細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

私のおじいちゃんと、戦争ー今日日本人が忘却したタイ侵攻

 

私の祖父は、太平洋戦争開戦直後、タイに派遣されたようです。

南方の密林で、銃撃戦になり、弾丸が命中し、胸に小銭のたくさん入った財布があって奇跡的に一命を取り留め、日本に帰ってきて、結婚し、私の母や母の姉は育ったということを帰省の折に、私は何度も聞かされました。
祖父の部屋には、穴の開いた札やひしゃげた小銭があり、私は小さい時大変なショックを受けました。
もし戦争で祖父が死んでいたら、私の母も私もいなかったのです。

どこで、戦闘になったかまでは、詳しく知らなかったので、祖父が亡くなったあと、母に聞いたところ、派遣が開戦時なこと、母がうろ覚えの地名を戦史や地図をもとに探すと、タイのプラチュワップキリカーンではないかと推定しました。

そこで日本軍が真珠湾だけでなく、開戦時タイと戦闘になっていたことを初めて知りました。

タイと日本は友好国でしたが、日本軍はマレー、ビルマを侵略するため、タイの領土をかなり強引に軍隊で通行しようとしたのです。

タイ政府に打診したが、タイの首相は不在。
タイ国境警備隊に連絡が行かないまま、日本軍はタイ国境を渡ったり上陸したりし始めました。タイ国境警備隊と戦闘になりました。
その1つが海沿いの町プラチュワップキリカーンという町です。プラチュワップキリカーンは、細長いマレー半島の付け根から南に細長く伸びた町。

すぐに停戦しましたが、死者が出ました。

山下奉文らが真珠湾攻撃とほぼ同時に、英仏が支配していたマレー半島に奇襲的に侵攻したというのは、真珠湾攻撃に比べて、あまり知られていません。マレー半島に侵攻するとき、最南端のタイに日本軍が押し寄せたわけです。

右派は、英仏から植民地を解放するためだと言いますが、英仏を撃退して日本軍が駐留したのだから解放でもなんでもありません。支配者が変わっただけです。

インドまで手を伸ばそうとインパール作戦を企て、結局自爆的に敗北して、どんどん負け続けたのです。

連合国が素晴らしいとは思いませんが、日本は自軍の兵をこき使い、タイの人々やたくさんのアジアの人々を殺し、傷つけたのは事実だから、反省すべきです。

私の祖父がこのような戦争の現場にいたというのは、辛い事実でもあります。

生きて帰って来たのは幸いでしたが、なぜアジア人同士が殺し合わなければならなかったか。日本の引き起こした戦争は、私たちが悔い、反省し、二度と繰り返すべきではありません。

 

このような不幸を繰り返すべきではないということを私は小さい時から思っており、故に、戦争反対や原発反対の運動なんかくだらないとか、馬鹿にされて言われると、右翼だろうが誰だろうがどんな人とも真剣な議論になり、疲れてしまいます。
私はアスペですし、神経の疲労を与えないでほしい。戦争や原発は悪しき政治、私たちのうかつさから生じる話なので、真面目に考える人が増えるのを真剣に望んでいます。
真面目に考える人が戦争体験者が亡くなり、少なくなり、私は悲しくて疲れて、心配でなりません。

私は祖父の頬や足に刻まれた傷や胸のあざ、銃弾で砕けたため20過ぎからはめていた入れ歯を思い出しながら、そう望んでいます。

 

 

以下歴史学者林博史さんの記述より

「一九三九年に第二次世界大戦が始まりアジアでも戦争の気配が濃くなる中でタイは中立を維持し、戦争に巻き込まれないように努めていた。

 すでにインドシナに進駐していた日本軍は、マレー半島ビルマに攻め入るためにタイを通過する必要があった。タイは独立国なので事前にタイ政府の承認が必要だが、そのための交渉を早くおこなうと開戦の意図が連合国に漏れてしまい、奇襲でなくなってしまう。そこで日本は開戦前夜の一二月七日夜にピブン首相らを招き、日本軍の通過を認めさせようとしたが、ピブン首相は姿をくらませてしまった。そのため日本軍はタイ政府の承認なしにタイに侵攻し、迎え撃ったタイ軍と激しい戦闘をおこなった。しかしタイ政府はまもなく日本軍の要求を認めて停戦した。

 日本軍と戦っては勝ち目はないが、中立国として日本軍の要求をかんたんに認めることはできないという意地がタイにこのような行動を取らせたと言えるだろう。戦後、日本軍と戦ったタイ兵士のために立派な記念碑が建てられ、現在でも彼らの戦いは高く評価されている。

 こうしてタイは実質的に日本軍の支配下におかれ、日本軍はマレー半島ビルマへの侵攻の基地として利用した。占領地のように振る舞う日本兵は、敬虔な仏教徒であるタイ人が敬う僧侶を侮辱するなどして反発をかい、怒ったタイ人たちが日本軍を襲うというバンボン事件までおこった。こうした中で、タイ政府は日本軍に表面的には協力する形をとった」

http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper01.htm

http://www.mekong.ne.jp/directory/military/thaishinchu.htm
https://i.4travel.jp/travelogue/show/10964283