細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

自分たちが形成しているこの国家や社会がおかしな、道義に反した選択をしようとすることへのわずかな抗い

「私たちは今なお、戦争神経症を徹底した暴力で抑圧し、心の傷さえ意識できないようにさせてきた文化のなかに生きている」
 http://k9mp.at.webry.info/200709/article_10.html

 これが戦争を引き起こし、他国の人間を何人も殺害し蹂躙し、のみならず自国民を爆撃の下に置き、原爆を落とされてもなお戦争を継続させようとした「耐え難きを耐え」る文化なのでしょう。
 また、その後原発をアメリカから買い取り、それを積極的に推進し、豊かさとしてすり替えていく根底にあるものだと思います。

 暴力の痕跡を消し、暴力の効果を掻き消し、暴力を希釈拡散させる。まさにそういう形で暴力を世界に氾濫させる。加害と被害の正確な記述を破壊する文化です。潜在的な意志への、支配側からの攻撃です。洗脳、除染、罪を水に流すということです。

 原発が爆発してもなお、「皆の責任だからみんなで被ばくしよう」という精神的なスローガンに近いものが「仕方ない」の声とともに推し進められるのも戦後の風景と似ています。貧しさは同じだというわけです。しかしその時、過酷な生存競争で倒れていった弱者の声はかき消されているのです。原爆に被ばくした孤児たちのうち、盗みを覚えたものが生き残り、盗まなかった子供は死んだといいます。盗みで生き延びた子供たちもやくざに引き抜かれ抗争で命を落としたと、先ごろ亡くなったはだしのゲンの作者中沢啓二氏は語っていました。
 豊かさというとき、そこには人や命が幸せになろうとする、苦を味わいながらそれを糧にして生きようとする自発的な経路というものが伴っていなくてはならないのではないでしょうか。物の豊かさに変わって精神の豊かさをといいたいのではありません。
 それどころか、唯物論、唯資本論が反=人間主義と結合した市長が広域瓦礫処理を推進しています。物の経済自体がほとんど滅び、自国製品も放射能汚染されています。事故前は放射能汚染されたものはごみとしてすら扱いづらく捨てれば犯罪でした。そういうものが国土の4分の1を襲ったとき経済というのはそれに適応した形をとろうとするのでしょう。
 いのちは切り売りされます。東京電力や電力を支える銀行が破産しないために、マクロ経済と引き換えに、人々の命がいいようのない苦しみと不安の、あるいは傷を与えられてしまいます。
 私もそれに加担している甘ちゃんなのでしょう。私が青年時代、恥ずかしくて死にたいと考えていた世界は罪があっても、その罪を認めない世界でした。己自身の罪におぼれ死んでしまっているのにその溺死を認めない世界でした。
 経済が破たんして、人が死ぬことはあり得ます。しかしもう少し先に破たんする経済を先延ばしにするためだけに人が犬死しようとしている。私にはそういう怖い世界が見えてしまいます。
 しかしそういうことを言うと恐怖を煽るなといわれます。電離放射線規則も放射線障害防止法も、労働安全衛生の放射線白血病の認定基準も大げさな恐怖をあおるものだったのでしょうか。

 恐怖とは、あなた方が感じることができなくなった「心の痛み」なのでしょうか。たしかに心の痛みを感じていてはいきていけない時代かもしれません。
 まともな心ではブラック企業では働けません。「前例のない」挑戦をし続け、人を殺しても恬として恥じない、そういう経済を生み出さねばならない。そういう命令は、資本そのものが持つリビドーなのでしょうか。あなた自身の逃避しようとする心なのでしょうか。あるいは人類そのものの英知なのか。

 しかしどれでもありません。
 
 殺しても生きよというリビドーに逆らう命令。罪を認め、罪を知る命令。
 
 罪を逃れられないとしたらその罪で人がさらに多く傷つけられるのを、特に未来の人間の、選べないあらゆるリソースの破壊に抵抗する理念。それが地震のたくさんある国で原発を続けないことだったり、被ばくする人や範囲を狭めていく、例えばガレキ反対のような活動であったりします。
 別に行動主義ではなくてもいいんですが、自分たちが形成しているこの国家や社会がおかしな、道義に反した選択をしようとすることへのわずかな抗いといいましょうか。

憲兵の土屋芳雄さんが、「戦争犯罪を謝罪するとはどういうことか」を教えてくれる。それは、「すみませんでした」「2度としません」と頭を下げる事ではない。なぜ残虐な行為を為したか分析し、それを被害者に語りかけ、罪を背負ってどう生きているかを伝えることである。
http://k9mp.at.webry.info/200709/article_10.html

 私は一億総ざんげをまたしろといいたいのではないのです。ただその罪のありかを知り、その罪を行わないように、その罪の重さを感じていたいということです。
 ですから、社会的経済的な罪はより大きな資力と責任をもったものが具体的には負うべきです。東京電力やそれに出資した人々や宣伝に加担した人々は、社会的な責任を負うべきです。そして賠償をすべきです。彼らの資力で足りない場合、国家の財源を使ってください。まず事故を起こすまでの事態を引き起こした人が責任をとってください。次に国民が決意と自覚のもとに、自腹を切るのです。この順序が今は逆であり、復興増税東電へのなし崩しの公的資金注入が行われていますがそれを停止し、正義をまず通そうとすべきです。
 しかし正義がすべて実現しない場合私たち市民が選んだ政府だけがこの事故を解決できます。自民党を選んだということは、そうしたくないという国民の総意が上回りつつあることであり、しかしそこには迷いもあるということです。私はおそらくその流れを心配をもって相対しているのです。

 ナチスを訴追し続けたドイツが福島事故の後すぐに脱原発に再び梶を切ったのは偶然ではありません。イタリアもそうです。彼らは旧枢軸国です。しかし日本はそうしません。日本はその意味でこれからの世界を亡ぼすか、そうではないかのカギを握っているのです。
 残虐な罪やお粗末な構造的な過失の後に何ができるのか考えなければなりません。

 それは今日、いまここで、誰もがあなた自身で、私自身でということです。

 マックスウェーバーは「日々の仕事に帰れ」といいました。それはルーティーンワークではない。いまここに生きる倫理を一から生成させるということです。それが日々の仕事です。 
 それはあなたの/わたしの選んだことですか。
 選んだというとき、その意志はどこから湧いてきましたか。

 感じてください。
 感じてください。

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