細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

おすすめ本・吉岡斉『原発と日本の未来』

原発と日本の未来――原子力は温暖化対策の切り札か (岩波ブックレット)

原発と日本の未来――原子力は温暖化対策の切り札か (岩波ブックレット)

日本の原子力政策、事業への批判的検証の本。薄い本であるが今後のこの産業の政策を我々がどうするかを考えるのには必携なのかもしれないとも思った。
いちいち抜き出して書くことはしない。今年2月に出ていた本で、震災の直前である。その頃確か上関の原発工事が問題視されていて、僕はツイッターでタイムラインを見ながらふと思ったことがある。それは菅直人が去年から今年にかけて、ベトナム原発の技術支援を行うことを手柄のように国会で答弁、説明していたことだ。

上関の問題を扱う人のことをよく追えていなかったのだが国内で進行する危機も大事だが、原発事業が国際的な商品になっていることも追わなくてはならないのではないかと私は思っていた。この本はそれへの危機感から緊急に出版されたものだと思う。

このようないたましい事故の惨事が現在も進行中で、この国に住まう人びとの中で日々放射性物質の脅威に脅かされている人々がいて、潜在的にはこの列島が経済的にも人心の上においても大変な損害をこうむっていることは間違いない事実である。一刻も早い事態改善をと望みたいところだが、政府の対応の機動性のなさは目を覆うばかりだが慨嘆してばかりもいられない、被災地から遠い私は今まで知らなかった原子力の問題を勉強することにした。この本はひとえにバランスが取れている。という一点で選んだ。余り多くの書籍を読んでも混乱するし。まずは手始めに。


簡単に自分がポイントと思ったところを要約して述べるなら以下の点が重要であろうか。

1.この本は反原発という立場をとらないといっている。なぜならこの世界に理由のないものはないから否定だけせずに、丁寧に検証・批判しなければいけないだろうという。(むろんこの位置も無謬ではない。今次の原子力事故の規模はいまだ今後の見通しが立っていない状況だから。しかしあらゆる条件を検証するというラインに立つことの重要性はあるのだと思う。この本が書かれた時点で著者は安全性やコストを考えて行く意味で脱原発路線に近いが新増設禁止を法制化しない立場だという。その時点でぎりぎりのリアリズムだったとはいえ現在はどうか。)

2.原発を国策で推進するのはコスト的にも、危険度としても割に合わないという意見は推進派とみなされる勢力からも出てきているが、ほぼ惰性的に国策で推し進められている。またそれほど純粋な推進派、反対派という分け方はきれいにはできないのではないかという著者の見解が語られている。電力会社にも責任感を与え、競争の中に置くべきであると。

3.原発、核開発を推進している大きな国にはいくつかの種類がある。アメリカ、日本、フランス、(ドイツは脱原発の方向だったがメルケルがそれをやめた。注;出版以後、現在の福島の事故の影響でやはり脱原発に戻ろうとしている)それから重大なのは新興国で中国やインドである。インドは核不拡散体制に加盟していない。それを国際社会も黙認している。アメリカはブッシュ政権下で原発政策を推し進めた。オバマ核兵器を減らす、グリーンエネルギーにするというが原発政策に基本的な変更はあまり見られない。

4.多くの原発は古くなり事業としても世界的に不活性化している。一時、二酸化炭素を出さないエネルギーとして原発がもてはやされたが、日本は原発を増設してもco2を減らせていない。しばしば事故もおこしている。

5.日本が原発、特に高速増殖炉などを持つのは核兵器を持たない日本が、いつでも核兵器を作れるという設備を整えているという安全保障上の理由だからで、それらの事業はとてつもない国費が投入されている(割にほとんど失敗続きの)事業である。

6.co2削減という観点から見て、京都議定書を履行していない国ワースト1はアメリカでワースト2はその策定国日本である。(ここから鳩山前首相がいきなり25%を押し出した理由のいくばくかが予想できよう)日本はしかもco2排出量の多い石炭エネルギーへの依存度が高い。

これは私のつたない要約であり、中身は是非買って自分で確認していただきたい。60数ページしかないのですぐ読めると思う。著者は批判的立場から内閣府原子力委員会、経産省総合資源エネルギー調査会臨時委員を歴任している。科学史家である。
抜き出して書かないとかカッコつけたけど、一応しかし引用しておこう。


もう一度言うとこの本の著者は反原発という立場をとらない、なぜなら世に絶対悪はないからだと説き、きちんと是々非々で議論せねばならないという。恐らく原子力委員会などで批判的な意見を述べるときに、その場所にいながら批判を続ける必要からでたものかもしれない。(つまり悪は他にもあるので原子力の場合どうかと考えなくてはいけない。でないとたぶん上げ足を取られ議論が進まなかったた経験が著者にあるのだと思う。だからこの本は別に脱だろうが反だろうが、推進だろうが役に立つだろう。)

筆者の見解をあらかじめ述べておく。日本政府は原子力発電事業を長年にわたり偏愛し続け、過保護状態に置いてきた。しかし日本の原子力開発利用体制が整備された一九五六年から半世紀以上が経過してにもかかわらず、今も原子力発電事業は国の手厚い保護を受け続け、現在に至っているのである。それもただの過保護ではなく、巨大な破壊力を抱えるという重大な弱点を抱える事業に対する過保護である。早急に一人立ちさせるべきである。つまり核不拡散・各保安関連規制と暗線規制を堅持しつつ、政府による電力会社に対する原子力発電の経済的コスト・リスクの肩代わりを根こそぎ廃止すべきである。

つまり国策展開への批判である。現在の責任問題に影を落とし始めている。

いずれにせよ脱原発論者は「何でも反対」の立場ではない。脱原発論者に「反対派」のラベルを張るのが実態にそぐわなくなってきたため、「批判派」「慎重派」などといった言葉も九〇年代以降使われるようになったがあまり的確な表現とは思えない。 
推進派というラベルも時代にそぐわなくなっている。原子力発電事業に「なんでも賛成」するというのは思慮分別のない話である。原子力発電事業の中には、良好な成績を上げている事業と不振にあえいでいる事業とさらには本質的な不採算事業がある。不採算事業の中には核燃料再処理のように現在の見積もりよりも数十兆円の追加費用の発生が懸念される事業もある。実は良好な成績をあげている原子力発電事業は少なく、大多数が問題を抱えている。

つまり是々非々でコストと危険性をきちんと話して決めるべきものの優先順位を決めることである。

世界全体についていえば、原子力ルネッサンス論は希望的観測が先行し、実態が伴っていない。今後の原発の基数、設備容量については拡大シナリオはあまり現実性がないとみられる。なぜなら先進諸国では、現状維持も困難だからである。早ければ2010年代より、仮に寿命延長工事が大半の原発で進められても20年代より、欧米を中心として廃炉ラッシュが始まるとみられる。

先進諸国のトレンドと(中国やインドなどの:石川注)新興・開発途上諸国のトレンドの両者を足せば、せいぜいのところ両者は打ち消しあうくらいであり、地球全体としての原発の拡大は起こりそうもない。

この矢先に事故は起きたのだ。
絶句せざるを得ない。この問題について立場というより良識で考えうる限りのことは考えて、発言したり、意見作成をしていけばいいと思う。
政治というのは党派的なものであるが同時に(このような巨大問題は特にそうだが)広く意見を耳にし自分の言葉や内容に変換する作業がいる。この本には首肯しうる部分がたくさんある。というよりこのような位置の人が見えていなかったのだと思う。自分も原発にうまくいえない違和を抱えつつも生きてきた。そういう人間である。まだ子供の時分チェルノブイリ事故の時から、原発の災禍に心痛めつつそのことをうまく考えられずに来た。そこを痛恨でいる。だから事故前に書かれたこの本のいうような歴史的な状況の中にいたということを知って、今が見える。そういいたくてこの本を取り上げた。(この本は事故前の状況という限界を持つという但し書きで)

もしかしたら今品薄状況であるが、数日前にツイッターで編集の方が増刷を働きかけているという。是非この機に。