細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】暗い顔

なんでもないことで 傷つくから 生きにくいや 感情がバラバラで ドキドキするから 人間のフリしたら 最低人間になってる気がするや

雨の駅でみている 車両は雨を跳ね返す 鳥が鳴いて空が光り出している もうすぐやむだろうか

家に帰れば寒い気持ちで スマートフォンをまたみている やっぱり弱音しかないや 自分を傷つける記憶しか タイムラインには見えないや

ずるい人を叩いて 溜飲を下げている 俺もずるいのに ずるいことを認めるフリして ええかっこしいするほど 小賢しいんや

不安で核分裂が 繰り返されて 核ミサイルが世界に有り余ってる みんなで 不安を打ち消しあうために みんなで核保有して いれば みんなで仲良く滅びるだろう 俺だって 他人ごとじゃないや 明日死ぬかもしれないし カラダの中で 核爆弾 ちかちかちかちか 鳴ってるか

暗い夜だなあ 暗い夜がいいや あんまり明るいのは 怖いや 暗さに包まれて 暗い顔と見つめあってる

なんも見えなくなる前に 暗い顔をみてやる

俺の間抜け面は明るい

暗い顔をみてやる

国連フェルトマン事務次長が朝鮮訪問「一つの判断ミスが戦争の引き金に」「誠実な対話を通じた外交的手段による解決しかない」

国連事務次長「一つの判断ミスが戦争の引き金に」 訪朝で警告(AFP=時事) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171210-00000017-jij_afp-int 「【AFP=時事】国連(UN)は9日、4日間の日程で8日まで訪朝していたジェフリー・フェルトマン(Jeffrey Feltman)事務次長(政治局)が、たった一つの誤判断が北朝鮮との戦争の引き金となりかねないと警鐘を鳴らし、対話の窓口を開いておくよう北朝鮮に呼び掛けたと明らかにした。

 フェルトマン氏は、北朝鮮による米全土を射程に収めた新型大陸間弾道ミサイルICBM)の発射実験実施から1週間を経ずに北朝鮮を訪問していた。国連高官の訪朝は2010年以来。

 国連によると、フェルトマン氏は北朝鮮で李容浩(リ・ヨンホ、Ri Yong-ho)外相、朴明国(パク・ミョングク、Pak Myong-Kuk)外務次官と会談し、「朝鮮半島の現状が、現在の世界の平和と安全保障における最も緊迫かつ危険な問題となっている」という点で合意した。

 また、戦争リスクを減少させるためには誤判断を防ぎ、緊急に対話窓口を開くことが必要だと指摘し、緊張が高まる朝鮮半島問題を平和的に解決するためには国際社会が関与していかなければならないと強調。現在の北朝鮮問題の解決方法は「誠実な対話を通じた外交的手段による解決しかない」との認識を示した。【翻訳編集】 AFPBB News

アメリカや日本も自らのメンツ、北東アジアでの覇権の維持にこだわって、強硬な態度に出すぎました。 国連はアメリカにも日本にも警告すべきです。 平和的な対話により米朝双方が、米朝共に核廃絶をしてほしいと思います。 日本政府は早くアメリカに核廃絶を促すべきです。 それが被爆者に報いるただ1つの道であり、脱核と脱原発は同時に進めるべきです。

改めて告ぐ。米政府の朝鮮武力攻撃に反対です!日本政府の武力攻撃参加に反対です!私たちは思考停止は止めよう。ー在韓米軍家族の退避訴え=北朝鮮と「衝突近づく」と米議員(時事通信)

‪許せない!‬ ‪米政府は戦争してはならない! 日本政府は武力攻撃に参加してはならない! ‬

‪在韓米軍家族の退避訴え=北朝鮮と「衝突近づく」と米議員(時事通信https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171204-00000011-jij-n_ame‬ ‪「われわれは軍事衝突に近づいている」‬ ‪「時間はあまり残されていない」「韓国から米軍兵士の妻や子供を退避させるべきだ」‬

私たちは「朝鮮とアメリカの戦争に巻き込まれる」のではありません。 「日本政府はアメリカの核保有の脅威となった朝鮮を共に攻撃する」つもりなんです!

日本の野党ははっきりアメリカの攻撃に反対すべきです。 森友加計だけでなく、戦争にははっきり反対すべきです!

日本政府はアメリカの対朝鮮攻撃に協力するはずです。 そうすると、日本のアジアでの地位は最低になるだろうし、北東アジア全域が危険かもしれません。 一度でも日本に反撃が着弾した場合、リベラルも含めたたくさんの人々が憲法を改正に賛成するでしょう。 安倍さんの思惑通りか?

私はずっと朝鮮攻撃反対、日米こそ核廃絶をと訴えて来ました。 しかし、なかなか広がりません。私の発信力の弱さだけでなく、リベラルや左派も朝鮮とアメリカの関係について思い切ったことが言えなくなり、リベラルにも朝鮮韓国ヘイトがはびこってますから。

日米が核廃絶に尽力しない限り、朝鮮への核放棄要請は説得力を持ちません。自明の理です。 日本人は、朝鮮韓国ヘイトで目が曇り自明の理がわからなくなり、戦争に反対できなくなっています!

日米政府に対し、朝鮮への強行姿勢を改めるように、私は発言していきたい。 しかしいつまでそのような発言が可能か不安です。

言えることは日米が核廃絶に尽力しない限り、朝鮮への核廃絶要求は説得力を持ちません。 それを朝鮮への戦争によって暴力で示すのは最悪のチョイス。 日本政府やアメリカ政府は自らの原罪を消したいのではないでしょうか。 私たちもその動きに従ってしまうのか。 こんな暴力が許されて核廃絶原発廃絶はできるように思いません。

もし朝鮮攻撃に日本が参加した場合、あるいはアメリカが攻撃した反撃に朝鮮が発射した兵器が日本の領土領海に着弾しますと、憲法を改正せよという世論が高まるのを抑えることは難しくなることが予想されます。 リベラルや左派の口は封じられるか、転向しか無くなるかもしれません。

アメリカや朝鮮民主主義人民共和国が難しい国だからと思考停止して静観していたら、大変な惨劇に私たちは手を染めてしまうのではないか。

私は心配です!

【詩作品】フラクタル・比べたる・戦いと崩壊

ちがいがある 私とあなたには

やはりちがいがある ちがいがあると 話さなくては それがことばらしく 事実である

ことばです救済です やっかいです

白と黒 白でない何かの無限のひろがり

黒という、果てしなく奥まり 濃度が上がる さいはての 私は重力が生まれる芯のようなもの

ことばはつながるので ことばは芯にとどまらない

ことばは切れるので 新しく始められるし うちすてることも可能です

その自由に 恐れいる

ことばに みんなちがってみんないい というような 場所はない

ことばの外に出るのはたやすくない ことばを 書いても書かなくても 脳みそはつねに ことばの動き通りに 整序されてしまう その前の なんだか やかましい ざわめきみたいなもの

私のはめている 耳栓の手前にある 僕の中は やはり耳の穴 という 指し示した瞬間に

指し示すと あちらとこちら が生まれ 私とあなたの 色や形が 比べられる 比べることなしに 数や雲や しゃもじや 蜘蛛の巣は 生まれない

雲や空は高らかに ゆれうごいている つねに あそことここ 雨から晴れ いずれの地点も平等で しかもちがうのだ

私が1人で歩いている時に あたたかい光の筋が射してきて まあいいや と思った 死に損ないで 死に損ない元年 死に損ない五年と 数えた

死に損ないで何が悪い 死なないことはえらい 私の身体の中から 生きようとするものと 死のうとするものがあり 生きようとするものから死のうとするものを突き落とし 総和では生きようとするものが 上回ってる それは 厳格な算数です

それで だからそれは闘争であり 競技です

その闘争であり競技であるものが あまりに 辛いので みんなを平等にするように 人間は頑張ってきたので

闘争であり競技であるものが 不可避で しかし他方命は それぞれありのまま存在する その矛盾が命そのものから 導き出されて それはあまりにも辛く切なく 深刻であり 命すら脅かし合うのだから 平等が要るのです

手を伸ばす力に 力というわけのわからない 概念に

困った あの川の道には桜が並んでいた その川をはさんで かつて 人は2つに分けられた なぜだ 私は悩んでいた

幼い時 いつも仲良くなれず いつも違いが際立たせられてしまう その中に私の存在の 秘密があるような気がした

気にしなくていいよとか それはあなたが考え過ぎだ という中に 何かがある気がした

ちがいを生み出す力に 可能性と危険が ギリギリ釣り合って 私は小さな体を ふるわし 澄まし 戦慄し 卒倒をこらえていた

私が私である時に 私から引き算されているもの 私が私でない時に 私から引き算されているもの

その解を足し続けて 総和を出し 世界を取り戻したいのだけど

放射能規制の意図的?不備から、「焼却」や「再利用」の議論や事業が始められているー福島第1原発事故 汚染牧草を堆肥化 放射性物質、暫定許容値以下へ 農研機構が栃木で試験 

汚染牧草堆肥化について気になる話が。 放射能汚染された牧草を焼却する計画について、宮城県議会でバグフィルターの集塵性能に疑義があり、焼却については県下で反対が広がっています。 しかし、堆肥化する計画もあります。 しかし、汚染された牧草を堆肥化し、田畑にまくのは良いことなのでしょうか。 そもそも、放射能汚染されたため、使用せず保管してきた牧草なんです。

汚染のために、使用しなかったものを再び撒くというのはなかなか理屈が通りません。もちろん置き場所に困る、腐敗するなどがあります。 しかし、放射能汚染廃棄物ではあります。日本政府が事故以来、放射能規制を緩和したところから、事故前には考えられないような、放射能汚染廃棄物の再利用、焼却という話が始まってしまっています。

東日本大震災:福島第1原発事故 汚染牧草を堆肥化 放射性物質、暫定許容値以下へ 農研機構が栃木で試験 /宮城 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20171125/ddl/k04/040/122000c‬ ‪「 使用する牧草などに含まれる放射性セシウムは、農地にすき込むことができる暫定許容値(1キロ当たり400ベクレル)をやや下回る濃度。また、施設で飼う牛のふんを加えて堆肥化する試験にも取り組んでいる。分解されることがないセシウムは、これまでの研究で堆肥化により「濃縮」されることが判明している。同機構は堆肥になった段階で許容値以下にとどまるよう「コントロールできるか」に留意しながらデータを収集するという。‬ ‪ 県内で汚染廃棄物の焼却に否定的な市や町は、許容値より高い牧草の処理方法として堆肥化に関心を示している。栗原市は昨年から、特殊な微生物を大量に使って希釈する実験に取り組んでいる。許容値を超える牧草の堆肥化について、阿部さんは「堆肥化するかしないかは濃度に関係がなく、技術的には応用できると思う」とする一方、「技術の部分と行政の(判断)部分は分けて考えるべきだ」と述べるにとどまった。」‬

宮城県登米市と提携した国立研究開発法人「農業・食品産業技術総合研究機構」研究によれば 「分解されることがないセシウムは、これまでの研究で堆肥化により「濃縮」されることが判明」

濃縮されることがわかっているわけです。当然の結果です。 放射性セシウムは、それ以上化学的に分解できないため、生物分解で堆肥化すれば、当然濃縮するわけです。 つまり放射性濃度は増してしまいますから、これは使えません。

これではまずいと、自治体や研究機関は特殊な微生物を使い、希釈できないかと。 薄めるのです。これは「汚染管理」としてかなりまずいやり方です。なぜなら、静かに汚染が環境に少しずつばら撒かれる前提だからです。

なぜ希釈するか? これは日本が放射能規制を「濃度規制」に頼っているからです。

事故以前から原子力発電所からの放射能廃棄物は気体であれ、液体であれ、個体であれ、単位あたりの濃度限度を超えなければ、所外に出せます。 つまり、検出限界を下回るくらいまで、大気や水や他のものと混ざれば、放出できるのです。 つまり、フィルターで濾して、自然界の大気や海水で薄めれば、各モニタリング地点の観測する「濃度限度」を下回ればお咎めなしです。

本来は公害物質は「総量」で規制すべきでした。しかし、前の公害対策基本法や今の環境基本法でも、長らく放射能は規制の対象から除外されました。 現在は規制の対象にはなりましたが、具体的な環境汚染の取り締まりのやり方、基準は決まってません。

つまり福島第一原発事故以降、放射能の環境汚染はほぼ無法です。 かろうじて、放射性物質汚染対処特措法がありますが、これは事故以前のキロ100ベクレルというクリアランス基準を大幅に超えるキロあたり8000ベクレルを基準にし、事実上の汚染「容認」法になってしまいました。

ゆえに、放射能汚染されたものを燃やすとか再利用するとか、非常に危機的な議論があたかも合法のように話されています。

悲劇は福島原子力発電所事故以前には、原子力発電所外に原子力発電所からの放射能が莫大に放出された場合、それを監視処罰する法律がなかったのです。

電離放射線規則や放射線障害防止法といった管理区域を規制したり、放射線を扱う事業所からの廃棄を規制する法律はありました。 ならば、これが使えないかというと、政府も考えたもので、色々な抜け道を作り、原子力緊急事態宣言下の政府の規則や放射性物質汚染対処特措法などを駆使し、原子力発電所事故での運用が難しい状況にしています。

問題は無計画に放置されているのではなく、原子力国策を続けるため、見かけの経済社会を保つためと思われるような、汚染を罰しない法制度を、産官複合体が事故後構築したからだと思われます。

つまり、そのような国の考え方、やり方を見抜いて、そうではない仕組みに作り直す必要があります。

しかし、様々な科学的詭弁が汚染を認めがたい心理につけこみ、汚染を容認させ、放射能廃棄物容認という類例のない二次的人災が静かに進行していると言えるでしょう。

大阪市に、吉村市長のサンフランシスコ市との姉妹都市連携解消に反対であると伝えました。

私は一大阪府民です。大阪市がこのような方針を取るのは、女性の権利への無理解、歴史認識の問題、国際的な都市としての大阪の危機であり居ても立っても居られないのです。

本日大阪市経済戦略局立地交流推進部国際担当課に電話しまして、姉妹都市連携解消に反対だと伝えました。

私は正直になぜ「慰安婦」問題が、姉妹都市連携解消の理由になってしまうかその理路が理解できないと述べました。 日本政府の見解とサンフランシスコ市の碑文の内容が違うので姉妹都市は続けられないと市は言っていました。

しかし、大阪市とサンフランシスコ市は国際的な都市間交流であるからには、日本政府の見解だけによるのは、都市の自治として問題があるのでは? まるで政府に大阪市が従属しているみたいで遺憾だといいました。 市として国際的な都市間交流だから国際的な議論を参照すべき。国連人権理事会での「慰安婦」被害の議論や、多様な歴史学的な見解を参照し、学ぶべきではないかと意見しました。 「慰安婦」被害についてよく学ばれる必要があるのでは?と。 あくまで市としては日本政府の見解によるのだと政府に頼るようです。

私はサンフランシスコ市と大阪市で「慰安婦被害」などの歴史について共同の学習、研究の機会はなかったのかと問いました。 なかったと担当者は答えました。

議論や共同の学習の機会もないまま、日本政府の見解に合わないからと切り捨てるのはひどくないだろうか。 議論しながら学べば、大阪市が学ぶことがあるはずで、まさか姉妹都市連携を断ち切るといった乱暴なことはできないだろうと私はいいました。

最後に私は、市長判断で姉妹都市連携を自由に解消できるのか、姉妹都市連携は市民の財産だから、まずは議会や市民との意見交換が必要だったのではないかといいました。 たくさんの市民が米国サンフランシスコ市と交流し、お世話になるのだから、市長の偏りあるとしか思えない判断で簡単に断ち切ってはいけません。

姉妹都市連携については明瞭な規約がないと担当者は答えました。 市長の裁量がまかり通りやすいのは危険だ、議会や市民としっかり討論し、姉妹都市連携解消はしないようにと釘を刺しました。

【詩作品】誰そ彼

詩を書くとき 涙はくだかれ いくつもの海になり 無限に小さな海に さざめいているんです

そうして自分の頑なさをくだいて たくさんの海をつくりました

くだいても くだいても 私の傲慢はなくなりません

くだいても くだいても 私の思いこみはなくなりません

とある坂道から山が小さく見え 川が見えます

私はただ くだかれていきます 私は くだききれません

その前に死ぬかもしれない

どうしたら私は 小さく ありのままになれますか なんとか ありのままに近い自分を 見てみたいもの

「そんな悩みがすでに あなた自身だ」と あなたはいうのですか

ところで

あなたは誰ですか