書いたら、二度と話してくれなくなった。当たり前だ。たしかに年賀状にそんなこと書く時点で、非常識でずれている。

話が逸れたが、そんな頭にお花が咲いているのに、悩みはあったようで高校3年を迎える前くらいになると、自分はガンで死ぬのではないかと思い始めた。誰しも舌の奥にはヒダヒダがあるのだが、あそこにガンが出来ているように思い始めたのだった。近くの耳鼻咽喉科口内炎といわれても納得しなかった。
その後2軒くらい病院に行ったが、「心配だったんだね。でもなんともないよ」といわれ「ああそうでしたか」といいながら、「おかしい。自分はガンだ」とますます思い込むのだった。

高校3年生では受験を迎えるが受験勉強もおそろしく、どこの大学へいくかも曖昧で、推薦の面接と作文でいける大学に行った。
大学に入っても、20くらいで死ぬんじゃないかと思ったので、心ここにあらずだった。でも20を過ぎても死なずおかしいなと思い、自分で死ぬしかないのかなと思い、首を吊るようの紐を1年くらいもってたこともある。

あるとき、福井に行った。福井にはいい思い出があった。中学生の頃家族で民宿に泊まったのだ。釣りをしたり家並みも海も美しく、僕は途方に暮れて福井に向った。夜、福井の小浜線という小さな鉄道にのっているともう死のうと思ったのである。それでよくわからない駅で降りてふらふら夜の町に彷徨い出た。

無茶苦茶小さな町ではないが、10時を過ぎれば駅前の飲み屋なんかはしまっていた。
どんどん海のほうへ歩いていった。大きな道を渡るとき僕のそばに、白い車がとまった。若い男性が話しかけてきた。「車のっていかへん?」と。僕は犯されるか、犯罪に巻き込まれると思って灯りの少ない方に歩き出した。どんどん早足で。しばらくその男はつけてきたが、やがて諦めて車で去っていった。

しかし自分はいくところも泊まる宛てもなくただ知らない街を海のほうに歩いていった。これといって特徴のない地方の小さな町。海に流れこんでいる河の堤防までいって、ぼんやり坐っていた。車がとおりすぎるとき、自分のほうを怪訝な顔をしてみていた。なんだかんじわるいなと思ったがそのときはっとした。そうだ俺の方がこんな夜中に人気のない川の堤防に座り込んでおかしい・幽霊でもみたように向こうは思ったのかなって。


そうすると自分はなんて虚ろなものなんだろうと思い白々しくなったが、夜はまだまだ長い。お寺があったりしたが、いきなりいってもいけない。あちこちいくが町はとても静かで、強い風が吹いている。疲れてくる。あまりにもしんどい。そうしてどっかの建物のへりの側溝に水がなかったのでそこにうずくまった。隠れていないといけないように思ったがとても寝れたものでもない。それから駅までがんばって歩いて、駅のベンチで無理やり寝た。死ぬことができず、あくる日に帰った。おきたらヤンキーが朝からアンパンしてぎゃあぎゃあいってて、興ざめで恐かったからだ。
自分でもなんでこんなの書いているのかわからないがなぜかこれは思い出なのである。近藤恒夫さんが依存症は「寂しい痛みの病」といっていて自分は依存症ではないが、それを読んだのでこれを書いた気もする。

その後もいろいろ頭がおかしい出来事があったが、だいぶマシになってきたのかなあとも思う。いやまだずれているとも思う。

梶井基次郎や、古井由吉の小説を読んでも、すごい!とかではなくて、そうなんだよなと普通の体験記として読んでしまう。梶井基次郎も小説に書いてあることは異常なことではなくて自分の知覚したとおりに近いだろうと思う。すごく神話とか古い意識の層を感じる。自分もそうなんだろうなと思う。しかしこれは全く間違った思い上がった解釈だろう。また梶井はどこの国の人なんかいなと思う。僕も大阪の人間なのに喋り方が標準語になったりするから、職場の先輩に「あんたほんまに大阪のひとか?」といわれたこともある。それは関係ないか。どうもはずれ者であるというかそういう意識もある。色川武大が「旧約聖書」について書いている本にもどうしても共感してしまう。
田中小実昌は東大という以外は違和感がない。深沢七朗もしっくりくる。安岡章太郎の小説を読んで本人はなまけものだとかいうが、安岡さんは働き者だと思ったりした。

僕は彼らのような文章の達人ではないが、彼らが書いていたことは実はたったひとりで感じる世界の記録という面をもっているかもしれない。それは「寂しい痛みの病」ともつながっているようにも感じる。
いやでも、わからない。それぞれがそれぞれにあったからつながりがあるかはわからないけど。

最初に書いた文化人類学の中川敏先生は、異文化同士で、言葉が通じる・通じないとはどういうことかを話していた。言語ゲーム理論や、人工知能問題や分析哲学までやたら難しかった。が、それでも思うのは「違う言語体系だけでなく同じ言葉を話しても、全然意味していることがちがうのではないか」と今でも強く感じている。

実は言葉には意味が乗るのだが、その意味は共通のものを目指しながらずいぶん乗っかる重さや質や形がちがっている。そこにはたくさんの壁や道がある。「死」や「がん」という病的な妄想の形でしか乗せられなかった意味不明な感情や痛みがあるのだと思う。

ぶつかってしまう壁みたいな。それは見えない。躓く。

そういう形で妄想や強迫観念にするしか他に生きていく手段がなかったのかもしれない。だから自分が未だに何に躓いているのかなかなかつかめない。まさに田中小実昌の述べる「ポロポロ」??
ってそんなわけないかな。。