細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

時間の様々な色や密度の変化を感じたい

おはようございます。よく眠れて天気もよいです。

昨日は人に会ったのがよかったんだな。基本的にいやな人じゃなくて好きな人や好きな場所にいったから。
その方に「なんかしんどいと思うのでいきなりは仕事はできないし。それから仕事いうのはコミットメントだから、なじむだけじゃなく、違和感とか不満も山ほど出てくるから。それをどういうかいわないか、耐えるか、そらすかですごくストレスで、僕は見かけは元気そうだけどすぐ折れそうなので…」と軟弱なことをいった。

するとその方は「今まであなたは病気がよくなったんだから上り坂だった。そこから下るわけだから、いきなり下ると転げ落ちる。足が慣れてないから。だとしたら、まずは高原状態というか平らなとこを歩いて徐々に下るほうがいいんじゃない?例えば、責任があまりかかり過ぎない仕事とか。別に福祉じゃなくてもボランティアでも…」といわれ、そうかと思った。

おおかたの社会復帰説はいきなり急勾配すぎてへたりこんでしまう。下りだったら眩暈する。まず高原状態を通過して、呼吸や足取りを軽やかにすることなのだ。即結果ではなく、歩くことの苦楽・世界を生きることから何かが始まることなのだ。

それは昨日の宮台さんからは外れるかもしれないけど、どう生活世界を記述したり、自分の経験領域に蓄えることが出来るかということと関係あるのかもしれないと思った。

http://sociology.jugem.jp/?eid=277
上の社会学者のブログを見つけた。こう考えると宮台さんは売れているけれど、学者の世界にも、生活人にもイマイチ疎通がうまくない「浮き上がった」人なのかもしれない。
例え日本史学者の網野善彦さんも新しい中世像を提出した時、学会から緻密な批判があって、網野さんはかなりそれにつきあったといわれる。でも、そうしてしか鍛えられない現実がある。としたら宮台さんは「それは現実に対して遅すぎるのです」というのかもしれない。

そうなのかもしれない。昔から批評家、例えば柄谷やそれ以前の江藤先生、小林秀雄もそうだった。でも彼らもいつも焦っていたようにも思うし、ディレッタントではダメだ、しかし自分の仕事はこれだという葛藤があっただろうな。
自分は文学に頼ってきた人間だから、そう思うんだろうけどさ。でももっと凡人とかくだらない野郎のことを深く感じていただろうとは思う。宮台さんの先生は広松渉さんや小室直樹さんのようだけど彼らが若い時、上に書いたような批評家が同時にいたことを忘れないで欲しい。

政治的な実効性とか効果ということを考えるといろいろあるかもしれないんだけど、マックス・ウェーバーだって「日々の仕事」に帰れといったわけだ。文学だって昔から「思想と実生活」論争なんかをやってたわけだ。柳田國男の胸には「経世済民」の言葉があったわけだ。
きっと生活を考えるというのは、自分を追い込むだけでなく「抜く」ことでもあるんだ。
「ハレ」「ケ」というが、その間の移行、あるいはそれ以外があるわけだ。ジャズバーで音楽を聴くのはどっちも入った時間なので、退屈な日常の中のひとコマではあるが気分がいいからそれでいいのだ。時間の様々な色や密度の変化を感じたいですね。