細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

東京電力福島第一原発事故被害についての、基本を確認しながら事故について語らねば、避難者イジメ問題の核心を見失う

自主避難者への誹謗中傷が高まっている。

かねてより避難指示区域外からの避難者には支援は災害救助法における公営住宅が無償で借りられることしかなく、生活をするに足るようなまとまった賠償金もなく、被ばくによる検診や失った仕事や学校の就労就学支援もなかった。

それなのに、全国の学校で原発避難者の子供たちは、国の厄介になってるとか、揶揄われ辛い思いをしているという。

実態は原発事故によって、広い範囲に放射性物質が広がり、事故前よりは放射性物質の曝露や影響を心配しなくてはならなくなった環境が生じたのに、日本政府は、そこに住む人々に遺漏なく汚染状況を知らせる手段を取らず、限られた地域の汚染状況だけをホームページで知らせることしかせず、それぞれの住民がこの被ばく状況で、どう過ごすか、あるいは移住するかの選択の機会を与えなかった。

そして、日本政府は汚染状況や影響範囲を小さく見積もり、20から30キロ圏しか避難指示区域にしなかった。さらに一昨年からオリンピックにかけて、汚染がなくならないまま避難指示区域を解除して、東京電力からの賠償金を打ち切り、未だ高い線量の場所が残る地域を、平気だとして、人々を帰そうとしている。

また、避難指示区域に入らない区域外からの避難者への公営住宅無償提供も打ち切る計画なのだ。

つまり、避難者いじめの原因は、原発事故にもっとも責任を感じねばならない東京電力と、原子力発電政策を官民挙げて進めた国が、原発事故被害をわずか10年以内に無くなったとしたい無茶な政策にあるのではないかと私は思うのだ。


日本政府は基準として年20mSvまでの地域を安全としている。これはそれまでの年間被ばく線量限度1mSvの20倍である。実測ではなく基準でそうしてるのである。これは国内で徹底的に議論されてできた数値ではなく、異論のある人々を押し切って作った。

誰も福島にいる人を責めるとかそんなことではない。なぜ福島第一原発事故が起きた瞬間から基準を引き上げられなければならないか、引き上げられた基準によってそれ以下の被ばくを気にしないように法的に強いられなければならないかということである。

20mSvは日本が正義と人権に基づいた法治国家として、容認できない人が出てきておかしくないことなのだ。
今後の原発事故においても20倍の限度を強いるのなら、これは原子力政策のみならず、私たちの社会の持続性に関わる問題だ。

様々な理由で受忍する方がいることは否定しないが、なぜ土地が汚染されたことを基準引き上げによって、国や東電は何事もなかったことにするのか。
これまでの年間被ばく線量限度1mSvで被害額を換算すれば東電の罪、政府の政策の恣意性は明らかになるだろう。

国は1mSvまで、被ばく線量を下げるために、除染するといいおびただしい土を剥ぎ取り植物を切った。しかし、それを完全に片付ける実際的なめどはない。また、賠償や除染にかかる費用は東電に代わり国が立て替えている。廃炉を含めれば20兆を超える。


このままでは国家財政がパンクする。

そしてこの負担を支払うのは、私たちはおろか原子力政策を推進した覚えのない子どもたちも含めた日本列島に居住する人々の電気料金や税金からである。

 

パンクしなくても、電力会社による原子力発電事業は、負債超過でできなくなるはずだ。

事実上パンクしないために、あるいは、原子力発電事業を守るために、国は20mSvまで帰還できることにし、東電の賠償をオリンピックを機に減らし、オリンピックを機に人を帰す計画なのだ。
しかしここで疑問なのは東京電力は何ら捜査もされず、刑事的な責任を取っていないのだ。
私たちが様々な負担を分担しなければならなくなるとしても

なぜ、東京電力の幹部は主に刑事的な責任を問われないのだろう、なぜ原子力メーカーは責任を問われないのだろう。海外に巨額の投資をしては失敗する彼らの責任はなぜ問われないのだろう。

私たちは敗戦後、自らの手で戦争犯罪者を裁くことなく戦後発展してしまった。

今度もまた巨大な原子力事故によって、責任を問われるはずの人々を不問にして「耐え難きを耐え」復興をするのか。しかしよく考えよ。この地震災害国日本でこれまで通りの原子力発電や巨大産業はできない。まず、私たちは責任を問うべきものを確定し、残余のものをそれぞれ担ぐべきだ。

責任を曖昧にして、私たちが重荷を我慢する復興。そんなものでは国はやっていけない。やろうとすると弱者にしわ寄せが来る。来ているではないか。
いい加減にしなければならない。
私たちの社会の公正さを取り返さねば私たちはズルズルと壊れていくだろう。

【詩作品】それは尊いことですか

頭がどんどん悪くなります

諦められなくなります

肝心なところで踏ん張れなくなります

 

だけど欲は深くなるんです

辛いです

優しくしてほしいとか

暖かくつつんでほしいとか

 

言い逃れがうまくなります

自分を誤魔化す言葉は増えます

自分を正しいと偽わる言葉が増えて

それだけで宇宙を作れそうな気さえ

します

 

歳を取れば変わるんだ

しっかりしてくるんだと

思っていました

しかし

違うんです

 

自分に正直になろうとすると

私が認めないできた

私の身もふたもない気持ちが

あふれることを

もはや抑えることができない

 

他方でツヤはなくなりますし

ぷくぷくした感じはなくなります

風邪を引いても治りにくかったり

むやみに

虚しかったり

どうしようもなくなります

 

その時どうしようもなさに

身を埋めるだけではなく

お前

自分を憐れんでるんじゃないぞという

ジサマがあらわれ

憐れんでもよかろうという

バサマがあらわれ

2人で罵りあうのです

 

その声に埋もれて

私自身の気持ちすら

さめざめ

何やら朝焼けのように

目に眩しい

 

こんな全てを

誰か聞いてくれたら

と思って

しかし

そんなことしかないのかい

と思います

 

星々はすごい勢いで

墜落して

山が崩れ

海が裂けるようです

 

ただただ

ワガママで罪深い

ヌルヌルした愛の言葉を

互いに伝えられずに

文明が自然を壊し

文明が文明をどつき回すのです

 

そんな瀕死の文明の

ただ一瞬に

私たちが生きているかもしれません

 

それは尊いことですか

 

【詩作品】厳しくなる冬の雲を

誰からも離れて

まじわれない一つの鳥

それがわたし わたしの証

水の顔を蹴りあげ

空へ高く墜落する

 

自由ってどこまでも落ちていくこと

でしょう

落ちるってそんなに悪くない

でしょう

息のできない高さに行ったら帰ってくる

のですよ

 

そのとき満員電車は暗い地下トンネルを

走っていた

苦しくて苦しくて

僕は倒れそうだった

パニックしょうこうぐん?

ていうの?

冷や汗が出てくるのですね

たっていることができない

 

あの時すれ違ったあなたは

僕に顔を見せようとは

しなかった

 

空が冷たく凍る時

わたしは飛ぶことをやめ

あたたかい島へ戻ろうと

決意した

わたしには

思い出がある

わすれられない

わすれられない

というより

あなたでいっぱいになるの

 

そうね

この世界は目標をなくしたの

矢印が

どこをさしたらいいか

わからない

そうですね

 

僕は駅前から、川べりを歩いた

寂しそうな

水鳥が

くちばしに藻をからませ

すべすべした眼差しが

厳しくなる冬の雲を

見つめていた

 

たぶんもうすぐ雨が降るのかもしれない

 

【詩作品】寝床の賛美歌

疲れてねむっている

風邪って疲労のかたまりみたい

あの夢もかなわない

光と闇のまだらの模様

筒の外から雨が聞こえる

 

大人になってもさみしいんだよと

子どもの僕に教えてあげたい気分だ

布団の中がイマイチあたたまらず

暴れ出したい気分

 

君が隣にいてくれたら

隣にいなくても同じ運命の川を

滑り落ちているなら

たとえさみしくても

耐えられる

そんなことを

他人に求めてはいけない

 

明日の朝にはやむだろうか

雨が

雨がやんでも

やまなくても

ずっとさみしいままかな

さみしいってなんでしょ

この体から

溢れ出す匂い

 

一つ一つを

深くつっこみすぎない

と先生は言いました

なるほど

そうかもしれない

 

天に向かっていく

死者達の群れ

乾ききらない草のつゆ

滅びる明日にも

生きものの賛美歌が

聞こえるような気がして

発達障害の診断を受けたのは、幸せになるためには自分を知らなきゃと思ったからだ。

私はアスペルガーなので、他人の気持ちをうまく読み取れない。

少し疲れたり焦っていたりするだけでも、本当は嫌味を言われてるんじゃないか、とか、疑心暗鬼になる。

また、他の人たちは、自分のわからない、たどり着けない場所で、「人間の楽しみ」を謳歌していると思い込んで嫉妬や寂しさをためこんでいる。

 

それらを挽回しようと、いつも焦ったり、不安になって緊張したり、心をすり減らしている。

 

基礎にあるのは、疎外感のようなものだろう。

その疎外感の正体がわからなかったころはスネたりいじけたりして、死にたいとすらよく思っていた。

学生時代は、他人が気になる時期だが、その気持ちを他人にどう打ち明けて良いかわからず、悩みが溜まり、苦しんでいた。

 

仕事ができなくなり辞めても、詩を書いて暮らすとかおよそ非現実的なことばかり言っていて、さらに生活が苦しくなり精神も破綻した。

その頃付き合っていた人を苦しませ、その人は私と生きることが辛くなり私の元を去った。

自分が情けなかった。

 

それから様々な人のすすめで、心の病を治す取り組みを始めた。

しかし、私は精神病もあるかもしれないが、それよりも、人の気持ちをうまく読み取れない、それで誤解して、自分を追い詰めることがあるとわかり、それはいろいろな人間関係の難しさを感じたからだ。

そんな風にして発達障害の診断を仰いだ。

それは私が生きていきたいからである。

疎外感がなくならなくても、なるべく中良い人のあたたかさやつながりの中で生きていたい思いが強まったからだ。

災害や原発事故が私に生の自覚を促した面がある。

楽しく生きれば、災害などで私が死んだりこの国が崩壊して私が死ぬとしても、この世界に生きたという証になる。悔いがないという思いでいる。

私はだから自分と人がその違いのまま調和するという、アスペルガーがなかなか得られない感覚を知りたいんだと思う。

 

 

【詩作品】なまえ

僕の名前は

和広というよ

親が平和を広げてほしいと願ったらしいが

ホンマかわからへん

実際僕は世の中とギスギスして

自分の身一人分の

平和すら怪しい

 

僕があんまりおとなしいから

僕の弟には「武」という字をつけたらしいが

ホンマか嘘かわからへん

 

しかし、僕はいつも

名前の書き方を説明するときは

「平和の和に広島の広」

という

その時頭の中に

平和の鳩が広島市の空を飛び

原爆ドーム

威厳のある姿に見えてくる

 

しかしその時

まず平和とは何か?

と痺れるように辛くなり

今まで

親や男や女やいろんな人と繰り広げた

喧嘩を思い出す

それはそれぞれに

真剣で戦火はあがらないが

僕は本当に恥ずかしく

僕の死を願ったこともある

 

僕は死にたいという気持ちに

包まれてきたから

平和とか世の中とかよく実感できない

平和だから

死を考えたのだと言われると

腹がたつ

 

時々考えるのは

戦争にいった祖父の

生きていた頃の姿だ

 

祖父は朗らかに生きていたが

とても寂しそうで

心ここにないように

見えた時もあった

馬のように綺麗な鼻筋の

上にある彫りの深い目には

空のさみしさが夕闇を含み

短いため息のような笑いを吐き出す

人の良さそうな口もとの

隣の頬には

深い傷があった

深い傷のある口は若い時から

入れ歯で

 

やっぱり戦争は怖いなと思った

優しい祖父が兵士になって

殺し合ったんやなあ

そのあとに何十年生きた

 

平和がわからない

平和が泣いている

 

僕には名前がある

どうしていきていきたいかもわからない

 

ただ、話すことは

わずかにあるんやで