細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

見る勇気のない悲しみを感じる勇気を取り戻せないとしたら

日本に住んでいてまるで明日を見通せない感じが強くなってきている。
原発震災で、放射能について警戒をせねばと再三書いたがそれは放射能が好きだからではなかった。緊急時に対応するためである。
私は福祉や病気について考えてきたのだから、放射能がリスクがある以上書くのは当たり前である。他の人にそうしろとはいわないが、せめて反応していただきたかった。
しかし震災前には福祉や病気について話していた方々や文学関係者はあまり直視してくれなかった。
複雑な心情はわかるが、あまりにも事態を直視しないのは厳しい。それくらい言いにくいことなら尚更言論人としては分析せねばなるまい。

放射能汚染再軍備も日本が世界に迷惑をかけ、自国民を苦しめている。

何らかの動きをしないで沈黙するなら悲しい限りだ。

しかし愚痴はいいや。
私は自分の人生の困難が少しでも楽になりたい。

放射能がこれだけ無神経に拡散され続ければ日本はチェルノブイリの何倍も人口密度が高く、被害は甚大だろう。
調査していないからわからないので、政府がこれだけ放射能がまかれて、今も海や空にで続けても人々への被害をわずかしか調べないのは知りたくないからだとしか思えない。

タイタニックでいえば、氷山に激突するのを否認しているのだ。

しかしこうなれば、私たちの命もいつどうなるかわからない。
わからないならば、後悔しないように
生きるしかない。

私はいつもいろんなひとを傷つけている。

しかし、私は私の中に寂しさの空洞がある。
これは直視しがたいほどで
自分でも、育つなかでケアされなかった部分なのだろう。

この苦しみから解き放たれたい。
いつも助けを求めている。

信仰はもっていない。

私は愛を注がれてもあまりうまく気づけていない。

傷つき傷つけあいながら、見ようとして見ていないものがある。

私は放射能は見たくないものを見る取り組みの一貫としてやって来た。

本当は私の心や体にもあなたの心や体にも見る勇気のない悲しみがある。

それを見るのは難しいくらいは自覚しないと私たちの最低はより最低になってしまう。

原発が爆発した今遠慮することはない。タブーの蓋はあいた。
あなたや私の心にも取りだし不能で溶け果てた燃料が苦しみを涙をながし続けている。