細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

日本政府の新型コロナ国内対策のあまりの不備と明らかな統制への志向を憂うー政府における命と権利の保障と民主主義、説明と同意の不在が不安の根源

ずっと軽症者にたいする検査不要論に違和感があり、考えている。


(私は社会福祉士免許があるが、精神疾患で、この17年現場にいないので素人である。これは私の見解であり正解はわからない。みなさん各自自分で考えてほしい)

 

もちろん、仮に医療がパンクしたならそれは望ましくないと言う点に異論はない。
しかし、それを盾にして検査の拡大論を封じてしまえば、あとで相当な遺恨が患者や家族に残るだろう。

仮にある患者が、重症化し、後遺症がのこったり、死亡した場合、なぜ軽症のあの時はやく検査しなかったのかと言う話になる。

まず、日本政府は他のアジア諸国より、初動の対策費が十分でなかった印象がある。

それで高熱が続く人などに対して病気に対する検査が行われないというニュースが出てきて、軽症者が重症化するニュースもあった。

だから私はこう考えた。
①検査してウィルスの増加率や全体の数がわからなければ、事後に対策が適切か過小か過大かすら検証できない。
②軽症者が重症化するケースが報道され、私はだから早めに検査したほうが良いと思うのだが、その回答になるようなものがこの間政府から広く明瞭に示されたとは感じない。
 
この二つが最初に考えたこと。

さらにプラスして、軽症時への患者対応、急変の場合の対応について医療機関、保健所、関係機関が連携して、適切な対応法を考案し公表し、適宜改善してほしい。

③検査を拡大した場合の医療資源などの想定が政府から示されないから、議論のしようがなく、結論だけ専門家会議からつきつけられる。

また、検査についてもpcrで追い付かないなら、新型コロナ肺炎の臨床特徴について、政府や医療の研究機関が、中国やWHOのデータをまとめ、画像診断や問診、肺機能の検査などをやって、治療を開始し、pcrの検査の空きが出たら回せば良いのではないか。

 

④検査と対策をすると、一時的に患者数が増加し、対策が奏功すると減ると言う明瞭なケースが示されている。(中国)

さらにマスクについて
⑤マスクの需要と供給について、これも大まかな数が示され、製造体制や海外の寄付、政府備蓄なども含めて議論しなければ実態が把握できず、どのような分配にすればよいかわからない。
また、検査せず、誰が感染者かわからない現状があり、感染させるリスクを確認できない、から、不安が広がる側面もある。また、マスクがまったく効果がないわけもなく、自助努力でガーゼマスクや自分が縫ったりして、できる対応をする人もいる。

マスクを高値で販売する不届きものもいる反面、多くの人はマスクについて、医療や介護の施設にはやく充当をと考えているに違いない。
治療者と患者が防護されないままでは、まさに危険。
私は長らく精神科通院しており、社会福祉士免許もあるから院内感染対策の重要性は、コロナの事態でも、ツイートなどしてきた。
その際マスクは本当は防護効果がないなどと論ずる必要がない。
ならばなぜ医療スタッフがマスクをするか、その意味さえ否定している。
マスクは100%ではないが、呼吸器をフィルターど遮る力はあるのは常識で考えればわかる。
マスク、手洗い、うがい、消毒と対策を組み合わせ、感染確率を下げるので、ゼロか百かではない。

つまり、単にわがままで無知な人びとが医者に押し掛けるのが危ない程度の絵面で医療崩壊だから検査抑制と言うのはあまりに乱暴なので、できる限り、検査をし、日本でのウィルスの感染動向を把握しなければ対策できないだろう。

検査をする際に医師の判断で、検査が要請できるようになった(私は賛成ですこれが基本)が、まだ適切に実施されておらず、医師が求めても、保健所が断るケースが複数日本医師会の調査で発覚した。

また、新型コロナウィルスの感染を検査していなくて確認できず、自宅療養を促すなどというが、重症化しないとは言いきれないのは重症化ケースがあることで明らかだと思う。

 

始めにインフルエンザや風邪と言う言い方で、ぬか喜びさせたために、WHOがそうではないと声明をださねばならなかった。

WHOや中国政府が、致死率3.5
%と言う数字を出しているのは武漢の初期の混乱を鑑み、対策ができない、対策が混乱すると、これくらいになると言う意味もあるだろう。
つまりは、予防原則をすすめることを推奨しているだろう。
実際、対策によって、中国は感染が落ち着いていると報じられている。

仮にできることをやっても、医療崩壊が起きるとしたら新自由主義的に医療の予算を削減し、医療スタッフや設備投資が苦しんでいるからであり、けして、患者が「くれくれ」だからだけで説明はできない。
財務省厚生労働省が皆保険を維持するために、今の患者への予算投入を控え、未来に残すと説明するとしても、今の人が健康を維持できないことにより、将来にわたる社会の活力の低下が起きるだろう。

話を戻すなら医療資源が足りず協力と言うならそれこそ、ありとあらゆるデータを詭弁ではなく説明し国会の議論にかけるべきだった。

そして、反論に耳を傾け、検査拡大の声を無視してはならなかった。

そのための時間はあった。
中国の大変な様子が報道されていた年末から1月だ。

しかし、1月に国会は、桜をみる会の総理の不誠実答弁が破綻をきたし、政権の責任で、政治停滞が起きたことは間違いない。 
パーティーをホテルで開いて、領収書や明細書が出せないなどあり得ない話だから。  

また、野党がウィルス対策の議論をじゃましたと言うのも間違いで与野党一致して、対策繁忙時の加藤厚生労働相の、委員会欠席も認めていた。

このような中で、検疫感染症としてしか対処しなかったこと、それにすら疑義があり、クルーズ船の悲劇はそれであること、厚生労働省や神奈川県職員、検疫官に感染がひろがったこと、さらにいち早く国内感染対策に切り変えなかったこと、指定感染症の指定さえ、野党に批判され、後手であったことなど、既に過去のブログで指摘している。

単に市民が無知ではなく、当初からの政府の姿勢が怪しまれていることまで含めて批判されているのであり、それは、心配ないとさんざんいっておいて、文科省にろくな連絡もないまま一斉休校要請をする支離滅裂ぶりをあらわす総理の姿勢の破綻が一番不安なのだとはいえる。

対策には説明責任がともない、その中で、疑問に答えながら、一つ一つ了承が必要である。
それを民主主義と呼ぶのだ。
しかし「一斉休校」の際に、保護者の休業補償の質問に「つまらないこと聞くな」と応ずる財務相や、文科省厚生労働省に丸投げで、パーティーやお誕生日会や会食にいって、閣内での分担に無関心な他の大臣や、記者会見で質問を無視して退席する総理にはそんな意識がないだろう。 

そのような失態の積み重ねが、不信を呼び、対策に対する説明や了解の手続きの不足、データの不足が不信を呼ぶのである。

人権と命について当たり前の尊重の眼差しを欠いたこのような姿勢は、なかなか他の国でもお目にかからない。
真剣さの欠如である。

真剣さの欠如に、私たちはとてつもない不安を覚えるし、それは原発事故の9年間、特に安倍総理のアンダーコントロール宣言には狭い意味での財界経済だけ考慮した、実態無視の姿勢にもあらわれた。

それは不確定なリスクであるウィルス感染の事態にも、真剣さの欠如、人権の軽視、民主主義の軽視と言う政治的リスクを追加する。

その意味ではその国がどのような政治をしているかで、感染症への人びとの心配を変化させると思う。

悪い政治のもとでは、危険の実態が把握困難である、一斉休校の議事録さえないのであれば、感染実態や様々な議論について、うっかり政府の議論がうのみにできなくなる。

 

また、今回浮かび上がった問題として、新型インフルエンザ等対策特措法の緊急事態宣言がある。

はじめ、安倍総理は緊急事態宣言について、新たな法を制定する考えでいた。

しかし、2012年野田民主党政権下で制定された新型インフルエンザ等対策特措法にも、緊急事態宣言があることに気づいた安倍総理は元民主党勢力の立憲民主党、国民民主党に協力させれば、緊急事態宣言を手にできると気付き、その改正案を、国会上程した。

しかし、他の野党が慎重論、反対論を唱えている。

2012年に日弁連が反対を唱えた新型インフルエンザ等対策特措法は、二年限度に緊急事態宣言を政府対策本部が布告した場合、感染症対策のほかに、集会や道路や施設の使用制限が可能であり、なんと国会事前承認ではなく「国会への事後報告」で、運用できてしまう。

野田政権の負の遺産だと考えられるが、原子力災害特措法も、緊急事態宣言が解除されておらず、他に国民保護法制も似た性質を備えている。

憲法改正なしでもかなり危うい状態であり、ここにさらに憲法改正を加えるなら、あらゆる法律の緊急事態宣言が憲法のしばりを解かれてしまう可能性さえある。

 

それ以前に安倍自公政権は、公文書を隠したり、説明が詭弁的であるなど、権力の恣意的運用の危険にことかかない。

 

記録を残す、説明し議論し、納得し、命の心配をするそのような当たり前を、おそらく根底的に作り直さなくてはならない。

 

 

 

 

 

死んだものからの便りー米津玄師「パプリカ」

パプリカ

パプリカ

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥255

https://youtu.be/s582L3gujnw
https://youtu.be/s582L3gujnw

東日本大震災原発事故の被害にあい、亡くなった子どもを弔う歌であるとする解釈があり、その解釈に異議はない。

もう一つ宮沢賢治の「風の又三郎」にみられるような、座敷わらしや自然と一体になった(つまりは死んで物質となった)人が、風のように、さまざまな不思議や不可解な謎を運んでくれることへの畏敬の念も感じられるのである。

災害に巻き込まれ、放射能の巨大なエネルギーに、寸断され解体される人間の物質身体、あるいは、不断にウィルスに「感染、混合」され、解体される人間の物質身体。

むしろ、世界とは死の、分解解体のエネルギーで満たされている。
人間が自然からエネルギーを搾り取るごとに、実は死の、分解解体の、脅威は増していく。

そのエネルギーに自我を解体されそうになりながら、しかし、死の世界から帰ってくる子どもは、私たちに、伝えているのではないか。

非存在の、存在として、見ようとしても見えない不思議として。


はかないからこそ、むしろ、生きている間、ちからを尽くし、人間と問題と向き合い、学び、喜び、死んでいくのであると。
それが、死んだものからの、便りであると。

 

命より権利より「日本は大丈夫」というイリュージョンを維持したい日本政府が作り上げたクルーズ船の悲劇と国内感染の過小評価

クルーズ船を「水際」に停留させ、乗船者を「日本」から「隔離」するという日本政府流「水際対策」により、日本政府は「日本国内に感染症は入ってきていない」というイリュージョンを、日本人、世界のマスコミに見せようとしたのではないだろうか。

そのイリュージョンの代償として、国内感染症対策は全く進まず実態不明で国内感染者は適切なケアを受けられず、クルーズ船の乗船者たちは、感染症にどんどん罹患していった。

(もちろん、あのやり方しかなかったといった意見もありうるとは思うが、乗客乗員の国ごとにどのように感染症対策をして帰国してもらうか、という交渉を各国政府と迅速に行えば、ここまで世界中のマスコミや政府から疑問や批判が噴出することはあり得なかったのではないか)

 

クルーズ船の乗船者や国内感染者を犠牲にしても守りたかったのは、イリュージョンとしての「日本は大丈夫、中国みたいになっていない」というおよそ、国粋的排外的な絵面ではないか。

そしてとにかくその絵面をみたがるのは、中国を差別し「日本は大丈夫」と信じたい(政権を含め)右派的な排外、自国中心主義的な人々である。 

命より権利より「日本は大丈夫」というイリュージョンを信じたい政府と権威主義的な傾向を持った民衆ががんばろう、安全を連呼することは、戦時中も、敗戦後も、公害の時代も原発事故でもウィルス蔓延事態にも繰り返される。

そして、イリュージョンとしての「日本は大丈夫、平和、がんばろう」の中核に、気分的お守りとしての天皇と、実力としての米軍、自衛隊が鎮座している。
そしてあらゆる国家被害者への責任を取らずにのうのうと国家が維持され総理や大臣や官僚は言い逃れに走る。

そんな日本が本当に嫌だ。

変えなければ再び太平洋戦争に匹敵する政治災害を引き起こすのではないか。

なぜ、日本が侵略国家として破局的な戦争をしてしまったのかまざまざとわかる。

新型ウィルス感染拡大と福島第一原発事故は、「日本は大丈夫」というイリュージョンの維持のために、被害者を犠牲にして推移している。

つまりこれは戦前戦中と変わらない「国体護持」なのだ。

厄介なことに、感染症については日常的な想像力から危機をまだ、イメージしやすいが、放射能については、イメージすらしがたく、専門家、産業界、政官界の鉄の結合で「安全神話」がつくられている。

 

さて、ホテルでパーティしたのに、領収書はなし、政治資金収支報告しなくてよいなど、一般的な商慣行の否定、政治資金規制法や政治家の規範の根本的な否定である。 

そのように社会のルールを破壊しても守りたい「国体=自分たちが搾取者でいられるイデオロギーと経済の仕組み」がある。

 

天皇の戦争責任否認という根本的な倫理規範の破壊という事態から始まった戦後社会が、資本主義の限界という事態に立ちあって、元々あった腐敗を破局的なものにしている。

排外主義的に新型ウィルスを中国だけの病気のようにみなし対岸の火事と扱うのではなく、日本政府は早く日本国内の感染実態調査と感染者の治療支援を行うべきだ。

人々は、排外主義に煽られて、新型ウィルスを中国だけの病気のようにみなし対岸の火事と扱ってしまっています。

本当は日本政府は、日本に居住する人がどれくらい新型ウィルスにかかっているか、今すぐ調査して、治療をしなければなりません。

そもそも調査しなければ、感染が日本国内で増えているのか、増えていないのかわからないわけで、調べもせずに「心配しなくてよい」というほうが乱暴なのではないか。

調査を政府がしないから、中国への排外主義的言説がおさまらないともいえるのではないでしょうか。


政府は非常に鈍足で、調査をなかなかやらずに、マスコミは、クルーザーばかり写しています。

もちろん、クルーザーの乗客の安全と健康は大切なのです。ですから、どんどん船内で拡大している状況は大変危惧されますし、あのやり方は人々をとじ込めているようにも見え、ベストのやり方なのか。 

またそもそもあのクルーザーや武漢からの帰還者ばかり取り上げ、国内外にいるまだ明らかになってない感染者の方々を見ないような報道姿勢や政府の姿勢も問題があるようにおもえてなりません。

こういう矮小化というのは、原発事故の時にも起きました。
ごく小さな範囲だけ汚染されたから、首都圏は安全なのだと。
実際はそうではありませんでした。

しかし、そのように、「汚染範囲が小さい」とか、「新型ウィルスは中国の病気」と印象操作していけば、日本政府は初動調査の遅れや対策の遅れを批判されずに済んでしまうのです。
私はそのようなことを原発事故を調べるなかでけっこう気づいたものです。スピーディーの隠蔽なとがそうです。

新型ウィルスのせいで、仮に病気になったとしても、今のところは「よくわからないし、調べてないからわからない。不安にならないで」で済まされてしまう。
しかし病気にはその病気に必要な療法をみつけねばなりません。

実態がわからないまま、とにかく大したことないとオリンピックはやり抜いてしまおうというようなことを考えているのかなと思うくらい、報道や政府の対応は、ゆっくりです。

繰り返しますが、大したことある病気かそうでないかは、公正透明な調査をし、検証を受けねばなりません。
原発の業界に痛いことをいわない専門家ばかり呼ぶ原発関係の会議のようになってはだめです。

そして、当たり前の措置なのですが、やっと日本政府はコロナウィルスを感染症法の二類感染症に指定する改正を行いました。
もっと早急な指定をしていただきたかったものです。

「2019年12月以降、中華人民共和国湖北省武漢市において、肺炎患者の発生が複数報告され、患者から新型のコロナウイルス(2019-nCoV)が検出されています。
2020年1月28日には、この新型コロナウイルスによる肺炎について、感染症法に基づく「指定感染症」と検疫法の「検疫感染症」に指定する政令閣議決定されました。(2月1日施行)

 
参考:指定感染症・検疫感染症とは

指定感染症とは既に知られている感染性の疾病(一類感染症、二類感染症、三類感染症及び新型インフルエンザ等感染症を除く。)であって、感染症法上の規定の全部又は一部を準用しなければ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあるものとして政令で定めるもの」

http://www.iph.osaka.jp/li/070/20200206161132.html

感染症

第1条  この法律は、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関し必要な措置を定めることにより、感染症の発生を予防し、及びそのまん延の防止を図り、もって公衆衛生の向上及び増進を図ることを目的とする。

(基本理念)

第2条  感染症の発生の予防及びそのまん延の防止を目的として国及び地方公共団体が講ずる施策は、保健医療を取り巻く環境の変化、国際交流の進展等に即応し、新感染症その他の感染症に迅速かつ適確に対応することができるよう、感染症の患者等が置かれている状況を深く認識し、これらの者の人権に配慮しつつ、総合的かつ計画的に推進されることを基本理念とする。

(国及び地方公共団体の責務)

第3条  国及び地方公共団体は、教育活動、広報活動等を通じた感染症に関する正しい知識の普及、感染症に関する情報の収集、整理、分析及び提供、感染症に関する研究の推進、感染症の病原体等の検査能力の向上並びに感染症の予防に係る人材の養成及び資質の向上を図るとともに、感染症の患者が良質かつ適切な医療を受けられるように必要な措置を講ずるよう努めなければならない。この場合において、国及び地方公共団体は、感染症の患者等の人権の保護に配慮しなければならない。

 2   国及び地方公共団体は、感染症の予防に関する施策が総合的かつ迅速に実施されるよう、相互に連携を図らなければならない。

 3   国は、感染症に関する情報の収集及び研究並びに感染症に係る医療のための医薬品の研究開発の推進、感染症の病原体等の検査の実施等を図るための体制を整備し、国際的な連携を確保するよう努めるとともに、地方公共団体に対し前2項の責務が十分に果たされるように必要な技術的及び財政的援助を与えることに努めなければならない。

(国民の責務)

第4条  国民は、感染症に関する正しい知識を持ち、その予防に必要な注意を払うよう努めるとともに、感染症の患者等の人権が損なわれることがないようにしなければならない。

(医師等の責務)

第5条  医師その他の医療関係者は、感染症の予防に関し国及び地方公共団体が講ずる施策に協力し、その予防に寄与するよう努めるとともに、感染症の患者等が置かれている状況を深く認識し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない。

 2   病院、診療所、老人福祉施設等の施設の開設者及び管理者は、当該施設において感染症が発生し、又はまん延しないように必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

(定義)

第6条  この法律において「感染症」とは、一類感染症、二類感染症、三類感染症、四類感染症、指定感染症及び新感染症をいう。」

http://www.kanazawa-med.ac.jp/~mri-cfak/yobou.html

これから、やっと調査や治療が法律に基づいてできる体制を保健所や病院は取れるのです。(二類感染症では強制的な隔離入院はしないのですが)

野党は新型インフルの時のやり方を参考に迅速な指定はできるし、当然憲法など変えなくてもよいといっていました。

私は新型コロナウィルスの被害がひどいか思ったよりひどくないかわかりません。
なぜなら、中国政府の情報が混乱してるだけでなく、さらにひどいことに日本政府はこれまで日本国内の調査をしてこなかったからです。

ポツポツ出てくる情報では例えばafpbニュースなどは下痢や嘔吐もあるといっていました。

 

新型ウイルス、排せつ物からの感染示す兆候 下痢の患者ら見逃し? 論文 https://www.afpbb.com/articles/-/3267339 @afpbbcomから
「中国人研究者らが米国医師会雑誌(JAMA)に発表した論文によると、中国湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)にある病院の患者138人のうち14人(10%)が、発熱や呼吸困難といった症

 

状を示す1日または2日前に下痢や吐き気を訴えていたという。

 英サウサンプトン大学(University of Southampton)のウィリアム・キービル教授(環境衛生)は英サイエンスメディアセンター(Science Media Centre)に対し、「2019-nCoV(新型コロナウイルス)は、尿にも排出される重症急性呼吸器症候群SARS)のウイルスと同様、非定型の腹部症状のある患者の排せつ物で発見されており、このことは感染力の高いふん口感染(排せつ物を介した経口感染)を示唆している」と述べた。

 新型ウイルスがSARSと同じコロナウイルスであることを考えれば、ふん口感染の可能性は科学者にとって全く驚くべきことではない。」


呼吸器障害による血中酸素濃度の低下と、胃腸障害による体力や体内水分量の低下が合わさると、体が病気に抵抗する力が弱まりますから、悪化するのかなとか、胃腸症状があるなら、感染機会はさらに増えるなとか、これは私の単なる推理です。
みなさん、鵜呑みにせず、自分で考えてください。

さて、ウィルスにしても何にしても、どれくらいの人がどのような症状になっているかわからない限り、症状の重い軽いの判断、治療の方針なんかできるわけがないのです。

中国の断片的な情報を見て思うのは、既知のウィルスではないので、かなりてこずっているという感じです。
既知でない、未知の現象は、誰でもてこずるわけで、私は対岸の火事のように笑う人の気持ちがまるでわかりません。
中国と日本では国家体制の違いもあり、私たちが知らない様々な事情もあるはずです。
もちろん、日本政府は、原発事故の時に情報を隠蔽したわけですから、中国政府を笑う資格などあるはずもありません。

そして、今、安倍政権下の日本政府は文書を隠蔽、削除、改変し続けています。

こんなことで、通常の政府業務が適切に機能するはずがありません。
 

私たちは実態のわからないまま、中国への排他的感情に目を曇らせ対岸の火事のように見ています。

日本国内の人々に感染の恐れがあるなら、水際作戦から、つまり単なる検疫から国内の本格的な対策に重点をうつさねばならないはずです。

そして、今回感染症法の改正で
「指定感染症」に法律の扱いが変わり、「新型ウィルス」としてではなく、既知だが実態不明のウィルスとして頭を切り替えて、政府は迅速な調査と治療法の検討に入る必要があります。

それをきちんとやって、被害を日本政府がごまかさないように、私たちはウォッチする必要があるでしょう。
実態がわかり次第日本政府は情報を公開していただきたい。

でないと、手洗い、うがい、マスクなどの一般的な感染対策で済むのか、もっともっと大きな政府レベルの大規模な対策が必要な疾患なのかわからないのです。

ただ、胃腸症状などが報道で指摘されていることから、感染機会は多そうで、また重症化させないために、しっかりした療養は必要なのではないかと思ったりします。

おそらく、何にしても、栄養と休養はしっかりとる、体を冷やさないということは大切ですね。

放射能汚染された土や水を環境中にばらまくのは、原発事故をなかったことにしたい企業や国家に都合が良すぎることに、より多くのかたに気づいていただきたい

福島第一汚染水を、国や東京電力はどうしても、世界の大空や太平洋に、薄めてばらまきたいようである。

 

その中に内在する論理は何かを考え、わかりやすく解明し、打破せねばなるまいと私は考えた。

いろいろ調べてきたが、もはや、原子力推進業界には耐えがたい誤魔化ししか感じないからである。

 

例えば、太平洋に海洋放出するというやり方に対し、韓国、中国、ロシア、チリなどの国々が懸念を表明しているように、これは世界の環境生態系に未知の危険を付加するものだ。

つまり、福島沖から放出しようが、大阪湾へと放出しようが、どうせ太平洋に出るのだ。

これは日本だけのもんだいではないということがあまりに指摘されないで日本の世論は推移している。

内向きの身勝手な議論で環境を汚染してよいのか。

日本近海の水産物や海洋環境への影響を考えれば、どこの湾から出しても日本近海を流れ、国内的な「助け合い」「絆」の意味すらない。

 

大量の水でうすめたら問題ないという。

これまで幾多の公害物質が薄めて(巧みにある時点の基準のみを形式的にすり抜け)

世界に放出されてきた。

例えば二酸化炭素などの温室効果ガスはそうして、どんどん放出されてきた。

世界中のプラントから。

どうなったか。

地球の気候を危機的に変化させたので

ある。

今も、産業界は、薄めてばらまく「希釈拡散」ばかりやって、環境を危機においやっている。

このやり方は限界だ

だから若者が立ち上がったのだ。

 

今回日本政府と東京電力原子力産業界は、事故で爆発した炉心に直接かかりトリチウム以外も除去に失敗した水をまた、ろ過器にかけ、水でうすめてばらまきたいというのだ。

彼らは「塵も積もれば山となる」ということわざを無視している。  

温暖化ガスや様々な大気汚染物質がそのように環境や人を蝕んでいる。

その例外に放射能がなるといいたいようだ。しかし、無毒化不能なのが放射能なのだ。

原発を爆発しないようにしていなかった国と東京電力が爆発させ、仕方なく水をかけていたのである。まず水を減らし水棺以外の方式を考えねば。

もちろん炉内の状況によるが、汚染が外部に放出される量を減らさねばなるまい。

不始末な汚染水を太平洋にぶちまけるなど、無責任のきわみである。

汚染水も汚染土も、いったん除去したのに、こんどは害がないといいだす。

支離滅裂で泥縄式である。事故の責任から逃避したいのである。 

しかし未来のない大企業や取り繕う政府より人間やうみのいきものの命が大事なのだ。

 

様々な科学者や市民団体、漁民は広大なふくいちの敷地にタンクを作り、減衰をまつあいだろ過技術を開発せよとこえをあげる。

経産省のアルプス処理の小委員会の委員も、敷地について空きがないか追及していたのである。

敷地や東電関連施設への用地確保についての議論が深められたとは言いがたいのではないか。

それを力業で、昨年末のどさくさに、大気放出か海洋放出と押し出そうとしているのだ。

 

 

 

根本的な間違いは、明らかな、事故の負の産物である汚染水を薄めてばらまくということ。 

有害物質を薄めてばらまいて一番痛むのは、もっとも小さな生命単位である、食物連鎖の末端の生物や、分裂し続ける私たちの体内の一つ一つの細胞、それがよりあつまった放射線感受性の高い個体だ。

 

放射線感受性の研究は行われており、その差異は大きい。子どもだけでなく、大人にもそのような人はいる。

したがって薄めてばらまいても多くきずつくひとや生き物がいる。

そのような被害を平均化することはできない。

アレルギー体質や喘息があるひとは、大気汚染でより大きい影響をうけるということは、科学的に様々な調査がある。

それとおなじで、薄めてばらまいても被害はけして均等割りにならないのだ。

不公平そのものだ。

さらに、より小さな弱い生命が傷つけられた場合、未来にわたっての生態系が破壊され、生態系全体が存続できなくなる。

 

海洋あるいは大気放出は、ナショナリズム的で、他の解決法を阻害し、生物個体差を無視した政策だ。また汚染したものの責任を回避し、被害者に負荷を与えるやり方だ。

原子力政策や不正な産業文明は、弱肉強食で自己責任的な風潮にあぐらをかいているのだ。

汚染土や汚染水の環境への希釈拡散政策をやめ、日本政府と東京電力は、環太平洋諸国の人的技術的支援を借り、汚染水の希釈拡散を回避すべきだ。

 

オリンピックに向けて放射能大丈夫政策の一貫として、汚染水をばらまく方向にもっていきたいのだろうし、暑く東京湾の海水の問題もある。

オリンピックが国や企業の強者ロジックを補完するものであることに、日本市民が声をあげることをのぞみたい。

【詩作品】もや・もや

ひび割れた心を 支えながら歩いている 銀行から3メートル進んで もう歩くのが嫌になっている 巨大なスピーカーが ザクロのように ツブツブを出しながら 万人の万人に対する 闘争に追い込んでいる 私は かけらを散らしながら 無表情を気取っている

いつまであと何年 削れていくのか

今日幾人もの人が 流されていった

距離が取れない 昼寝をする

やるべきことが わからなくなっている

夕方ぼんやりしている いくらか頭痛がして いろいろ手につかない

夜になる

私はあふれてきて 張り詰めて 持て余している

これ以上また 愚かなことはしたくない 滅びつつある世界では 愚かなことだけが なしうるのだろうか

私たちは歴史を忘れて システムを捉えられなく なっているとSNSに 投稿する またひとりフォロワーが減り 暗い画面から 笑い声が聞こえてくる

わかったふりをしていても 滅びは避けられない

夜の風は ヒロイックではない モヤモヤしていて 生ぬるい 秋なのに

天皇即位の日から考えたこと、その断片

安倍総理がバンザイし、自衛隊が祝砲を打ち、罰金刑を受けた米軍人、軍属が恩赦される天皇即位。

これだけで、天皇制が何なのかって、明確にわかると思うのですが。

しかもアマテラスに拝んでるんです。 信仰を笑うということではなく、神的なものにすがって、侵略するということがおそろしい。 戦争を「聖なるもの」とするレトリック。危険きわまりない。 「天皇がアマテラス神の子孫で日本は神国だから戦争して勝てる」と言って、戦争して、アジアを破壊したんですが。 単なる一個人が神を祀っているのではなく、戦前は神聖不可侵の国家指導者であり、戦後は日本国の象徴として規定される天皇がアマテラスに祈るのです。

しかもそのアジア侵略について裕仁だけでなく、地位を継いだ明仁徳仁にも、正式に被害者に対し戦争責任を認めるということはありません。

「いたましい戦争」「深い反省」「平和の誓い」などの言葉は、それゆえ責任という「応答関係」をもちません。

私を含めた日本人もまた天皇の戦争責任を社会全体で明らかにしていくことができないままでいるという事実を見る必要があると思います。

東京で即位式に抗議していたデモ参加者数名が逮捕された。ひどい。

警察は今回史上最大級の警備体制を敷いているという。 天皇即位関連の予算は100億を超える。 批判の声を封じるのは、その体制が不正だからではないか。

これだけの警察力を投入してしか挙行できなかったとも言えるかもしれない。

天皇即位の翌朝、テレビで司会者がインドのカンニング対策で、ダンボールをかぶせて横を見えなくするというのをバカにして笑っていた。‬ ‪ダンボールの上に寝かされた避難者をしり目に、天皇がアマテラスに拝むのを万歳するこの国の惨状を、ダンボールをかぶらずとも直視しないあなた方が一番愚かだ。‬

さらに日本が恐ろしいのはそのダンボール敷きの避難所にすら入れてもらえない野宿者や、差別されたり、ハラスメントを受けるので入りにくい障害者や女性やLGBTQの人々がいることだ。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陛下 へいか

古く中国で、天子の称として用いられた語。「陛」は階段をいい、陛下は階段の下というのが原義。臣下(家来)は天子に直接奏上することはなく、階段の下にいる護衛の者を通して行ったことから、この語が天子の尊称となった。「殿下」も天子の敬称であるが、これも階段の下というのが原義である。  日本では、陛下は天皇太皇太后、皇太后、皇后の敬称とし、殿下は古くは「てんか」とも読み、皇太子以下の皇族、諸王、さらには拡大されて摂政(せっしょう)、関白、将軍の敬称としても用いられた。なお、高位高官の人に対する敬称の閣下も、原義は高殿の下の意で、転じて天子や大臣など高貴な人のそばを意味した。[宇田敏彦]

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陛下とは階段の下で、臣下が上奏(意見を述べたり報告したり)することをいう。 私たちはまだ階段の下にいるのですか。 人間には上下はないのではないですか。

天皇制のことになると、まったく批判的なことが言えなくなってしまう。 それが言論の自由がない状態です。 イヤミでいってるのではありません。 この社会の民主主義を心配していってるんです。 このままでは本当に戦争になっても誰も文句が言えなくなるでしょう。

日本の民主主義、一人ひとりが問われています。

天皇は「日本国」や「日本国民統合の象徴」と言われる。 天皇制を批判したり反対したりするだけで右翼には「非国民」呼ばわりされ、警察にはひどい規制を受ける。

そのような形で天皇の存在が議論をしてはいけない、恐ろしいものとなっている。 天皇や総理大臣の気持ちや人柄の問題ではなく、この国は天皇の戦争責任を問わず、政教分離や性差別、障害者差別、身分差別などの批判に応えずに来た。 私はそのような状況がこの社会に様々な問題をもたらしていると思う。

何しろ「日本国の象徴」らしいので。

このように地位に過ぎないものを象徴として考えることができるのか、無理があるのではないかとも考えたりする時がある。

天皇は何十億の税金でご馳走や儀式をやって良くて、他方、生活保護もらったり、障害年金もらったり、被災者や原発避難者として生活支援されることに対しては、大衆や政府から「税金のムダ使い」と石を投げられる。アジアの民衆が戦時賠償を求める声にはさらなる非難という日本国の論理。‬ ‪ 非道極まる。‬

かつて裕仁死去の時、あからさまな自粛の一方、これは変だろうという言葉が多少メディアでも流れたのを記憶しているが、今回はとても少ない、 野党の国会議員が礼服姿をツイートしたりしている。 何も考えない人が増えている印象がある。 安倍昭恵氏の服装がどうこうと、安倍夫妻の悪口に終始し、その矛先が異様な格式を強調する天皇制に向かわない人も多々いる。

女系天皇にしたとて、「女性が後継を生むように強いられる」構造は変わりません。 女性の尊厳や生まれてくるこどもの尊厳を傷つけながら、家制度は持続するのです。 やはり天皇制は廃止しかないということになります。

このような制度を維持する限り、不公正な家制度は続き、女性やLGBTQのような多様なセクシャリティジェンダーへの保障は進みません。

天皇即位抗議のデモに参加した日は、警察が早く歩けとうるさく、大変苦痛だったが、体調は悪くならなかった。

しかし、SNSやテレビをチラ見する度に、天皇制の問題を理解しない様々な言葉が目に入り、怒りと悲しみでたまらなかった。 母親にその気持ちを話し、気分転換をはかった。 それから昨夜は頭痛がしてきて、夜も気持ちが落ち着かなかった。 頭痛薬を飲んで寝たが、寝不足だった。 今朝未明に雨が降り始め、天皇即位騒動の影響と、激しい長雨で、頭痛が起きたことがわかった。 二度寝した今朝、夢を見た。

人殺しの怪物のような人間が私や私の仲間を追い詰めてくる。 隠れ家の窓やドアを閉めて潜むがここは危ない。 それから、巨大なスーパーに逃げる。 ゲームセンターに、その殺人者がいる。

殺人者は無邪気にゲームをし、一緒にゲームをしようと近くの女性に呼びかける。

何人かの人が殺人者の姿に気づき騒ぎになる。

騒ぎが大きくなる前に、私は光が差しこむスーパーの広い廊下を走る。

しばらく走って野外に出てさらに走ると、破壊されたトイレがある。私はそのトイレで死んだふりをして隠れようと思い立ち、息を潜めて隠れている。

どうしても天皇制を批判的に話題にしたらまずいという自粛の心理があるみたいですが、そんなに言いにくい仕組みってのがまず私たちから言論の自由を奪ってんじゃないかと考えてみて。

天皇制がなぜ批判されるかわからないという方は、この記事を手始めに読まれてみると良いでしょう。 私たちは問題がある仕組みの問題を見ないようにしているだけだと思います。

「基調講演した篠崎美生子教授は、昭和天皇の死で自粛の空気に染まった平成への代替わりと比較し、「生前退位により死を介在させなかったため違和感が生まれにくく、考える機会が奪われた」と指摘。国民以外を疎外し、世襲で成り立つ天皇制は前近代的とした上で「この制度を社会がなぜ保持しているのか考える必要がある」と投げ掛けた。

 参加者による自由討議では「学生たちにも神聖な存在と受け止められ、批判が許されない空気がある」「税金が投じられている皇室の在り方を議論できないのはおかしい」といった意見が出た。「大学を休みにするか否かもしっかり議論し、問題点をあぶり出す必要があった」との声も上がった。

 法学部2年の女子学生(20)も休日扱いに違和感を抱いた一人。「天皇家の行事でなぜ大学が休みになるのか。多くの人は自分の生活に影響がないからと天皇制に疑問を持たずにいるが、そんなことはないと実感した」

 大学で勉強するまで「平成の天皇しか知らず、過去の戦争責任が問われる存在だとは思いもよらなかった」という。「アジア侵略の加害を生んだ歴史があり、女性が平等に扱われないなど天皇制への疑問は多々ある。広く受け入れられているといわれるが、問題点に気づいていないだけではないか」と話した。」 ‪「議論ないのおかしい」 明治学院大で天皇制考える催し 神奈川新聞https://www.kanaloco.jp/article/entry-203732.html