細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

情熱の在り処

 昨日は実家に野暮用があっていってきた。用事を済ませた後、ジャズカフェによった。で、時間をつぶした後映画を見た。http://slumdog.gyao.jp/
スラムドッグ$ミリオネアをみた。ある詩人の方が書いていたから見たくなった。そんなに複雑なストーリーでなく、インドのムンバイの極貧層を生きてきた兄弟のうち弟がある目的のためにクイズミリオネアに出るというお話。兄弟ともほとんど学校に行けなかったはずなのに、弟が正答しつづけることへの疑惑が起こったところから始まっている。
彼が正解を得ているのは彼の苛酷な生存の記憶の一こま一こまの中に正解にいたる道が含まれているのだった。100$紙幣のベンジャミン・フランクリンのエピソードや彼がガンジーを知らないことに衝撃を受けた。彼は苦しい記憶をたどりながら次々正解していくのだった。

とにかく心がずんずん揺れるような映像だった。音楽も。結末が想像つきそうでも席を離れられないドキドキ感。ああ、なんとか逃げおおせてくれとか、ああ正解するのかとか手に汗握るとはこのことかという。

ムンバイのスラムの映像は衝撃的であった。かつてアマルティア・センというインドの経済学者がいっていたことを思い出した。

「境遇に格差が生じたために他の社会集団は無傷だというのに一部の社会集団だけが壁にたたきつけられるようなことが起きないように、社会的保護が不可欠なのです。「持続可能な発展」についてのほとんどの文献が、どんなにすばらしく啓発的な内容であっても、この事実を見過ごしがちなのです。」アマルティア・セン『貧困の克服』集英社新書より)


まさに格差というかまさしく「壁にたたきつけられるような」境遇ということの生理的・精神的なダメージが続く。殴られる衝撃。だから見るのが最初はしんどいのだが、子供たちの生きる姿を見ていると思わずワクワクし、どうしようもなく引き寄せられる胸苦しさとそれゆえの情熱が高まっていくようだった。
大切な記憶をつないで、かろうじてしかし一生懸命生きていこうとする意志。僕のその意志もうずくような感じだった。最近しんどかったから少し元気が出てよかった。


昨日気まぐれに取った写真↓