わかる。しかし日本はただ死んでもらっては困る。 必ず償いと、未来に向かって態度を変えてもらわないと困る。
保育園落ちた、日本死ねの件について、苦境わかります。
待機児童問題、10年以上問題できました。
なおりません。
死ねと言いたくなる気持ち、わかりますね。
しかし引っかかりもあるんです。
もしかしたら揚げ足取りにみえるかもしれない。
しかしそうではないつもり。
福祉崩壊の中で生きてきた障害者福祉利用者の私の思いを話してみます。
待機児童、子育てインフラの貧困、政府が場あたりに対策を打ってもよくならない。ネオリベも進行。重大ですね。
子育て中の方、子供たち、苦しいと思います。
しかし、死ねという言葉には抵抗を感じました。
バカは死んでも治らないという言葉がありますね。
この日本はバカな国ですがこれはわたしたちが作ったバカな国であり、単に死んでもらっても日本は子育てをする人の気持ちは理解できないままかもしれない。
むろん比喩的な表現だと思う。
しかし長く長く日本人が弱者を苦しめてきた事実がある。
私は障害者です。精神的な障害だから見た目にはみなさんにわかりにくい。ゆえに差別には敏感です。弱者を苦しめてきた歴史は根深いんですね。
私は言葉の揚げ足取りをしたいのではないのです。
待機児童問題、子育てインフラの貧困、ここ10年以上問題でこの危機感がどうしたら保守層のオヤジたちオヤジマインドを持ってるすべての人にわたしたちの問題だと伝わるか。さらに今日では、人と人の関係が消費や企業活動にかなり置きかわりつつある。それをどう考えるか。
私は障害者だから障害者問題もずっと悔しいです。
障害者は悔しいまま死んだ人がたくさんいると思う。
怒り以上の何かを感じる。
日本はただ死んでもらっては困る。
必ず償いと、未来に向かって態度を変えてもらわないと困る。
私は知的障害者支援職3年、退職し、病気で精神障害者年金を取得してはや、10年が経過しています。
その間、精神科医の団体や患者や家族会が訴えても、自立支援法が作られ、粘り強く修正や廃案を求めても、福祉は後退してきました。
しかし発達障害者支援法、障害者差別禁止法も作られました。
野党は、社会の変化の趨勢をよく把握し人々のニーズによりそった社会政策を霞が関に粘り強くつきつける必要があります。消費税がこの経済状況では上げられない、むしろ経済状況がよくなるまで下げて(凍結もありえますが、それにはさらなる社会政策が必要)直接税の累進課税を強化することで、与党の税と社会保障政策を打ち砕く必要があります。
私が言いたいのは、高齢者、子育て、障害者、経済弱者の問題はグローバル資本主義、政府、社会の人口構成と、都市のあり方の変化全てあわさった問題で、長年のたくさんの人の苦しみをふくみながら、総合的な一貫した横断的な社会政策が必要な次元になってる
霞が関は財源問題で手一杯になってしまった。
長年怒りや悲しみにつつまれてきたこの社会は与党の選挙目当ての一時しのぎではなく、巨大なしっかりした社会政策を打ち立てない限り、累々とした犠牲者のしかばねに答えられない。
さらに選挙で、憲法改正されてはいけない。
私は許せない。
私は今怒り始めた人ではなく、前から怒っていて、だからそれでも変わらなかったこの社会は手強いなと思うのです。
自分の力なさも感じます。
前から怒っている人と今怒り始めた人が連帯できるといいですね。