細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

図書館でロマン主義と科学を

○継続で借りたもの*1

○新規に借りたもの*2


関係ないがスタバでお茶した。なんとなくくどい味のようにも…

*1:アルチュセールは「若きマルクス」や「フォイエルバッハ」を読んだ。ヴィゴツキーも3分の2ほど。デカルト的は面白いのだが、なんとなくくどい。しかし、苦闘ぶりのわりに明晰ではある。訳も良い。どれも科学方法論中心かな。

*2:アジア主義ロマン主義的であるようで、相当のリアリズムを根底に持つように思う。しかし、それはやはり大陸イメージに支配されている。幸徳秋水北一輝は要マーク。「国体論及び純正社会主義」も2006年くらいに復刊されている。破格であり、破滅を内包しているみたいな気も。しかし、その破滅・滅亡は悲観的だけでなく、自分と他者の垣根を取り払う暴力スレスレの倫理のように思える。まだ死んだテーマではない。意志の自由や、コントロールできないものの、衝動や情動と世界への通路を考えるには。宗教は脱歴史のようで、善悪を別にして、新たな歴史へのアクセスの方法である。歴史とは物語である。宗教は、ある神話的設定を持つことが多い。偶像やイドラをいくら退けてもだ。しかし、自分が関与している、そこにアイデンティファイすることはどれほど注意してもそれは世界を我有化し自己をそこにはめ込む衝動へとつながる。それはほとんど支配と区別がつかない。超越とは、実はその埋め込みをしていないというアリバイ作りでありながら、世界の決定的な所有の方法であるように思える。あと、詩人、革命者、宗教者のちがいは何か。現世への期待の度合いのちがいではなく、言葉の操り方の倫理のちがいか?だから石原吉郎は「書くまいとする衝動」を詩の基底におくのか。しかし書かないことでどこまで惨禍をまぬかれるのか。苦へと沈静しつつ、苦を呪わずにいられなかったようにも思えるのだ。その呪いが逃れがたいとしても。