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細々と彫りつける

Concering poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

自民党二閣僚が被ばく、放送法をめぐって放言-緊張感に欠ける自公政権を戒める必要を感ず

いずれも所管の政策の根幹にかかわるもので、基準や法律に対する自民党政権の意識の緩さ、民主主義への軽視が現れていると思います。自公は衆院で3分の2議席、参院で過半数と、法案を出せば野党がいくら反対しても成立する状況であり、大臣や総理は緊張感に欠けていると思われてなりません。

安保法制や秘密保護法の審議、憲法改正をめぐる議論も、成立ありきで中身のブラッシュアップを野党としようという気持ちが欠けていませんか。

これでは議会制民主主義の危機といわねばなりません。

このような政権が、現憲法より後退した憲法草案を抱えて、参議院選挙に勝利したら憲法改正の発議を目指すというのですから、疑問を感じざるを得ません。

 

まず丸川大臣の発言から見ていきましょう。

丸川環境大臣衆議院予算委員会で、福島県内の除染などで年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量を長期的な目標としていることを巡り、「何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと発言したと一部で報道されたことについて、「少なくともそういう言い回しをしなかったと思うが、ことば足らずで、おわびを申し上げたい」と述べ、陳謝しました。
この中で、民主党の緒方政策調査会副会長は、丸川環境大臣が今月7日に行った講演で、福島県内の除染などで年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量を長期的な目標としていることを巡り、「反放射能派と言うと変だが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと発言したと一部で報道されたことを説明したうえで、「重大な発言であり、何を根拠に発言したのか」とただしました。
これに対し、丸川環境大臣は「こういう言い回しをしたという記憶を自分では持っていない。少なくとも私は『科学的根拠がない』という言い回しをしなかったと思うが、なぜ1ミリシーベルトに決めたのかを十分に説明しきれていなかったのではないかという趣旨のことを申し上げた。もし誤解を与えるようであれば、ことば足らずで、おわびを申し上げたい」と述べ、陳謝

 

www3.nhk.or.jp

 

当時私は、この記事の中で「反放射能派」と揶揄される立場で、今もそうだと思いますが、まず放射線量には放射線量に応じた危険性が、つまり発がんなどの危険性がどんなに小さな線量でもゼロではない、確率的に存在することは、今日の科学的な標準的見解で「線形閾値なし説」といわれています。

そしてICRPは年間1ミリシーベルトを通常時の一般公衆の被ばく限度としています。

このICRPの被ばくリスク評価についても国際的に批判があります。私は原爆症認定をめぐる訴訟などをみると内部被曝などの過小評価の疑いがあると考えています。

さて、事故当時民主党政権は、事故のあと子供も含めた公衆被ばく限度を年間20ミリシーベルトという通常時の20倍に設定したのでした。

これはとんでもないという声が全国から吹き上がり、当時内閣官房参与を勤めていた東京大学の小佐古敏荘教授は、20ミリシーベルトを子供たちに強いるのは容認できないとして、内閣官房参与を辞任しました。この小佐古敏荘教授は実は長年原爆症認定訴訟などで、国側の証人を務め、被ばく者の前で「被ばくの影響は小さい」といった趣旨の証言をし続けていた人物だった。ですからこの当時原子力推進側の学者も国の被ばく基準は緩すぎるといったほどの騒ぎだったのです。

そして20ミリシーベルト基準は撤回されませんでしたが、国は除染で1ミリシーベルトまで下げると新たに方針を作ったわけです。

この基準にも私は被ばくの危険の矮小化や除染はするけど避難はさせないという疑問を感じますし、また除染のゴミの置き場所や作業者の被ばくの問題、思ったより線量を低減できないという実効性の問題も感じます。

ただ、ICRPも事故以降の現存被ばく状況の中で、長期的に1ミリシーベルトに被ばく量を低減していくという考えを示していてそれに日本政府は従った格好になります。

環境省サイト

個人が受ける追加被ばく線量が年間1ミリシーベルトという数値は「これ以上被ばくすると健康に影響が生じる」という限度を示すものではありません。「安全」と「危険」の境界線を意味するものでもありません。
また、この数値は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に従って現存被ばく状況における参考レベルとして定めたものです。

事故などの非常事態が収束する過程で、被ばく線量が平常時の公衆の線量限度(年間1ミリシーベルト)より高い状態が定着し、さらなる放射線の低減に長期間を要する状態を「現存被ばく状況」と呼びます。ICRPの勧告によると、現存被ばく状況では、状況に応じて年間1~20ミリシーベルトの間で適切と判断される値を参考レベルとして定め、防護活動を実施することとなっています。

政府はこの勧告に従い、放射線防護に係る長期目標として、モニタリング、健康診断などによる放射線リスクの管理、除染などの総合的な対策を行い、段階的に追加被ばく線量を下げることで、個人が受ける追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト以下になることを目指します。

 

除染の目標・計画などについて | 除染・放射線Q&A | 除染情報プラザ:環境省

 

ゆえに丸川大臣の発言は

ICRPの平常時の被ばく限度を知らない?

②20ミリシーベルト基準に批判が上がり除染基準としてはICRP勧告に従い1ミリシーベルトを採用したという経緯を知らない?

③政府は帰還を進める以上1ミリシーベルト基準は邪魔なので何でも民主党のせいにして1ミリシーベルト基準をなくしたい?

などいくつかの可能性を感じますが③であれば民主党からの批判は避けられず、①②であれば所管大臣として、被災住民や全国の市民が涙ながらに抗議し、政府としても不十分ながら議論した結果を知らないか、軽んじており、除染放射能汚染を所管する大臣として被ばくに関する知見が疑わしいという適格性にも関わるものと思います。

実は丸川大臣は、福島第一原発いりはしたものの、宮城県に行くのは井上副大臣に任せきりで批判が出ています。

<最終処分場>宮城入り拒む環境相 安住氏が批判

 「井上(信治)副大臣環境大臣にした方が良いのではないか」。民主党安住淳国対委員長代理は13日の定例記者会見で、東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設に絡み、宮城県入りを拒み続ける丸川珠代環境相を痛烈に批判した。
 安住氏は、村井嘉浩知事や複数の首長が望月義夫環境相の時から大臣の宮城入りと説明を求めてきた経緯を語り、「丸川大臣は宮城に行って現場の厳しい声に耳を傾けるべきだ。副大臣に任せてばかりではかわいそう」と井上氏に同情した。
 その上で「安倍首相の任命責任を厳しく追及する」と述べ、丸川氏の罷免を求めていく考えを示した。

www.kahoku.co.jp

宮城県や栃木県、千葉県など3県は除染廃棄物の処分場計画に指定された市町村が強く計画に反対しています。

そこに行くのを避けている、その議論を乗り切る力量がないのではないかという疑いが禁じ得ません。

そもそも環境大臣はその2代前が石原伸晃氏です。彼は「金目」などの暴言で、資質を疑われ、その次の望月氏も汚職問題が指摘されていました。

安倍政権が本当に放射能汚染や環境問題、原子力規制問題に対応するか疑問といわざるを得ません。

 

次に高市大臣です。

放送法4条は放送事業者に「政治的に公平であること」などを求めている。これを踏まえ、玉木氏は「憲法9条改正に反対する内容を相当の時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるか」などとただした。高市氏は「1回の番組で電波停止はありえない」としたうえで、「私が総務相のときに電波を停止することはないが、将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と述べた。

 高市氏は8日の衆院予算委でも民主党奥野総一郎氏に「行政指導してもまったく改善されず、繰り返される場合に、何の対応もしないと約束するわけにはいかない」などと同様の答弁をしている。

 これに先立ち、高市氏は9日午前の記者会見で、放送法に基づく業務停止命令や電波法による電波停止命令について「法律に規定されている」と表明。命令を出すのは「法律に違反した放送をしたことが明らかで、同一の事業者が同様の事態を繰り返し、再発防止措置が十分でないなど、非常に極端な場合だ」という見解を示した。

 菅義偉官房長官は9日午前の会見で「(高市氏は)当たり前のことを答弁したに過ぎない」と述べた。

mainichi.jp

 

これは「当たり前」と答弁した菅官房長官は非常によくないと思います。

玉木議員は憲法改正を例に挙げています。

それにはまず「政府として賛否いろんな議論があることは歓迎する。しかし放送内容に重大な瑕疵が認められるときは政府が指導をする時もある」程度のコメントが穏当ではないでしょうか。

ところが追及されると「停波」といってしまう。

憲法改正へ向けた国会での議論が活発化する中で議論が激しさを増すのは、否定しません。

が、煽っているというか危うい感じがするのですね政府のほうも。

政府は「憲法に縛られる」側なのです。つまり憲法を守らないといけない側です。それが立憲主義で、近代国家はみな持っている原則です。洋の東西は関係なく世界中の憲法がその中で作られています。

だから、明白な違法違反がない限りは自由闊達な議論を歓迎するという姿勢を政府は示すべきではないでしょうか。

何か余裕というか民主的な度量が弱いということを図らずもあぶりだしていると思います。大臣としては判断が杓子定規すぎます。というか、放送への介入を悪いことと思ってない、むしろ普段からそれが当たり前だと思っているのではないか。そういう内閣が憲法を改正すると言ってるわけで、大変危ない状況です。

戦争の記憶があり政府の暴走が人々の記憶にある時、高市大臣のような議論をしていたら、市民からも強く批判が上がったはずです。

それは政府が好き嫌いではなく、政府がいたずらに強権発動をしてはならないという経験が戦前戦時中の経験から人々の中にあったからで、日本国憲法が改正されなかった背景にも、単なる現状維持を超えて、改悪されて国家が暴走しないようにという願いがあったように思えてなりません。

しかし戦後生まれの安倍政権には、もうそういう記憶はありません。

さらに言うとそういうふわふわした「平和」を本音では嫌っている。だから第一次安倍政権時代から改憲を明言したということがあるでしょう。

第一次政権は若く安倍さんはタカ派色を押し出して嫌われました。

今回は「経済」「アベノミクス」を押し出し、その背後で法案や憲法改正を強硬に推し進めるという二重性を感じます。

しかし経済がうまく言っているかというと、マイナス金利に突入し、また物価は上がっているのに賃金は上がっていない。おかしいですね。そういう中でオリンピックだ一億総活躍だというけども、オリンピックだってスタジアム建設からもうすでに揉めている、とてつもない予算が浪費されている。

しかし与党は多数で憲法改正すら望んでいる。

野党はみんなの信頼を失っている。私だって野党はあまり信頼できない。しかし与党が勝ちすぎるということは危ないのではないかと思うわけです。

大臣や総理がぽろっと漏らす言動。小さいことかもしれない。

しかしそういう中でいかに憲法が70年過ぎているとはいえ、それより「良いもの」にするならよいが、自民党改憲案これは理念的に、人権や自由、平和主義いずれも後退しています。

平和ボケだから国民にも義務を課せばいいとか、少しタカ派な人は言うかもしれない。しかし憲法は「政府を縛るもの」政府が間違えて、あるいは思い上がって暴走しないために、存在する最後のブレーキなんです。

ブレーキを弱めて市民国民の権利を縛ったら大変。

このまま自公政権が緊張感に欠けたまま選挙に突入していいのか。

どの政党支持にかかわらずよく考えていただきたいことです。